って、ジェネシスのアルバムタイトルみたいな。(^^;;
フィル・コリンズもいいのですが、ピーター・ガブリエル在籍時の頃も好きだったりします。A(^^;;
#ロキシーミュージックのどちらのブライアンのファンかで、好みが別れることがありますが、ジェネシスもまた然りでして…って、まくらが長すぎですね。A(^^;;
こんばんは。(^^)
いやぁ、生きていると、お千代さんではありませんが、本当に色々ですね。(^^;
今夜は、あのお方のお話を。
つい先日、お亡くなりになられました、EL&Pの中心人物、キース・エマーソンについて。
彼が亡くなったという一報を聞いたとき、本当に驚きました。そして、デビッド・ボウイ、ジョージ・マーティンと、たてつづけにロック界の重鎮たちがお亡くなりになられていましたので、かつてのジャズの世界のように、ロックの世界でも世代交代が進みつつあるのだなぁ~なんて、ちょっとそんなことを思ってしまいました。
音楽に限らず、全ての人は時間軸の上で生き、歳を取っていくのですから、いつかは次の世代へとバトンタッチをしていくのは常ではありますが…それにしても、キース、早すぎませんか?
多くのメディアでは、彼が活躍した1970年代の作品群の紹介と、シンセサイザー黎明期にステージに持ち込んだ功績に注目されていました。そのシンセサイザーについてですが…
キースがEL&Pを結成する前夜、とある人物のもとを訪ねました。
その人物の名は、ロバート・モーグ。言わずと知れた、モーグシンセサイザーの製作者です。そのモーグ博士に、ある注文を出しました。
「今度、新しいバンドを作って、ライブをやりたいんだ。そこで、いつでもどこでも、手軽に持ち歩けて、すぐに演奏できるシンセサイザーが欲しいんだけど、作ってくれる?」
その注文を受けて、モーグ博士は、わずか数オクターブの鍵盤に、あらかじめ作っておいたいくつかの音に切り替えられるスイッチ、パッチ・ケーブルがなくても、つまみとスイッチだけで手軽に音作りができる、そんな簡易的なシンセサイザーを製作いたしました。
そのシンセの試作品が出来上がった頃に、キースがまた訪ねてきて、そのシンセをちょこっと使うなり、なんと、そのまま持って帰ってしまいました。
そして、それを大きな箪笥のようなシンセサイザーとともにライブで使用。大盛況となりました。
で、実は、この小さなシンセを持って、モーグ博士は近所の楽器屋さんなどへと営業回りをするのですが、楽器屋さんからは、「こんなおもちゃ、うちの店におけるか!」と、けんもほろろの状態。ですが、キースがそのシンセをどんどんライブなどに使い続けたものですから、プロミュージシャンの間でいつしか評判となり、楽器屋さんに注文が殺到。で、楽器屋さんが逆に、「ぜひ、うちで取り扱わせてください」と願い出てくるようになったという、面白いエピソードがあったりします。(^^;;
そして、それがあの名機、ミニ・モーグの誕生秘話だったりします。この話を初めて聞いたとき、もうなんかワクワクしたりしまして。(^^;;
彼が、EL&Pとして、または、アニメ、「幻魔大戦(平井和正、石ノ森章太郎:原作 大友克洋:映画の原画担当)」などの音楽担当で製作した作品群は、これからも聴き継がれていくのでしょうけど、やはり、時代を経ても残る大仕事はやはり、このミニ・モーグ誕生に関わったことではないでしょうか?
今、大流行し、人気が出てる人やモノも、時代を経るにつれ、カッコ悪くて、忘れ去られた存在へと変わっていきます。もちろん、変わらず一定の評価の中にある人やモノもありますが、それはかなり稀有な存在です。
しかし、1980年代頃は、時代遅れのファッションアイテムだったロンドンブーツが、1990年代になりますと最先端のファッションアイテムとして再評価されたように、波があり、「時」という荒波にもまれながらも、生き残るものも存在する訳で、キースもミニ・モーグもそんな荒波にもまれながらも、光り続けてきた数少ない存在でした。
自分は、この世界に何を残せるのかな?
自分の掌には、いったい何が残るのかな?
そんなことを考えてしまう今日この頃。
偉大なプログレッシブ・アーティスト、キース・エマーソンの、ご冥福をお祈りいたします。
あぷりこっと