椒房庵 釣り子めんたいこ
「福岡出身者は、明太子には、
ちょっとうるさかとです」
明太子通が求める極めつきは、
「釣り子めんたいこ」
とにかく、スンゴイ旨さです。
本当の味をご賞味下さい。
価格:2625円 送料別途 (175g 木箱詰め)
椒房庵 http://www.shobo-an.co.jp/
プリウスの特徴は、
なんと言っても、その動力システムが、
ハイブリッドであることです。
ハイブリッドというのは、異種の交配種、混血という意味で、
2つ以上の異なるものを
組み合わせたものを表現する言葉ですが、
プリウスの場合は、ガソリン
エンジンと、
電気モーターという組み合わせですね。
このハイブリッドシステムは、
動力分配機構として、プラネタリーギア
(真ん中にサンギアを置き、遊星ギア、
外側にリング
ギアという3組のギアを組み合わせる特殊なギア)
を使っているのが、キーポイントです。
つまり、3系列のギアがそれぞれ、
発電機(回生ブレーキ)、エンジン、
モーター=タイ
ヤと連動して、
複雑な動きをすべてこのギアで
コントロ
ールできるようになっています。
たとえば、タイ
ヤが停止していても、
エンジンを動かし、発電が可能だし、
エンジンが停止のままでも、モータだけで発進可能だし、
また、エンジンとモータの両方を動かして
強いトルクを発生させ、スピードを上げることができます。
逆に、減速のためには、エンジン停止のまま、
タイ
ヤと直結させて発電機を回して蓄電
(エネルギー
回収)するのが、そのままブレーキになります。
これを全部コンピュータ
で制御して行っているのがすごい。
つまり、プリウスは、ロボットカーなのですね。
このほか、室内パッケージ
の魅力をあげる人も多いです。
コンパクトな外見からは想像がつかないほど広大な室内、
センターメータ、コラム式ギアレバー、
椅子の位置が高めで座りやすく、
視点も天井も高いことなどです。
さらに、静粛性はピカイチで、
停止時のアイドリング
ストップとあいまって
別次元の静けさですね。
実際、初めて乗って、大きな交差点の右折車線では、
「エンジンが止まる」事に、思わず鳥肌
がたちました。
もっと知りたい人にためには、
多くの書籍や資料のページがあります。
また、トヨタ
のHP
も技術情報
の宝庫です。
そのうち、社用車として購入しようと思います。
トヨタ自動車
は、
車載用の無線ネットワーク
情報
サービス「G-BOOK」を拡充、
「CD
MA2000 1x EV-DO」を用いた専用通信機を搭載する
「G-BOOK ALPHA(ジーブック アルファ)」を発表した。
緊急事態発生時に、
迅速に救助を求める「ヘルプネット
」を標準装備するとともに、
音楽
を車内でオンデマンド
購入できるカーオーディオ
システムを
新たに採用した。
新サービスは今後、
「G-BOOK ALPHA対応ナビゲーションシステム」搭載車向けに
提供を開始する。
「G-BOOK ALPHA」の最大の特徴である「ヘルプネット
」は、
交通事故や運転者の急病などの場合、
通報ボタンを押すと、
ヘルプネット
センターのオペレーターにつながり、
車内に設置したマイクによる通話で、
救急車などの出動を要請できる。
さらに、車両の位置情報
や事故発生直前までの走行軌跡データ
が
自動送信され、オペレーターが所轄の警察や消防に回線を接続、
事故の状況を伝え、素早い対応が可能になるという。
また、今夏以降に発売する一部の新型車向けには、
エアバッグ
が作動するとオペレーターに自動接続、
応答がなければ乗務者は意識不明と判断され、
オペレーターが救急車を呼ぶ、
というシステムを標準装備する。
同社によれば、呼吸停止状態になるケースの場合、
事故発生から通報、救急車到着までの経過時間が15分では
死亡率が90%だったが、
これを9分に短縮すると、救命率は65%高くなるという。
当初「G-BOOK ALPHA」が搭載されるのは高級車が中心になるが、
同社はいずれ、中・小型車にも広げていく考えだ。
今回のサービスの中核
となる
「G-BOOK ALPHA専用DCM(Data Communic
ation Module)」は、
KDDI
が展開する第3世代通信方式「CD
MA2000 1x EV-DO」を採用、
データ
通信速度は、「CD
MA2000 1x」を使用した
従来のDCMと比較すると、最高
で16倍の2.4Mbpsとなる。
データ
通信、「ヘルプネット
」のほか、
音声通話付の利用契約をすれば、
ハンズフリー自動車電話
機能も利用できる。
また、「G-BOOK ALPHA」では、
携帯電話
を通信機として利用することもでき、
Bluetoothに対応した携帯電話
かアダプタ
ーがあれば、
「G-BOOK ALPHA」のサービスを利用可能となる。
ただし、エアバッグ
連動の「ヘルプネット
」と
盗難検知・追跡サービスは利用できない。
エンターテインメントの点では、
オンデマンド
カーオーディオ
を導入、
デジタル
著作権
保護システム
「G-DRM(Digital Rights Management)」を活用した。
車を出荷する時点で、
暗号化した音楽
データ
1万曲以上をHDD
にインストール
、
ユーザー
は、聴きたい楽曲のライセンスキーを
ダウンロード
購入すれば、データ
を複合して、曲を聴ける。
また、ニュース
、天気予報、グルメ、映画
、宿泊施設など
多彩な情報
コンテンツ
の提供サービスでは、
オペレーターに音声通話で情報
検索や配信を依頼できる機能を
追加した。
音楽
配信システム「G-SOUND」では、
ポップミュージックからクラシック
音楽
までをそろえ、
試聴(40秒・無料
)も1曲3回まで可能。
ライセンスの購入価格は、1曲当たり1日限定で30~80円、
無制限で100~300円程度。
定期的に無償配付されるメンテナンス
CD
を、
ナビゲーションシステムのCD
ドライブ
に挿入すれば
楽曲データ
の追加更新が可能だ。
カラオケを楽しめる「AU
TOLIVEカラオケ」では、
1カ月間700円程度の定額で、
インストール
されている曲を何回でも利用でき、
ネットワーク
からのダウンロード
で追加更新する。
さらに、高度道路交通システムの
「VIC
S(Vehic
le Information and Communic
ation System)」の
交通情報
と過去の統計データ
を基に、
同社が開発した独自アルゴリズム
を使用した
「3レンジ複合予測方式」で道路状況を予測し、
渋滞を回避できるルートを探し出す「Gルート探索」を
新たに採用する。
「3レンジ複合予測方式」は、
現在の流れから予測する「ショート
レンジ予測」、
現時点の状況と似た過去の結果を考慮して
将来を見通す「ミドルレンジ予測」、
現状を考慮せず、過去の渋滞を基に推定する
「ロングレンジ予測」を組み合わせた手法だ。
このほか、従来の「G-BOOK」にも備えている、
盗難検知・追跡サービスを強化、
夏以降に発売する一部の新型車向けには、
ドアロック
の閉め忘れを携帯電話
にメール
で通知するサービスを
追加する。
サービスの利用料については、
携帯電話
を利用する「A」、DCMを用いる「B」、
「B」にハンズフリー自動車電話
機能を付加した条件で、
au
ユーザー
向けの「C」、非au
ユーザー
向けの「D」を
用意している。
基本利用料は、
新車初年度の場合「A」「B」「C」は無料
、
「D」は年間2万1,000円、
継続および中途契約は
「A」が同3,600円、
「B」が同1万2,000円、
「C」が同1万8,000円、
「D」は同3万3,000円。
同社の豊田章男専務は
「車載用の通信システムは従来、交通情報
や、
娯楽関連の情報
が主流だった。
高機能携帯電話
とカーナビ
が普及した日本
の
独特の潮流といえる。
しかし、こうしたシステムの可能性はまだほかにもあり、
欧米では、事故発生時の自動通報機能が装備される傾向にある。
(このような仕組みには)
事故が起きても壊れない堅牢なものが必要で、
携帯電話
の延長線上にある発想では限界がある。
今回のシステムには、
「一人でも多くの命と車が守れるように」
との願いを込めた」と述べている。
■2003年11月10日発売 サッカー
クリニック(12月号)
日本人
コーチ
が見たオシム・スタイル
より
日本人
コーチ
に即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、
選手
にもそれが欠ける。
コーチ
が本や紙を見ながらやっているうちに
選手
には違う現象が起こっている。
その現象を見てコーチ
が判断する。
サッカー
はそういうスポーツ
。
コーチ
が変わらないと選手
は変わらない。
(中略)
創造性に欠ける指導者はヨーロッパにもいる。
そういう指導者からは、創造性に欠ける選手
しか生まれない。
文化
、教 育、世情、社会に左右されることはよくない。
サッカー
は普遍的なもの。
そして、
常に変わっていくから
コーチ
も常に変わっていく必要がある。
名将かく語りき・・・
「起業
プロセス
においては失敗
が法則であり、
決して例外ではない」
「失敗
の法則」とは・・・
そもそもベンチャー
ビジネス
や
新規事業のコンセプト
ってやつは、
・実践
と研究
の衝突(collisions)
やってみる、検証する、考える、またやってみる・・・
・Happiness is a positive cash flow
(明確なキャッシュフロー
があることが幸福を意味する)
先行投資はもちろん必要だけれども、ギャンブルでなく
明確な裏付けや確信が必要・・・
・起業
機会(Chance)の発見
(Discovery)と創出(Creation)
の三つです。
先ず可能性(チャンス)があること、それを見つけるか、
創り出せるか・・・
成功と失敗
の分れ目は「何をやるか」ではなくて
「何故やるか」だと思います。
コツコツと常に身の丈にあったキャッシュ
を廻しながら、
チャンス(機会)と出会い、勝負に出る時に成功します。
創業から常にキャッシュ
が足りない状態で
苦しんでいる起業家
が、
マイナスを一発逆転でプラスにしようとした時、失敗
します。
日々積み重なる赤字・・・
目減りするキャッシュフロー
・・・
一発逆転の誘惑が、どこからともなく耳をくすぐります。
自身の給与先送り、社員給与の当日振込み、家庭不和・・・
常にお金
が足りていること。廻せること。
起業家
にとってこれ以上の幸せはありません。
あとは、地に足をつけて、信念
に沿って
ヤリきる事です。
ウチの会社も漸く会社らしくなってきました。
世の中の総ての人にHappy
を!
今日もガンバ
ロウ!!
三十八歳という若さで
日本
を代表する企業
の人事課長に抜擢された
エリート・橋田浩介。
彼は、男に絡まれていたところを助けたことがきっかけで、
短大生・中平香折と知り合う。
社内での派閥抗争に翻弄されるなか、
橋田にとって彼女
の存在は日増しに大きくなっていった。
橋田は、香折との交流を通じて、
これまでの自分の存在意義に疑問を感じ、
本当に大切なことを見いだしていくのだった…。
混沌とした現代社会の中で真に必要とされるものは何かを問う、
新たなる物語。
各紙誌書評で絶賛と感動
の声を集めた気鋭のデビュー
作、
待望の文庫化。
腹巻部分につられ、「一瞬の夏」みたいに良ければ・・・
と思い購入。
さて、まったくのノーマークだった一文氏の作品だが、
読み始めて止まらなくなり、一気に読了してしまった。
改めてネット
で検索してみると、
随分と話題になった作品のようである。
主人公の浩介を取り巻く、仕事
、恋人、
そして香折という3つが上手く交差しあい、
絶妙のバランスを保ちながら展開していく。
ビジネス
と恋愛とを扱った作品といえば、
佐々木譲の『屈折率』を思い出すが、
それぞれの割合が崩れてしまうと、
とたんにつまらなくなってしまう。
本書はビジネス
と恋愛という
アンバランスな中から生まれてきた名著だと思う。
まずは、ビジネス
シーンから。大手
企業
の社長に眼をかけられ、
エリートの道をまっしぐらに歩く浩介。
脇目もふらずという表現がぴったりのワーカホリックである。
経営企画畑から人事課長に異動となり、
さらに出世が期待
されるのだが、
過去に犯した不正から一転して危機に陥ってしまう。
この急転直下ぶりに少し落ち込んでしまった。
不正を犯したのだから仕方が無いのだが、
一所懸命会社に尽くしてきた代償がコレかと思うと
やりきれない。
たまたま仕事
が行き詰っていたこともあるのだろうが、
中盤は読み進めるのがしんどかった。
その前後に、人事課長として面接した少女が香折である。
母親と兄から酷い虐待を受け、薬なしでは眠れない少女。
自分とはかけ離れた環境に育った香折になぜか共感し、
香折を救おうとする浩介。
香折の常軌を逸した行動がリアルに描かれており、
ここも読んでいて辛くなる部分である。
しかし、香折は直接的な恋愛の対象ではない。
浩介自身、作中で兄のような存在と語っている。
そんな浩介の恋人として登場するのが瑠衣である。
モデル
並のスタイル
とルックスで、性格もよく、
料理
も上手いという欠点のない女性
。
ちょっとこのあたりが出来過ぎのような気もしないでもないが、
まぁ作者の好みなのであろう。
一方、浩介も東大法学部卒でルックスもいいエリート。
大胆な性描写のシーンもいやらしくなく、
むしろ二人の親密度が伝わってくる。
こんな理想のカップルなのだが、そう旨くは進まない・・・。
仕事
に疲れ、恋にも疲れたときに人が求めるもの。
本書のテーマは「無償の愛」だと思う。
求めるのではなく与える愛。
ハッピー
エンドでない恋愛小説
は、
いや、そもそも恋愛小説
自体が苦手なのだが、
思わず◎の高評価をつけてしまった。
そういえば食わず嫌いの『世界の中心で、愛を叫ぶ』だが、
こちらも感動
できるだろうか?
たまには恋愛小説
もいいもんだと思わせてくれた作品。
ビジネス
シーンも読み応えあり。
フランツ・ベッケンバウアーは楽観主義者である。
彼の周りの人間はそれを知っているし、
彼自身もそれを自覚している。
それでいて、その楽観主義者は数多くの栄光を手にしてきた。
フランツ少年は第2次世界大戦終戦後、
1945年9月11日にミュンヘンのジーギングに生まれた。
戦争はドイツの敗戦をもって終了し、
人々は敗戦のショックに打ちひしがれながらも、
復興に向けて忙しい日々を送っていた。
フランツの父は郵便局の局長という
安定した職に就いていたので、
簡素ながらも平和
な少年時代を過ごす事が出来た。
1954年、フランツ8歳の時、一つの転機が訪れる。
1950年にブラジルで行われたワールドカップへの参加を
認められなかった西ドイツが、
そのわずか4年後にスイスで行われたワールドカップで
優勝を果たしたのである。
それも当時世界最強を誇ったハンガリー代表を下しての
優勝だっただけに、
西ドイツ国民はこの勝利に大いに勇気付けられた。
フランツ少年はこの大会で活躍を見せた
1.FCカイザースラウテルンのエースで自国代表のキャプテン、
フリッツ・バルターに強い憧れを抱くようになる。
後に「ベルンの奇跡」と称されたワールドカップ決勝戦終了の
ホイッスルが鳴った直後、
フランツはラジオの前から急いで立ち去り、
友達
と広場で決勝戦の再現をしたという。
ジーギングのストリートサッカー
では、
いつもフランツがフリッツ・バルターの役を演じていた。
やがて友達
とのボール遊びだけでは
満足できなくなったフランツは、
街のクラブ
チームへの入団を決意する。
その当時、ミュンヘンには2つのクラブ
があった。
1つは西ドイツ屈指の名門1860ミュンヘン、
もう一つはミュンヘン第2のクラブ
、バイエルン・ミュンヘン。
当初は1860ミュンヘンの下部組織でプレーしていたが、
1860ミュンヘンと行った練習試合で
プロの選手
達は乱暴なプレーを連発。
それに嫌気が差したフランツは1958年に
バイエルン・ミュンヘンのユニフォームに袖を通す。
同時期に保険
勧誘員の訓練生を辞め、
プロサッカー
選手
としての将来を見出す。
1963年に西ドイツのプロリ
ーグ、ブンデスリーガが発足。
「1つの街に1つのクラブ
を」という
西ドイツサッカー
協会の意向により、
ミュンヘン市からは1860ミュンヘンが選ばれ、
バイエルンは2部リーグからのスタートを余儀なくされる。
だが、フランツ・ベッケンバウアー率いる
完全無欠の集団はすぐさま1部リーグ昇格を決め、
やがてバイエルンの黄金時代が到来する。
プロのサッカー
選手
となったベッケンバウアーは
1965年9月26日、弱冠20歳で西ドイツ代表としてデビュー
を飾る。
卓越した技術力と強靭な肉体を併せ持つこの類稀な選手
は、
すぐさま欧州中にその名を轟かせ、
この先十数年の間、世界最高
の名手として
サッカー
界に君臨することになる。
翌年行われたイングランド・ワールドカップでは
西ドイツのキーマンとして攻守に大活躍。
スイス戦で2ゴール、ウルグアイ戦で1ゴール、
そして準決勝のソ連戦で伝説のゴールキーパー、
レフ・ヤシンを相手に20メートルのミドルシュートを叩き込む。
ベッケンバウアーの活躍によって西ドイツは決勝まで勝ち進み、
敗れはするものの決勝戦でイングランドのエース、
ボビー・チャールトンをベッケンバウアーは完璧に押さえこんだ。
クラブ
レベルでは1968/69シーズンに
初めてのリーグ優勝を果たし、
いよいよ皇帝と呼ばれる時期に差し掛かる。
1970年ワールドカップ。
ベッケンバウアー自身にとって、
もっとも印象に残る試合が
メキシコシティのアステカスタジアムで行われる。
「アステカの死闘」と呼ばれる準決勝イタリア
vs西ドイツは、
史上最もエキサイティングなシーソーゲーム
として、
今尚語り継がれている。
後半ロスタイム
に西ドイツが同点に追いつき、
延長戦前半に勝ち越し。
しかしその後、イタリア
に2点を追加され再び逆転。
西ドイツも1点を返し、
また同点に追いつくという凄まじい試合だった。
ベッケンバウアーは延長戦に入る直前に相手選手
の悪質なタックルにより右肩を脱臼。
ピッチの外に運び込まれ試合続行は困難と思われたが、
肩をバンテージでぐるぐる巻きにし、
無理やり固定して延長戦を戦い抜いた。
西ドイツは同点に追いついた直後に
再び勝ち越され準決勝で涙を飲んだが、
ベッケンバウアーの気迫は世界中の人々に感動
を与えた。
2年後に行われた欧州選手
権では
西ドイツ史上最強との呼び声高いチームを創り上げ、
ベッケンバウアーが概念を打ち立てた
リベロ
の存在がクローズ
アップ
される。
攻撃に参加しゲーム
の指揮を執るディフェンダーは
欧州選手
権優勝を果たし同年のバロンドールを獲得。
ピッチ上の全てのプレーヤーを意のままに操るその姿は
「ピッチ上の最高
権力者」、
つまり「皇帝」と呼ばれるようになり、バイエルンでも
UEFAチャンピオンズカップ優勝を果たすまでに上り詰めた。
母国西ドイツで行われたワールドカップでは
クラブ
レベルでもライバルだったヨハン・クライフと
西ドイツ代表vsオランダ代表という形で激突。
完璧な試合運びでクライフをゲーム
から消し、
遂にベッケンバウアーのチームが世界一に輝く。
フリッツ・バルターに憧れたあの日から、
20年の歳月が経過していた。
その後、バイエルンでUEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成し、
ヨーロッパで全てのタイトル
を取り終えると、
1977年にサッカー
不毛の地アメリカ
の
ニューヨーク
・コスモスへと旅立つ。
ここで幸運にもブラジルの王様ペレとプレーする機会を得、
ペレが同年にコスモスを去った後は
新たなサッカー
の伝道師として1980年までの4年間を
アメリカ
で過ごす。
ペレと共にプレーした1年間は、本人曰く、
「最も凝縮された1年間」だったそうで、
その後、ハンブルガーSVで2シーズン、
再び戻ったコスモスで1シーズンを過ごし、
1983年、栄光に包まれた現役生活を終えた。
ピッチに別れを告げたベッケンバウアーだったが、
彼の物語はまだまだ終わらない。
現役引退後、今度は監督
として非凡な才能を発揮し始める。
1986年のワールドカップで西ドイツ代表を率い
決勝進出を果たし、
1990年には2度目のワールドカップ優勝を経験。
ベッケンバウアーは
本来は監督
のライセンスを持っていなかったが、
西ドイツサッカー
協会はチームシェフという
特別な役職を彼に与え、
西ドイツ3度目となる世界制覇を成し遂げたのである。
1990年に東西ドイツが併合したことにより、
西ドイツ最後の代表監督
となったベッケンバウアーは、
その後、バイエルンの会長に就任。
その他にもドイツサッカー
協会副会長と、
2006年ワールドカップ招致委員会会長を兼任し、
1990年代前半には低迷していたバイエルンを
再び世界屈指のクラブ
に押し上げ、
ドイツサッカー
界に確立されたユースシステムを導入。
そしてかつての仲間達であるギュンター・ネッツァーや
ユルゲン・クリン
スマンらと共に
2006年のワールドカップ誘致に成功し、
今度は大会組織委員長として、
数え切れないほど多くの肩書きを背負い、
多忙な、勝者の毎日を過ごしているのである。
月日は あっというまに 過ぎちゃうよ
怖く ならないかい?
きみが 一生懸命やったことも
いつのまにか 忘れられちゃうんだ
どんなにあがいても
誰も止められない
悩んだって しょうがない
そういうもんなんだよ



