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COTTA撮影日記

2014年10月、モノづくりブランド“COTTA”をスタートしました。
カメラと写真の楽しみを提案する撮影日記をはじめ、
製品情報をお伝え致します。

お花見の季節。

ですが、桜の一番いい見頃に

土日がくるのを合わせようとすると

見頃を逃しかねないので、

この時期はとにかく土日は出かける。

 

先週末は、土曜に天気が崩れましたが、

日曜の雨の切れ間をねらって

埼玉にある“小川町の桃源郷”へ行ってきました。

 

 

東武東上線の小川町駅から

バスと徒歩を合わせて、

およそ30分ほど、着きました。

 

午前の11時前に着きましたが、

既に人が集まっていました。

とくに自転車乗りの人がいっぱい。。。

 

 
県道273号から入って、奥に進むと、
色鮮やかな一角が見えてきました。
 
 
ハナモモ、サンシュユ、サクラ、ヤマザクラなど
色鮮やかな花々が、原風景に広がっていました。
 
 
この“小川町の桃源郷”は私有地で、
元々棚田だったところ。
耕作放棄地となったところに花木を植えたのが始まりです。
 
 
ハナモモ、満開。
ヤマザクラは7分咲きといったとこでしょうか。
 
 
三色咲き誇り。
サンシュユも満開です。
 
 
まさに桃源郷。
天気が良ければ、今週末も満開ではないでしょうか。
 
 
最初曇って白かった空も、
時折青空を覗かせるようになり、
いい感じで色映えしてきました。
 
 
家から片道で2時間半ぐらいかかりましたが、
来た甲斐ある風景で、とても気持ちよかったです。
 
 
◎使用カメラは LUMIX G9PROII
 LEICA DG VARIO-SUMMILUX 10-25mm / F1.7 ASPH.
 LEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.
 

関宿さんぽの続き。。。

 

関宿城博物館から徒歩6、7分ほどの場所に

かつての関宿城の本丸跡地があります。

 

 

土手の上からだとわかりにくいので、、、
 
 
下に降りてみました。
ここは本丸があった場所の一角。
 
実際には、ここから西側の
土手あたりまでが本丸のあった敷地となる。
ちなみに奥に見えるのは博物館。
 
 
引きで見る。
今は周辺は田畑なので見通しよく、
かつてお城があったことイメージしやすい。
 
おそらく写真左側の土手あたりに
本丸が建ってたと思われる。
 
解説によると、
1457年に簗田(やなだ)氏によって築城とある。
 
およそ100年、簗田氏によって治められてきたが、
後北条氏の三度にわたる争奪戦により、1574年に落城するも、
1590年の小田原征伐によって豊臣・徳川の手におちる。
 
徳川の関東移封の際に、家康の実弟の康元が、
関宿藩主として入封します。
以後、板倉氏・牧野氏・久世氏らが藩主を務めます。
 
1869年の版籍奉還後は、明治政府によって廃城となり
以後、一部が民間へと払い下げられました。
 
 
今では民家や田畑が並ぶ場所となった関宿城跡地。
 
それでもここの交差点にはかつての城の名残があり、
左からの道と右からの道が直線で繋がっていない、
「鍵の手十字路」となっている。
敵が直線的に攻め込めないような造り。
 
 
関所跡の碑。
当時の実際の関所の場所は
奥の堤防を越えた、対岸側にあったようだ。
現在その場所は、江戸川の対岸寄りの川中である。
 
この辺りは大手門の近くでもあり、
左の県道26号は、かつての城前の大通りといったところか。
 
 
関宿周辺の建物。
古いものは多いが、雰囲気いい。
 
 
おさんぽ最後に、鈴木貫太郎記念館に行ってきましたが、
雨漏りの影響で展示物の拝観はできず、
ビデオ映像を鑑賞のみとなりました。
 
チーバくんの鼻先には、
治水と戦国の歴史がありました。
 
 
◎使用カメラは LUMIX S5mk2
 MINOLTA W.ROKKOR-QE 35mm/F4
 

前回に続き、チーバくんの鼻先をお散歩。

 

 
関宿城博物館の北側、
土手向こうの川床を歩く。
周りは原っぱで何もない。。。
 
 
関宿場船着場跡。
天気が良くて、利根川の水面も真っ青である。
 
1594年以前は、
利根川・渡瀬川・鬼怒川は別水系。
利根川はもっと西の方を流れていました。
 
工事に工事を重ね少しずつ東へと流れを変え、
今のように銚子河口へと流れるようになったのは
1654年になってからだ。
 
 
船着場跡から西に行ったところに
関宿水閘門がある。
ここを流れる川は江戸川。
そしてここは茨城県です。
 
関宿水閘門は茨城県が管理しているので
こちら側(南側)の土地の一部、
チーバくんの鼻の先が茨城県なのも
そう言う理由もあるよう。
 
 
水門の上は、錆び付いてはいるものの
オレンジとブルーがきれいな色合いになっている。
 
水閘門は、水量を調整する水門と
水位を調節して船の運行を可能にする閘門からなる。
水門を境にして、
利根川と江戸川で水位が異なると言うこと。
 
 
水門の上流側。
右奥に向こう側への流れがありますが
その先が閘門になっています。
 
 
こちらは関宿水門上流水位観測所。
昭和37〜63年まで使われていた。
 
中にはフリート式水位計が設置されている。
円柱の脚部は井戸のように空洞になっていて、
下の方で川の水を導入している。
そこにフロートを浮かべ、水位を計っている。
 
 
この辺りは公園になってますが、
公園の中に鉄橋がありました。
 
こちらは明治40年に
総武鉄道の小岩〜市川間にかかっていた鉄橋の一つ。
のちに横浜の大岡川橋梁としても使用されていたとのこと。
 
江戸時代から続くこの辺りの地形や河川の変化は
少々ややこしいですが、
実際に歩きながら当地の地形を想像するのも
お散歩の楽しみです。
 
 
◎使用カメラは LUMIX S5mk2
 MINOLTA W.ROKKOR-QE 35mm/F4