と、言いましても、紙の上にあるものなのですが…
「ワタシの中で過ごした少年」というタイトルのモノがありまして、今まで上手く纏まらなかったので、放っていたのですが、ここにきて少し纏まり始め、どうしようかと思案中です。^^;;
こんばんは。(^^)
いきなり独り言から始めましてごめんなさい。A(^^;;
ずっと今まで疑問に思っていたことなのですが、
まぁ、私の場合は未だになのですが、自分の本心である「私」を隠して、親や戸籍、肉体の性別での「私」という、もう一人の自分で過ごしていることについて、本当はどうなのかなぁなんて…
そして、そのもう一人の「私」について、私はどうしたいのか?本当の位置づけとは?
…なんだか奇妙なことを考えていますよね、私。
社会に出ますと、肉体と心との性別違和に悩みながらも、本当の自分を晒すことが正解なのか、それとも、周りの空気を乱さないように、社会というものが構築している、「常識」というシステムに身を委ねるほうが正解なのか、悩む時期が、GIDと呼ばれる人達には必ずやってきます。
で、そのまま恐れずに自分を曝け出すことができる人もいますが、やっぱり、差別や排除を恐れて、社会の常識が作り上げた、あまり認めたくない、表層上の「私」の着ぐるみを着て生きる選択をする人の方が多いのではと考えています。
でも、その着ぐるみは脱ぎたいですし、愛着よりも違和感の方が大きいですし…ですが、それによって自分を守っていることも確かで、全面的に否定も出来ずで…
じゃあ、それは私にとってただの盾でしかないのか、それとも別の意味があるのか…
違和感に悩み、感情的にその着ぐるみを脱ぎ、さんざんっぱら利用してきたもう一人の「私」にさよならをして一人で歩み始めたとき、いきなり襲い掛かる鋭い刃の雨。
その雨に打たれて深く大きな傷を受け、血が噴き出して驚いている割には、冷たく鈍い痛みだけで、意外に冷静に見つめる自分がいて、その中で感じる不気味な孤立感と、言いようのない畏れに押しつぶされそうになりながらも、それでも前へと進むしかなく。
次第に歩みも遅くなってゆき、声にならない、悲鳴にも似た叫び声を上げ、絶望が襲い掛かるところで目が覚める…
孤独に押しつぶされ、自らの人生にピリオドを打つ人達もいるこの現実に抗いながら、時々考えるそのもうひとりの「私」の存在。もう逆戻りはできないし、そう選択したのは私自身なのに…この弱さは何だろう?
と、そこで書き始めたのが先ほど独り言で言っていたタイトルの記事でして。(^^;;
GIDに限らずでしょうけど、このような葛藤を感じたことがあるのではと、思っている人はいるかとは思いますが、ぶれない決心って、本当に存在するのか?本心をとるのか、隠し通すことをとるのか、そのどちらかで迷いはなかったという人もいらっしゃいますが果たして本当なのか?
そのようなことをずっと思考していまして。A(^^;;
まぁ、簡単に言いますと、「カムフラージュの人格はいったい何者か?」ということになりましょうか?(^^;;
まぁ、アホといわれるでしょうけど、私にとっては疑問なので、考えてしまわずにはいられずで。(^^;;
記事が纏まり次第、公開したいと思っています。
あぷりこっと
またまた長文でごめんなさい。m(__)m