ああ、阪神タイガース(大阪、方向音痴クエスト 番外編)その2 | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

こんばんは。アプリコットです。(^^)


いきなり、阪神タイガースファンの洗礼を受けてしまったお話の続きです。


更なる出来事が起こります。(^^;


本編の4番目のお話 でも出てきましたとおり、おじさんの住んでいるところは、大阪府のとある場所に建っていますマンションの8階にありました。この部屋は、近くのビルにより、日が入らないところであることも書きました。


私はこの部屋に通されました。そして、部屋の中にあったものは…


ペナントに、誰か分かりませんが、選手のポスター。HTのイニシャルで組み立てられたマークが入った野球帽に、黒黄の縦じまのハッピに黄色いメガホン…いわずと知れた、タイガーズファングッズです。


それらがたくさん、整然と並んだ部屋に私は驚きました。そして、いつかはオタ部屋(当時、私の個室なんて贅沢な部屋は持っていませんでした。物置を、まだここでは紹介していない「My sibling」と共有していました)を作りたいと思っていました私のお手本となってしまいました。(^^;


先ほどのタクシーでの様な件はさすがにこりごりですが、タイガースが本当に好きなんだなぁ、と、感心しました。


荷物を置き、お風呂に入り(ここでは、私にとって屈辱的とも言える事件が起こりますが、今回は割愛いたします)、学校のジャージ姿に着替えた私は、おじさんとテーブルを囲み、軽い晩御飯を食べました。おじさんは、ビールとおつまみを用意し、未成年の私は、オレンジジュース。


「どうや?初めての大阪は」と、おじさん。


「はい。もうびっくりすることばかりで…」それ以上言葉が出ない、私。


「ははは、ええ、ええ。でもこれくらいで驚いてたらアカン。世界はもっと広いんや!もっと、いろいろ体験せんとあかんでぇ。お山の大将になったらおしまいや!!」


正月に帰ってきて言ういつものおじさんの口癖が始まりました。とてもいい人ですし、その口癖は今でも私の心に響いていますが、いつも同じことを言われますと正直…疲れます(笑)。


その後、いろいろお話をしまして、おじさんはあるものを書棚から取り出しました。


「すまん、これ、ちょっとかけてくれるか?」


それは、阪神タイガースが日本一になったときに作られた記念ビデオでした。


1985年、吉田監督の下、バース選手や掛布選手、真弓選手、岡田選手らの「第2次ダイナマイト打線」が炸裂し、219本もの本塁打を出し、途中、日航機墜落事故により、当時の球団社長が亡くなるという悲劇を乗り越え、見事、日本一になったあの伝説の1年をまとめたビデオでした。


道頓堀に「カーネルおじさん」がダイブしたのがこの年です。(^^;


「これ観ながらビール飲むんがおっちゃんの楽しみでなぁ~。観たいテレビもあるやろけど、かけてくれるか?」と、私にそういいました。


私は言われるがまま、それをデッキに入れ、再生しました。


「おめでとう!日本一!!」と、どこかの番組のような(そういう番組が当時ありました)台詞と胴上げシーンから始まるそのビデオを、おじさんは上機嫌で、時々解説入りで見入っていました。


途中、マンションの階下から、大音響でマドンナの「Dress You Up」がかかり、ビデオの音声が聞きづらくなりましたが、「ええって、気にせんで」と、おじさんは受け流していました。


私は、そんなおじさんが何だかいいなぁ~と、そのときはそう思っていました。


そう、そのときまでは…


2時間ほどのビデオがようやく終わり、ビデオデッキは、巻き戻しを自動的に始めていました。画面は青くなっていました。


私は、チラッと新聞のテレビ欄を見ながら、おじさんと余韻を楽しんでいました。そしてしばらくして…


「ほな、2回目いこか」


??あのぉ~いったい何を…私がそう思っていますと、


「おい、何ボケっとしとるんやぁ。もいっかい、そのビデオかけてくれるかぁ」


ええ~っ! さっき、2時間も楽しんだじゃないですかぁ。


「それがおっちゃんのビールの肴なんやぁ。もう一回やぁ~!」


もう、顔は真っ赤で、目が据わっています。すっかり出来上がったおじさんは、そう叫んで私にビデオ再生を要求します。階下の音楽は「Danger Zone(ケニー・ロギンスのあの有名な曲)」に変わっていました。


そして、このトラキチの部屋も、デンジャーゾーンに変わっていました。


逃げ場のない私は、そのまま一晩中、大音響と、阪神タイガースのビデオと、おじさんの説教の嵐に晒されることになり、疲れは全然取れませんでした。


お し ま い


ヒマワリあぷりこっと


追記:テレビは次の日、早朝ジョギングの後(大阪にあんなに大きくてきれいな公園があるとはと、びっくりしたすばらしい朝でした。どこだったか、今では定かではありませんが…)、おじさんが出社した後、ゆっくり堪能しました。そのとき、ある若手の漫才コンビを知ることになります。

そのコンビは、当時、大阪で大変人気が出てきていました。しかし、翌年の新聞のインタビューで、東京へ進出しないと宣言していました。

ですが数年後、お昼のあの有名な長寿番組にレギュラー出演することになり、私をびっくりさせます。その後は、大人気となり、一人は、有名ミュージシャンとユニットを組んだり、有名アイドルとドラマの競演を果たし、もう一人は、本が大ヒットし、その後、映画監督にもなり、現在も大活躍しています。


そう、もうお分かりですよね。あの「ダウン・タウン」です。(^^)