撮影日記〜弾痕残る、旧日立航空機株式会社変電所 | COTTA撮影日記

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2014年10月、モノづくりブランド“COTTA”をスタートしました。
カメラと写真の楽しみを提案する撮影日記をはじめ、
製品情報をお伝え致します。

4月の半ばくらいに訪れておきながら

タイミングが合わずに

なかなかブログで記事にできなかった、

「旧日立航空機株式会社変電所」の写真をアップ。

 

 

場所は東大和市。

玉川上水駅から徒歩10分ぐらい。

東大和南公園の北側にあります。

 

4月半ばなので、ツツジがきれいに咲いていました。

 

外見からもわかるように

弾痕が生々しく残された建物です。

 

 

改修はされているものの、

壁や扉にはしっかりと時代が刻みこまれている。

 

 

1階は資料展示となっている。

 

昭和13年、東大和南公園全域を含むこの辺り一帯は、

航空機のエンジンを製造する軍需工場が建設されました。

この変電所は、

圧力を下げた電気を、各工場に送る役目を担っていました。

 

戦争末期となる昭和20年に3回もの空襲を受け、

多くの方が命を落としています。

工場もおよそ8割が壊滅したそうです。

 

 

2階へと上がる階段にも弾痕が残る。

 

当然倒壊のおそれがあるので、

当時の階段を直接上ることはできず、

階段の上に強化ガラスの階段を設置してあります。

 

 

2階はこんな感じ。。。

 

配電盤と宿直室が置かれています。

 

 

旧字体ですね、「低圧配電盤」と書いてあります。

 

 

2階奥は油入遮断器が設置された部屋。

役目を終えた機器が

陽だまりの中、穏やかに眠っているような静けさ。

 

戦後、変電所は設備機器を更新しながら

平成5年まで操業を続けていたそうです。

 

 

2階窓から南西側を見る。

当時は工場が並んでいたので

それほで視界は開けてなかったかもしれない。

 

今は南側は公園で開けており、

家族や子供たちの声が聞こえてくる。

 

 

1階の蓄電池室。

暗い。。。

 

 

この蓄電池室は南側に位置する部屋。

相当分厚い壁であるにも関わらず、

壁には1箇所、弾が貫通した穴がある。

 

 

蓄電室から、ガラス越しに慰霊碑。

 

 

外観、南西側。

軍需工場は主に南側に広がっていたので

南側の壁には弾痕が多く残る。

西側は少ない。

 

手前に置かれている壁のようなものは

変電所からずっと西の方に建っていた給水塔の一部。

給水塔は平成13年に取り壊されました。

 

 

西側に取り残された防護壁の一部。

 

この防護壁は、

高圧電流を取り入れる受電施設の東西に設置されていたもので

他の工場などと分離するための壁です。

 

 

変電所の北側。

やはり弾痕が少ないですね。

 

 
東側1階の窓と南側2階の窓。
 
こういった戦災遺構はぜひ保存していただくとともに
多くの方に知ってもらう活動をしてほしいと思います。
 
 
傷つきながらも、8割が壊滅した軍需工場一帯において
奇跡的に残った変電所。
後世に伝える新たな役目を担ってますね。
 
 

◎使用カメラは LLUMIX S5 + LUMIX S 20-60mm F3.5-5.6
 MINOLTA MC ROKKOR-PF 55mm/f1.7