成功者 は、間違いなく
「よし、やろう!」と思った人である。





大学の成績 がよかったから成功する訳ではない。

むしろ、なまじ学校勉強 すると、
本来持っているセンスが鈍ることもある。

頭で考えようとするから、感覚が麻痺するのだ。

これは、高学歴社会の弊害だと思う
 

「やってみようかな」と思う人は沢山います。

「成功するには○○すればいいんです」という人も沢山います。

でも、知っているということと、

分かったということは、

実行したこととは、違います。


夢を夢見る人、

夢を諦めた人は沢山いますが、

夢の為に一歩踏み出す人はほんの僅かです。


あなたの夢が魅力的 ならば、まず第一歩を踏み出しましょう。

その一歩が、奇跡への第一歩となるのです。


成功した人ほど、失敗 の数も人の何倍もあります。

失敗 を恐れるのではなく、

失敗 からヒントを得る人が成功するのです。

家族 のため、部下のため、

そして自分自身のため、

目的 は違えども人は誰しも成長したいと願う。




願うだけでまったく努力をしない人もいるが、
たいていの人は願いが強ければ
その人なりに精一杯の努力をするものだ。

しかし、努力をした人が必ずしも成長という果実を
手に入れられるとは限らない。

思いつく限りの努力をし、サボることもせずに
目の前の階段を一歩一歩着実に上りつづけてきた。

しかし、いつまでたっても次の階にたどり着くことができない。

そんな人のなんと多いことか。
このような状態が長く続くと
人間はいつしか階段を上ることすらあきらめてしまう。

そして、なんとなく日々の仕事 をこなし続ける無気力状態に
突入するのである。

成長することをあきらめてはいけない。

成長できるかどうかは才能ではない。

人は誰でも必ず成長できるようにできている。

では、成長できる人とできない人の違いは何か。
階段を上るスピードか、それとも上る方法が違うのか。

いや、答えはそのどちらでもない。

実は成長できる人は最初から違う階段を上っている、
ただそれだけのことなのだ。

あなたがとてもまじめな人で、
あきらめずに何年も、
何十年も階段を上り続けてきたのだとしたら、
そしてそれでも成長を実感できないのだとしたら、
あなたは階段の選択を間違えている。

成長するためには別の階段を探さなくてはならない。

では、別の階段を探すために、
まずしなくてはならないことはなにか。

それは、今いる階段を下りることである。

気の遠くなるような話だ。
せっかくここまで上ってきた階段を下りなくてはならない。

今までの努力は何だったのか。
誰もがそう感じる。

しかし、成長できる人とできない人の差はここで決まるのだ。

成長できる人は正しい階段を見つける天才 なのではない。

彼らも同じように間違った階段を何度も上っているのだ。

彼らの違いは階段を上る速度ではなく下る速度だ。

彼らは何の躊躇もなく階段を下り始める。
しかも、一歩一歩下りるようなことはしない。
その場からまっ逆さまに飛び降りてしまうのだ。

成長とは何か。

それは言い換えれば自分を捨てる勇気である。
人は成長のために、まず得ることを考える。
本を読んで知識を得たり、研修を受けてスキルを得たり、
得ることによって成長しようとする。
しかし、それは間違えた階段を上り続けているのと同じだ。

今のあなたが少しばかりの知識やスキルをつけたとしても
決して本当の成長にはたどり着かない。
スキルアップ と成長とは違うのだ。

成長とは変化することである。
得ることによって人は変化しない。

人は捨てることによりはじめて変化するのだ。

あなたは自分の常識 や価値観、
知識やスキルを捨てることができるだろうか。

捨てる勇気を持つこと、それが成長への第一歩である。

どうせ捨てるのなら未練がましく捨てるのではなく、
思い切って階段から飛び降りるように
ぱっと一気に捨ててしまおう。

その瞬間に、
あなたは今までにない何かを必ず手に入れていることだろう。

○ 居心地の悪さに耐えられる人

× 居心地の良さを求める人

ちょっと変わった表現のポイントですが、

これは、「新しいことにチャレンジできる人かどうか」を
表したものです。

「今は変化の激しい時代だから、
 自分も常に変えていかなければならない」

と、よく言われますが、

現実には、「自分を変える」というのは、
とても難しいことです。

今がどん底にあるのなら、開き直って変化を求めることは、
逆に簡単なのですが、今が比較的うまくいっている場合、
それをわざわざ「崩す」ことには、大きな抵抗があるものです。

しかし、
現在の日本 が以前とは大きく変わりつつあることは、
まぎれもない事実です。




安定した経済成長と、
それを前提とした安定した雇用 や老後の保障、
こつこつ貯金して郵便局や銀行に預けておけば
金利と合わせて一財産になった資金運用、
ローンを組んで住宅を買っても、
昇給とインフレとで無理なくできた返済など、
これまで当然の前提としてあったものが、
急速に失われつつあります。

そして、新しいことを始めるのに
不安や恐れの気持ちが強すぎて、
今までのやり方にしがみついていたのでは、
状況は悪くなっていくばかりです。
新しい時代には、
新しいやり方を、学び 、考えなければなりません。

そして、勇気を持って、それを実行しなければなりません。

その際には、
どうしても「居心地の悪い時期」というものを、
経験せざるを得ないでしょう。
しかし、これを乗り切ることが、
新しい時代に適応できる、
新しい自分を作ることにつながるのです。

賢い人は、
いつも「居心地の良い状態」でいようとは思いません。
新しいことに積極的にチャレンジし、
そこで一時的に生じる「居心地の悪い状態」にも、
じっと耐えることができるのです。

ブルース ・スプリング スティーンは、
「明日なき暴走」で一躍有名になった当時は
そのイメージ とはまったく正反対の
「レーガン の片棒担ぎ」という予期せぬ幻影を
背負い込んでしまい苦しむことになります。

未だに、彼のことを星条旗を振り回すマッチョなヒーロー
ロック 版ランボーだと思っている人がいるかもしれません。
もとはと言えば、
その誤解は彼の大ヒット アルバム「ボーン・イン・ザ・USA」
(1984年)のビデオ・クリップと
それが放映された時代によって生み出されたものでした。




ちょうどそのアルバムが発表されたころ、
1980年代前半は、
生まれたばかりのMTVが世界中でブームを迎えていました。
数多くの斬新な映像作品が生み出され、
アーティスト たちはみな優れた映像を求めて
血眼になっていました。
こうして、音楽 と同時に映像への関心 が高まったのは
良かったのですが、映像のインパクトがあまりにも強すぎて、
原曲のイメージ を大きく変えてしまう場合もありました。
その代表作とも言えるのが、「ボーン・イン・ザ・USA」でした。

時代は、レーガン 政権のまっただ中、
アメリカ はかつての威信を回復するべく、
政治だけでなく文化 、風俗までが右へ右へと傾いていました。
映画 界では、レーガン 大統領大喜びの作品群、
「ロッキー2」「ランボー」「トップ・ガン 」など、
恥ずかしいほどの右より愛国ドラマ が大ヒット
その影では、福祉予算 の削減などによる
弱者の切り捨てが着々と行われ、
再び人種差別の問題も浮上し始めていました。
そこに現れた星条旗を背に力強く歌われる
「俺はアメリカ 生まれだぜ!」という
パワフルなロック ンロール。
これが、一連の愛国精神高揚の作品群と一緒にされることは
仕方のないことだったのかもしれません。

かつて、1969年に「パットン大戦車軍団」という
アメリカ 映画 がありました。
第二次世界大戦におけるアメリカ 軍のヒーロー
パットン将軍の半生を描いたその作品は、
主演のジョージ・C・スコットがアカデミー 主演男優賞を獲った
戦争映画 の名作です。
この作品のもっとも有名なシーンが、
最初と最後に行われるパットン将軍の演説の場面なのですが、
そのバックにはためいていたのが、巨大な星条旗でした。
しかし、この作品は、
決して好戦的な右より映画 ではありませんでした。
かつて戦争のヒーロー と呼ばれていた人物が、
実は人間的に崩壊寸前の精神状態だったという、
戦争の現実をとらえた優れた人間ドラマ でした。
しかし、あまりにも有名になってしまった
星条旗を前にした演説のシーンは、
映画 全体のイメージ をも変えるほどのインパクトだったことは
確かです。
そして、「ボーン・イン・ザ・USA」の場合、
星条旗が与えたイメージ は、
それとは比べものにならない大きさだったようです。

俺はこの町で小さな問題を起こし
彼らは俺の手にライフルを握らせ
外国へ送り込んだ
黄色人種を殺すために

U.S.A.で生まれた
俺は、U.S.A.の敗残者だ…
            
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」より

もちろん、ブルース ・スプリング スティーンという人物が
「俺はアメリカ に生まれた。だから俺は国のために闘うぜ!」
なんていうことを歌うわけはない。
その歌詞は、そんな右よりイメージ とは
まったく違っていました。

(「こんなダメな国だけど、
 それでも俺はこの国で生まれたんだ」
 と言う感じでしょう)

しかし、ランボーとイイ勝負の
スプリング スティーンの肉体と
強烈な星条旗のインパクトは、
そんな歌詞などどこかに吹き飛ばしてしまいました。
おまけに彼は自分のプライベートについては、
いっさい公表することを避けていました。
インタビューもほとんど受けることがなく、
これもまた、彼の間違ったイメージ 作りに
一役買ってしまったようです。

こうして彼は、一躍シルベスター・スタローン、
トム・クルーズ と並ぶ
アメリカ の肉体派ヒーロー に祭り上げられてしまいました。

1982年の作品「ネブラスカ 」で、
トルーマン・カポーティーの傑作小説 「冷血」を思わせる
暗いリアリズム ・タッチにより、
アメリカ の影の部分を歌い(実際にあった無差別殺人者の物語)
新しい世界を築きつつあった彼は、
その後さらにメッセージ性を打ち出すようになって行きます。
それはまるで、自らが生みだしてしまった
誤ったイメージ を振り払おうとするかのようでした。

「トンネル・オブ・ラブ」では、
同時期に明らかになった自らの結婚 生活の崩壊と
重ね合わせるように、
愛についての疑惑を歌いました。

「ボーン・イン・ザ・USA」に限らず、
「闇に吼える街」、「リバー」etc 
彼は、私生活が作品に現れてしまうロッカーです。
だからこそ、LIVEと作品のみで
評価して欲しかったのでしょう・・・

「The Ghost Of Tom Jodo」では、
1930年代大不況時代の労働者の苦しみを描いた
ジョン・スタイ ンベックの名作「怒りのぶどう」を
下敷きとして、
現代の労働者たち、移民たちの苦しみを描き、
現代アメリカ の問題点を鋭くついています。

どの作品も正直ではあるが、
けっしてポップな作品ではありませんでした。
それでも今まで築き上げてきた人気のおかげで、
売上はしっかりと稼ぐことはできました。
その点彼は、非常に恵まれていたといえるでしょう。

そして、これこそ彼が長年にわたってコツコツと続けてきた
ライブ 活動の成果でした。

プライベートについては、
いっさい公表していなかったブルース ですが、
その代わり彼はデビュー 以来ライブ 活動を最重視する
姿勢を変えていませんでした。
ライブ で直接観客に自分を見てもらうことこそ、
最も正確に自分を理解してもらうことにつながるという
信念 があったのです。

彼の長年のライブ 活動の集大成、
CD 3枚組のライブ ・アルバム「ザ・ライブ 」には、
そんな彼の思いが込められています。
そして、この姿勢を貫いてきたからこそ、
彼が背負い込んでしまった間違ったイメージ も、
多くのファンのおかげで少しずつぬぐい去ることが
できたのかもしれません。

I Love Boss.



「内部障害・内部疾患」というハンディが

この国ではまだ充分に認識されていません。

身体に不自由があっても、

外観からは判らないため

“自宅で”

電車 の中で”

学校 で”

“職場で”

“スーパーで”

「辛い、しんどい」と声に出せず我慢している人がいます。

一般社会にそんな人々の存在を視覚的に示し、

理解の第一歩とするため、

このマークは生まれました。

 病名、症状、障害団体の枠を超え、広がっています。

全てのことには意味がある。

地球が丸いのも、太陽が眩しいのも、
犬がワンと鳴くことにも意味がある。

豚肉を焼けば「焼き豚」となり、
鶏肉を焼けば「やきとり」となるのに、
なぜか牛肉を焼くと「焼き牛」ではなく「焼肉」となる、
などというつ まらないことにも意味があるのだ。

言っておくが、私は頭がおかしくなったわけではない。
(多少変わったところがあるかもしれないが・・・)

意味を考えることの重要性を語っているのである。

たとえば、りんごが木から落ちるのを見て「なぜだ?」
と考えたから万有引力が発見 できたのであるし、

鳥が飛ぶのを見て「なぜだ?」
と考えたから飛行機 ができたのだ。

世の中の発明や発見 はすべて、
当たり前のことに「なぜだ?」
という疑問を持つことから誕生している。
(世間では問題意識と言うらしい)

発明や発見 に限らず、人間の成長には「意味を考える」
という要素が欠かせない。

たとえば、
不幸にも事故や病気で親や友人を早くに亡くした人は、
「生きることの意味」を深く考えた経験があるはずだ。

その結果、「生きがいのある人生」を
真剣に考えるようになるのではないか。

何事にも「なぜだろう」という意味を考えることに
時間を費やしてきた人は、共通して思考がとても深い。

飛びぬけたスポーツ 選手
経営者 などが総じて思考が深いのは、
ひとつの事柄の意味を深く考え続けてきたことの証である。
(恩師は10年一生懸命やれば何でも哲学だ!と言ってた。)

思考の深さは、
その人の視野を広げるだけでなく器をも大きく育て、
人を惹きつける力を生み出すことになる。

仕事 をする上でも意味を考えながら業務をこなしたり、
相手の意図を考えながら
アドバイスを聞いたりする習慣 がとても大事だ。

「なぜこの人は自分にこんなことを言うのか。」

「何のためにこの部署は存在しているのか。」

「今やっている仕事 にはどういう意味があるのか。」

などというように、

考えてから行動する習慣
飛躍的に仕事 の質と効率を高めていくことになる。





人生においても意味を考えることはとても重要である。

なぜ学校 に行くのか。
なぜ働くのか。何のために生きているのか。

ほとんどの人は、そんなことは深く考えずに日々暮らしている。
考えることに意味がないと思っている人もいるし、
そんなことを考えている余裕がないという人もいるだろう。
しかし、これらの日常的な現象の意味を考えることが
本当は一番重要なのである。


なぜ働くのか。
その答えは何百通りもある。

その数多くの答えの中からどれを選択するのかによって
人生における仕事 の価値は変わる。

つらい仕事 が楽しくなり、
つまらない仕事 が人生を賭けるに値するものになる。

結局、仕事 のやりがいや人生の充実感は置かれた状況ではなく、
自分自身の意味づけによって作り上げられているのである。

目に見える現実はひとつだけ。
しかし、その意味は無限に存在する。

その無限に存在する意味の中から何を選択するのかによって
人生そのものの価値は激変する。


つまらない人生か、
それとも価値のある人生なのか・・・



選んでいるのは神様ではなく

自分自身のはず・・・



会社で働くなら智恵を出せ。


智恵のないものは汗を出せ。


汗もでないものは静かに去って行け。



      by 土光 敏男

夢や目標 を実現できる人と、できない人がいます。

「両者の決定的な違いはどこにあるのだろう?」

と考え続けてきました。

最近その決定的な違いがわかりました。

それは、習慣 にあるということでした。





夢や目標 を実現させる人は、

その実現に必要な習慣 を身に付けています。

要するに、砂時計の砂が落ちるように

コツコツ毎日夢や目標 に向かって努力して

進んでいくしかないのです。


みんなそのことはわかっています。

ただ、違いはそれができるかできないかです。

つまり、夢や目標 を実現できる習慣 を身に付け、

毎日自然に実践 しているかだと思います。

この「自然に実践 する」が大事です。

無理して実践 しようとしても長続きしないからです。


ですので、自分の好きなことを選ばなければ

ストレス やフラストレーションがたまり、

頑張り続けられません。


人生は長いので好きな道を進まなければ、

途中であきらめてしまいます。

怯んでいるうちに、競争相手に追い越されてしまいます。


他人と比較し始めたら、負けの要因 を作っていると思います。

要は、昨日の自分、今日の自分、明日の自分を比較し、

毎日少しずつでも、匍匐前進のようにでも

前進していくことが成功への道ではないでしょうか。


早く好きな道を見つけ、

楽しみながら日々自分のペースで直進していれば、

成功の確率はかなり高くなるはずです。


最後の成功の鍵は、それを習慣化 し、

毎日確実にやるべきことを出来る限りこなしていくことです。


例えば、サラリーマン で毎日忙しいにもかかわらず

司法試験に受かりたければ、

早朝に起き時間を作って勉強 するなど、

成功するなんらかの習慣実践 しなければ結果は出ません。

「何もしなければ、何も変わらない」はずです。


そのように勝てる習慣 を身に付けていなければ、

負けること間違いないわけですから、

1日も早く勝てる習慣実践 すべきです。

ただ、嫌なことは最終的には長続きしない、

つまり習慣化 できませんので、好きなこと(方法)を選び、

それを習慣化 させるようにしましょう。


先ほどの司法試験の勉強 も、

例えば人助けや人が作る規則である法律を好きになれれば、

楽しみながらできる可能性大です。

楽しみながら受験 勉強 する方法も、見つけられるはずです。

ただ単なる法律の専門家になるため、

やらなければならない受験 勉強 としてやっていれば、

なかなか勉強 も進まないでしょうし、

まず合格しないでしょう。


「苦しい努力の中に真の楽しさがある」

というのが、私のかねてからの人生観であり実感ですが、

好きな夢や目標 を立てて努力していれば、

生きる意義や楽しみが味わえると思います。

要はその努力を習慣化 し楽しみながら頑張れるかどうかです。

それでは、どうしたらそのような習慣化

楽しみながらできるかです。

まず楽しい夢や目標 を立て、

楽しく日々努力できる方法を見出し、

楽しみながら実行することで

それを習慣化 させることではないでしょうか。

ぜひ自分流の勝てる習慣化 をしてみませんか?


成功した方々を見ていると、

それを見事にやってのけているので、

身近に成功者 がいたら観察してみてください。

できれば真似できるところは真似してみて下さい。

思わぬ成果が出ると思います。

NHK ボランティアネット には、

全国の関連団体から寄せられた

すぐに役立つボランティア情報 が満載。





今日すぐに参加できるボランティア活動や、

あなたをみがく各種の講座やイベントの情報

ボランティアの基礎 知識を引き出すこともできます。


NHK さんも頑張っているんですけどねえ・・・


 NHK ボランティアネット

http://www.nhk.or.jp/nhkvnet/top.html


現在四輪の普通免許で 
最大積載量5トン未満まででなおかつ 
車両総重量が8トン以内の車までは運転出来る
というのはわりと知られていることですが

俗に言う4t車を、普通免許だけでは 
運転出来なくなる可能性がとっても高いというのです・・・
(既に持っている人は従来の権益が守られるそう・・・)

中型免許を新たに創設の記事を読むとわかるのですが
普通免許だけで 
ここまで大きなトラック 等を運転出来る今 
かなり事故が多いそうで
普通免許で運転出来る大きさを制限する為に
中型自動車免許の審議が進んでいるということです・・・

その提案によると 
普通免許で運転出来るサイズを 
総重量5トン未満までにするという事  
総重量が5トン未満という事は 
現在普通免許で運転出来る 4t車は総重量を加えると 
5トンを越えてしまうだろうから、新たな普通免許取得者は、
4t車が運転出来なくなってしまう。

最大積載量の数字を下げれば、
総重量が5トンを越えないから 
大きいトラック でも運転出来るが 
大きいトラック で規制をクリアする為に
わざわざ最大積載量を減らしてもバカらしいし・・・
 
まあ、大型免許ぐらいは持っておいた方が良いかも・・・