終戦放送 | Aprikos blogg

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おはようございます。(^^)


取り急ぎ、これだけでも…



終戦放送(玉音放送) YouTubeより。


1945年8月15日正午。

この放送を持って、朝鮮半島植民地化から始まった日本の長い戦争の時代が終了いたしました。

色んな番組などで、昭和天皇の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」の一文で有名な玉音放送(正式には、「終戦の詔勅」と言うのだそうです)。しかし、その文章は大変長く、陛下がポツダム宣言を受諾した経緯、その理由、そして、国民と歴代天皇への謝罪…その他もろもろの天皇陛下の思いが詰められています。

始めは、当時の欧米列強によって植民地化・不平等条約を結ばされていたアジア諸国を開放するという志からスタートした戦争。しかし、それはどこかで間違え、気づいたらアジア諸国からも憎しみを一身に浴びる存在となった日本…

それでも、多くの犠牲を払って暴走を続ける当時の軍部を誰かが止めなければ、さらなる悲劇が待っている。当時の昭和天皇とその側近たちはその為に極秘裏にこの放送の準備を行ったと、以前聞いたことがあります。

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戦争が始まる前には必ず、国の大きな志が提示されます。先のイラク戦争の時も、フセインの独裁政権からイラク国民を開放し、核兵器などの危険な兵器の開発・拡散を防ぎ、中東地域の安定と民主主義をもたらすというものだったかと。

ですが実際には、多くの無防備なイラク国民が犠牲になり、フセイン政権が倒れた後は、イスラム教の宗派の対立が激化。学校や職を失った若者は、麻薬に手を出して、更にこの機に乗じて過激なテロリストたちが横行し、多くの米兵を中心にした兵士たちが犠牲になった…

今もイラク国内政情は不安定で、平和がもたらされたとは言えない状態です。(--;;

9.11以降の、テロへの憎しみ、国民に対して圧制を行っている独裁者やその組織に対しての怒り。それらから解放され、誰もが笑顔で堂々と過ごせる平和な世の中。言いたいことも、したいことも出来て、自由に議論を交わすことの出来る世の中。

それは確かに素晴らしく、素敵なことですが、武力でそれを押し付けるのは、結局テロリストと変わらないのでは?

正義とはいったい何なのか?

一昨日ですか、イスラエルの高官が、原爆被害地に対して、酷い言葉を吐いて大問題になりました。中東の地を追われて2000年近く、ヨーロッパなどで差別と虐待の歴史をたどり、第二次大戦後に先祖の地で建国を行ったユダヤの人達が、人でなしな言葉を投げかけること自体、大変遺憾に思います。人と言うのはどこまでも愚かな存在なのでしょうか? これではパレスチナの人達とユダヤ人は永遠に仲良くなれないでしょうね。(--;;


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先の「耐え難きを…」の後には続きがあります。「以て万世の為に太平の世を切り開かんと欲す」と。

つまり、この文章の部分は、「耐え難く、また忍び難い思いを乗り越えて、未来永劫の為に平和な世の中を切り開きたいと思う」と言う天皇陛下の希望が盛り込まれています。

戦争を起こした国の長として、多くの人々や国家から憎しみの目を向けられることを覚悟で、この戦争を終結させ、未来へと向かっていこうと宣言し、国民に命令したこの放送は、その後の戦後復興の歴史を見ればその影響力がいかに大きかったかが理解できます。

私は右翼でもなんでもなく、東アジア諸国の日本への歴史問題に対しての批判について、どちらが正しいとかは言えません。ですが、それを一度横に置いて、昭和天皇を一人の人間として見つめ直した時、陛下の本当の願い・思いと言うものがこの放送の全文から見えてきまして、今一度、平和とは何なのか?と、考えてしまいました。


あぷりこっと
この放送の時は、放送局が出力を一気にアップさせたので、干渉ノイズが発生し、聴きづらかったと聞いています。ですので、放送内容のほとんどが聞き取れず、雰囲気などで戦争が終わったと感じた人たちが多かったのだそうです。(^^;;