一昨日は30度をうかがうような暑さから一転、昨日今日は一気に冬ですね(;^ω^)
きっと、あわてて衣替えしたら、またチョット暑くなるんでしょうね・・・
そもそも最近の天気は、異常気象は、という根本の原因は地球温暖化なのでしょうか?
自分はともかく、子供、孫の世代に対して、何をしたら、イイのでしょうか…(;^ω^)
さて・・・
そんなことが得意でも
何の役にも立たないよ。
1円にもならないし
誰も喜んでくれないよ。
こういうセリフを聞くと
むくむくと
反骨心が湧き起こってきます。
ただの石ころだって
漬物石になったりするのです。
何の役にも立たないなんて
逆に難しいではないか。
そんな確率は
ものすご~く、
ものすご~く小さいぞ。
・・・と反論したくなる。
この広い世界では
役に立たなさそうなものが、
うっかり
役に立ってしまうのです。
絶対に役に立たないと
証明するより・・・
何らかの役に立つと
証明するほうがはるかに簡単。
すべての得意には
居場所があるのです。
さてさて・・・
どうやら
才能がある人と、
才能がない人がいるらしい。
これを
否定しても
しょうがないと、
私は
思っています。
努力すれば
何とかなるとか。
限界を決めているのは
自分自身だとか。
そんなことを言う人たちは、
才能の定義が
狭いのだと感じます。
たとえば・・・
勉強が
できる才能。
ちょっと
勉強しただけで、
いつも
100点を取ることができる。
すごい才能だ!とか・・・。
きっと
それは、暗記という才能ですよね。
でも
勉強の才能は
それだけでは、ありません。
たとえば・・・
昆虫の
ちょっとした個体差を
見分けることができるとか。
むつかしい実験を
苦もなくやってのけるとか。
表情から
感情を瞬時に
読み取ってしまうとか。
色の組み合わせに
すごいセンスがあるとか。
そんなものは
勉強じゃない?
それが
薄いと
言っているのです。
子供の時は
テストの点数。
大人になったら
稼ぎの金額。
その数値が
大きいことが
才能であると。
とても、
とても、
狭い世界でしか・・・
才能を
語ろうとしない。
だから
先のような言葉が
出てくるのです。
テストが苦手です。
勉強が苦手です。
・・・という人たちに、
そんなものは
自分で
決めているだけだ。
まだまだ
努力が
足りないのだ。・・・と。
あなただって
100点取れる。
あなただって
売れる営業マンになれる。
確かに
努力すれば、
今よりはできるようになるでしょう。
でも・・・
それは
正しい
努力なのでしょうか。
才能を
狭い範囲で
捉えてしまう。
それこそが
才能を
殺してしまう行為だと、
気がついて欲しい。
とくに
子供を育てる親や、
先生たちに。
穴が
あるということは・・・
そこには・・・
何もないということ
だったりします。
だけど・・・
穴が
役に立つ
ことだってある。
ないことが
あることに勝る時もあるのです。
人には
生まれ持った才能がある。
これは
誰もが
認める事実です。
重要なのは
才能の定義です。
学力や売上では
測れない才能。
そういうものが
無数に存在するのです。
才能とは
個性に他なりません。
その個性は
誰の
どういう役に
立つのか。
求める相手と繋がったとき・・・
きっと・・・
個性は
才能として
光り輝くのです。
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