今日は不入斗の表記がどのように変わったかを探ってみたいと思います。
《いりやまず》の書き方については幾つかのバリエーションがあり、
不入斗
不入計
不入討
不入読
不入讀
不入続
それ以外に
入不斗
入山瀬
入山津
入山須
読み方のバリエーションとして
いりやまず
いれよまず
いりやまづ
いりやまぜ
ふにゅうと
ふにゅうとう
があります。
文献における表記の方法としては、【不入計】というのが一番古く、南北朝時代の文献に出てきます。
それ以降は、大森の【不入斗村】の古い呼名が【武蔵国荏原郡不入計村】、さらにそれ以前は【武蔵国大井郡不入読村】と呼ばれていました。
山中襄太の『地名語源辞典』(1968年、校倉書房)では【斗】は【計】の字の誤用であるとしています。
そこで、時代によって漢字がどのように崩されたのかを調べるために、東京大学のアーカイブを参照してみました。
奈良文化財研究所 東京大学史料編纂所
『木簡画像データベース・木簡字典』『電子くずし字字典データベース』連携検索
http://r-jiten.nabunken.go.jp/
それではまず【計】の字から、
次に【斗】の草書体です。
確かに非常によく似ています。
続いて
【討】
草書体だとちょっと形が違うようです。
これは楷書体の方が近い。
そして【読】
これは随分と違いますね。
《いりやまず》が《いれよまず》の音が訛ったものとすると、もともとの記述が【不入読】、そこから【不入計】→【不入斗】と移り変わってきた系譜がみえてきます。
【不入読】は《ふにゅうとう》と読まれていたらしいですから、【ふにゅうとう=不入読】が一番古い記述方法に思えます。
しかし、奈良時代に書かれた木簡文字のアーカイブを調べて見ると、【計】や【斗】という漢字は見つかりますが、【読】は一字も出てきません。
【読】の字は比較的新しい漢字なんでしょうか?調査されている木簡に一度も出てこないとなると奈良時代に【読】という漢字自体が存在していなかった可能性もあります。
【計】も【読】も《数を数える》という意味の漢字ですので、どこかで書き違えられてしまったのかもしれません。
さて話しは変わり、不入斗と並ぶ市原市の難読地名に《ついへいじ》というのがあります。
【廿五里】と書くのですが、これも面白い地名で、漢字の読みと言葉の意味が全く一致しません。
どうやらもともと《ツイヘイジ》と呼ばれていた土地があって、鎌倉幕府のお役人が《ツイヘイジ》のお寺まで毎月お香を炊きに行くことに決まったらしく、
その場所が鎌倉の宮から二十五里の距離にあったから【廿五里】と書かれるようになったらしいのです。
同じような事が【不入斗】にも当てはまるのではないでしょうか。
面白半分に仮説をたてると、
もともと地元の人から《イリヤマズ》と呼ばれている土地があって、そこに中央の守護地頭が調査に来た時に、書物に地名を記そうとして、どのように書くのか困ってしまった。
村民にこの土地はどんな土地かを聞いたら年貢が免除されている土地だと言う。そこで《不入計》と当て字をした。
そんな感じじゃないでしょうか?
イリヤマズって語呂がどこか日本語っぽくないんですよね。
また、安房の国と相模の国の古東海道、つまり今の館山と横須賀を結ぶ海路は、下総、上総、安房の年貢を鎌倉まで運ぶ交通の要所だったため、二県に渡る沿岸部を一人の領主が治めることが多かったようです。
この周辺は古くは忌部氏、鎌倉時代以降は三浦氏、その後、南北朝時代には二階堂行景が統治していました。
そのため、東京湾を挟んだ千葉、神奈川両県に【不入斗】があるのではないかと。
妄想です。信じないように。
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