青嵐という言葉がある
セイランと読むが、あおあらしというのが一般的なようだ
初夏の荒々しい風のことである
むかし、中川一郎が作った会に
青嵐会というのがある
石原新太郎、森一朗、渡辺美智雄、山崎拓などが作った会である
当時の印象派右翼的、タカ派的なイメージが強く、安保闘争が覚めやらぬ時代
私などは敬遠していた

青嵐会のことではない
青嵐である
春から夏
季節の変わり目の激しい風である

ちょうど

窓を震わす
風が吹いている
海風の街だから普段の風でもある

ただ、この時期
なんとなく
霞ヶ関の
霞を
吹き飛ばしてほしい

そんな
勢いのある風である

東北のために吹いてほしい風である
連休最初の日である
私にとっては、滋子さんとの一日
これから1週間ほど
ふたりきっりのようである

もっとも
娘と孫は
突然襲来するようである

まあそれはそれとして
連休は
我が家を支えていただいている
皆さんの休日

一年
ありがとうございました
今9時過ぎ
滋子さんを言葉のデーサービスに送り出したところ
やっと
一息
普段は、ヘルパーさん頼み
今日は休日
休日はヘルパーさんのため
私の実労働日

慣れてないので、てんやわんや

一息つくと
ひとりっきり

気が抜けている

さあ
朝ごはんでも食べるか


朝7時
朝の散歩から帰ってきたところである。
朝日が東から差し込んでいる
まぶしい
そんな朝である

こんな朝
普通の家では
朝食の準備
お湯を沸かす音
包丁の音
子供たちを起こすおかあちゃんの
金きり声


朝の音がある

我が家の朝の

滋子さんの朝の
ネブライザー
ポンプの音が
シュー シュー
シュー シュー
お湯が沸いたような音である

我が家の朝の音である
新浦安介護亭 春夏冬(商い)中

朝の散歩
新緑がまぶしい
道路にお行儀よく立っている木々は
なんとなく
整然すぎておもしろみはない
力強さはない
季節のなか
けなげに生きている
そんな感じである

道路の砂はまだ
完全に取れていない

液状化の跡は今も残る
砂だまりを歩いていると
ふと
セネガルの大地を思い出した

写真はセネガルの大地に力強く立っているバウバウの木々である
自然の中の木々は力強い
セネガルは、サハラ砂漠の南端の国である
春先
風向きが北から南に変わり、サハラの細かい砂が吹き荒れる
砂嵐である
液状化して地中から出てきた
砂に似ている
非常に細かい砂である
そんな中
バウバウは立っている

海風の街
相変わらず
風はほこりっぽい
街路樹は健気に生きている
力強さはないが、
心を落ち着かせる

癒してくれる
朝日を浴びる新緑は
まぶしい

朝の散歩のご褒美である