昔、子供のころのギリシャ神話すべて覚えていないのだが、オリンポスの神々
時折、自分たちのつくった人間世界を中庭にある泉を鏡とし、
天上から眺めている
そんな光景が寓話にある

この光景どこかで見たような
そうか
東京 霞ヶ関から見ている 被災地か
そんな 気がする

ゼウスが気まぐれに、人間世界におりてきた
人間がどんな生活をしているのか見物である
そのゼウスを人間が見破り、
ゼウスに訴えた
我々はこんなに困っている
我々を作った紙 失礼神はどのように救済してくれるのか

神はどんな風に答えたのであろうか

霞ヶ関から
親分が被災地を訪ねてきた
通り過ぎようとする
カン親分に住民は
窮状を訴えた

この親分どんなふうに答えたのだろうか

困ったことにギリシャの神は
人間を作った創造主である
霞ヶ関の親分
これは
我々の産物である。
新浦安は被災地となった。マスコミは東北がひと段落がついたとみえて、新浦安のこと、液状化を報道した。
少しは落ち着きましたか。
と聞かれて、
以前と変わらない生活ですよ
と答えながら、
まだまだ
と心の中は
思っている。
滋子さん、親父、妹
普段の生活に戻っている。

今の日本
地震
津波の未曾有の災害

でも
一番の災害は
稚拙で未熟な政治

この災い
当分復興の兆し
なし

やんぬるかな
私は宗教が嫌いである
人間がコントロールする宗教
殺戮、強奪、排除などの血なまぐさい歴史である
以前訪れたバチカン
荘厳さの金色
血の赤とよく似合う建物である

神様
これは違う
ときおり
その存在を感じる
5年前
ずーと昔のようである
滋子さんが倒れ
意識不明
みんな最後だと思った
覚悟した
2週間後
意識を取り戻した
滋子さんわかる
と聞くと
かすかにうなづいた
みんなに連絡した
電話越しの涙は暖かい

神様の贈り物
そうこころから感じた

政治

これも宗教同様である
霞ヶ関は、権力闘争、リップサービスまさに
嫌悪である

そろそろないのであろうか
ころ暖かい贈り物
被災されたひとへの
神様の贈り物

花曇である
朝の散歩
明海大学の周辺
歩いていると、まだサクラの花が咲いている
季節の変わり目は
映画のコマ送りのように
しっかりとした切れ目はないようであろ
新緑の若葉のなか
まだ咲いているサクラがある

そういえば、東北のさくらはこれからである
被災地のサクラ
元気であればいい

そんな花曇の散歩である

春とはいえど
朝の風は冷たい
春は名のみど
風の寒さよ
と早春賦に歌われている
まさにそんな朝である。
滋子さんは
すでに起きて、テレビを見ている
ここ最近、ベッドに座りたいと
私を含むヘルパーさんに頼んでいる
ベッドに座ると
以前は15分が限度で、
頭を下げたままで、不安定であった
今は
30分は座っていられる
頭も持ち上げ、じっと前を見ている

大丈夫というと
こちらに顔を向ける
目がじっと
私を見つめている
しっかりと

朝はまだ寒い
滋子さんの春もまだであるが、
血の通った暖かさがある