仁木悦子 『猫は知っていた』
私はぎゃふんとなった。
(仁木悦子のセリフ)
本日紹介しますは第三回江戸川乱歩賞受賞、仁木悦子女史による 『猫は知っていた』
第三回とありますが、小説としては初めての江戸川乱歩賞受賞作だそうです。
- 仁木 悦子, 多岐川 恭, 日本推理作家協会
- 猫は知っていた・濡れた心―江戸川乱歩賞全集〈2〉
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奇怪な連続殺人は、仁木雄太郎と悦子の学生兄妹が下宿したばかりの病院で発生した。謎の電話、秘密の抜け穴、闇にきらめく毒塗りナイフ・・・事件ごとに現れるペットの黒猫は何を目撃したのか?
急造探偵の二人は次第に真相に迫っていく。鮮やかなトリックと論理的な推理、明快な文体で日本のクリスティ誕生と絶賛され、空前のミステリーブームを巻き起こした江戸川乱歩賞受賞屈指の傑作!
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僕が購入したのは講談社大衆文学館のもの。カバーは淡いカフェオレ色をしていて、
かすかに凹凸のあるやわらかい材質が手になじみ気に入ってしまいました。
既に仁木悦子さんの作品は短編ものを読んだことがあったのですが、
今回、長編を読むにあたり、新たな衝撃を受けることとなりました。
『猫は知っていた』 を完結に説明するとしたら 「がちがちの本格」 がピッタリでしょう。
見た目ではわからないドロドロとした人間関係、視線の作り出す防空壕という名の密室、
居てはならないのに居る人物、居なくてはならないのに居ない人物、そして黒猫・・・
ワードだけを眺めていても本格推理小説の香りが香ってきます。
昔の推理小説というと、肌寒い日陰のようなカビくさい湿気のような印象がすると思います。
仁木悦子さんの作品の場合はそのような印象を全く受けません。
ピクニックに出て、日向ぼっこをしながらサンドイッチを食べる、そのような雰囲気が文体から感じられます。
実際に起きている事件の陰惨さと軽快で暖かい文体とが一種独特の雰囲気を作り出しています。
読んでいてまったく嫌な気持ちになりません。
作家が犯人を含めて登場人物に愛情を注ぎながら書いたからではないかなと思います。
肝心要の推理のほうですが、こちらはエラリークィーンばりの論理、ばっちり論理的に解決がなされます。
江戸川乱歩が 「日本のクリスティ」 と名づけたようですが、
クリスティのストーリーテリング+エラリークィーン父子のロジック、という印象があります。
探偵役の兄・雄太郎が行動的かつ思索的であるからかもしれません。 こういうの好きです。
あらゆるケースを想定にいれ、不可能性を削り落とし、残ったものを結論として提出する。
読んでいて頷くこと数回、見事に論理的解決の醍醐味にはまりました。
仁木さんの作品はまだ二冊しか読んでおりませんが、ばっちりはまってしまった感があります。
絶版が多いため、なかなか手に入れることが難しい作家さんではありますが、
根性いれて捜して集めてみようかと思います。 特に文庫本の方。
と、いうわけで、仁木悦子 『赤い猫』(短編集)、 『陽の翳る街』 の二作!
横浜近辺で発見なさった方、ご一報ください! あて先はこちら↓コメントまでお願いいたします。
第八回例会 石持浅海 『扉は閉ざされたまま』 感想会
社会人のためのインターネット部活:
ネットミステリー研究会 『Mistereader's Net』 通称ネトミス の活動!
第八回例会のお題は・・・ 石持浅海さんの 『扉は閉ざされたまま』
- 石持 浅海
- 扉は閉ざされたまま
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密室殺人、完了。
完璧に騙せたはずだった
ただひとりの女性をのぞいては・・
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第八回例会は適当に読み終えた感想を言い合う座談会形式でした。
ので、まず話題に上ったことは、結末に対する感想でした。
一つ文章があれば、読み手の持つ考え方一つで何通りもの読み方ができる、
それが本の良さですが、今回の話し合いでもそれが浮き彫りになりました。
話し合いの結果、会員さんたちと一つの共通認識にたどり着けたことは喜ばしいことです。
なかなかぞくぞくする結末だったと思います。
次に話題に上ったことは、倒叙ものに関する事柄でした。
倒叙ものは誰がやったか( whodonit ) と どうやったか ( howdonit ) が冒頭で示されるため、
主に犯人の心理描写と探偵の鋭い切り込みが物語の魅力に繋がると思います。
それゆえに生ぬるいものでは読者に飽きられてしまう・・・
しかし、今回取り上げた 『扉は閉ざされたまま』 は読者をぐいぐいと引っ張っていく力がありました。
それは作家の筆力の強さと構成力の高さによるものであるということに。
構成力を高く評価しながらも、その構成力に頼りすぎていることも否めませんでした。
小説全体が最初に設定された状況に合わせて進行されていくため、
「ん?」と思うところも強引に進められていくきらいはありました。
ご都合主義すれすれだが、一気に読めたことから見事な構成であったという結論に。
一気に読めてしまったということで、会員さんたちの読み終えるまでの時間を尋ねたところ、
会員さんは約2時間半、副会長は最速1時間半、僕は最遅の3時間半。
ばらつきこそあれ、一度読むと引き込まれてしまい、一気に読み終えてしまうということは共通でした。
何よりも魅力的であったのは 『開けることのできない扉』 にありました。
木製、年代物、斧もある、物理的には可能。 しかし開けることができない!
この扉に新たな密室の可能性をみたのではないでしょうか。
しかし、この作品にはネトミス会員たちを陥れる巧妙な罠が仕掛けられていた!
ネトミスを襲う作中に仕掛けられた罠、それは・・・
ニッカ蒸留所限定のレアものウィスキー と オーパスワンのワイン!
偶然くいしんぼうとオサケスキーの集まったネトミス、これらの品々に興味を持たないわけがない。
話が反れないわけが無い!
自然と話はウィスキーから北海道へ、ワインから17日のボジョレー解禁日、
しまいには来年に計画しているオフ会へと流れる川のように・・・
長編、短編、五分もの、オリジナル創作を読むこと書くことに興味がある方!
時間の無い社会人のためのインターネット部活:
ネットミステリー研究会 『Mistereader's Net』 通称ネトミス
そんなあなたの入会をお待ちしております!
TRICK+TRAP 秋の陣 其の弐
前日の土曜日は TRICK+TRAP が閉まっており、本来の目的を達成することができませんでした。
が、おいしいものをたくさん食べ、なぜか大満足という感で吉祥寺を後にしたのであります。
そして日曜日・・・
あきらめられず、TRICK+TRAP に再チャレンジするこに決定しました!
もちろん副会長 も強制参加。 二日間連続つれまわすという強行。
前日の轍を踏まぬよう、今度はきちんと事前に電話で営業確認をしました。
「本日は19時まで」 という嬉しい返事をいただけて、さっそく突撃準備。
なんだかんだで吉祥寺に着いたのが17時少し前。
そして横丁に入ってお団子を食べたり、寄り道をしてをしていると、なぜか時間は18時;
18時ちょっとすぎに TRICK+TRAP に入店することになりました。
店内は例のごとくインストゥルメンタルな音楽の流れる良い雰囲気。
26日に二階堂黎人さんのサイン会を控えているため、
お店の真ん中には二階堂さんの本が並んでいました。
二階堂さんの本は未読であるため、いつか必ず読まねばと思っております。
店内を物色した後、それぞれ買うものを手に取り始めると・・・
一冊、また一冊と増えはじめ、気づいたときには二人合わせて7冊・・・
副会長B が買ったものは 『カラクリリリカル』 に紹介されているものです。
そして僕が買ったものは・・・
- 中井 英夫
- 虚無への供物
- 古泉 迦十
- 火蛾
- 泡坂 妻夫
- 煙の殺意
- 綾辻 行人
- 水車館の殺人
この4冊です。『水車館の殺人』 は誕生日だからということで副会長 に買わせました。
いざレジに持って行くとなると、結構なボリューム、少しは経営の助けになったかも!
僕のが済み、Bがお会計を済ませていると、なんと戸川さんからお声が!
「本格派、ですね」
がちがちの本格リーダーではないけれども、一応ネトミスは本格寄りなのかな?
二言三言会話させていただきました。
僕に向けられた言葉は、
「虚無への供物、は初めてですか?」
はい!初めてです!超初めてです!
ハイテンションになりつつも、初めてである旨を伝えることができました。
なんでも戸川さんは 『虚無への供物』 を5回読み返しているそうです。
期待が高まる!
ということを副会長B にも聞いてみたら、B は二回くらい読み返していた。
これは大当たり!と一人読む日を楽しみにしているのでした。
幸運続きのためホクホク気分で家路に就き、ちょっと食べていこうということで、
以前行き、気に入ってしまったイタリアンのリストランテに入ることにしました。
が、しかし・・・
「 本日定休日 生牡蠣仕入れました 」
生牡蠣仕入れたならばお店をあけてください、僕たちを入れてください、食べさせてください・・・
変なオチが最後に待っていた日でした。
追記: お店が閉まっていたので違うお店にはいりました。
お店の名前は荻窪駅側のボンシエール。
フランチの田舎料理のお店です。ホタテがすごくふかふかでおいしかったです。
どう転んでもラッキーな結末に終わるのがネトミス流解決です!
TRICK+TRAP 秋の陣
インターネット上部活、ネットミステリー研究会 『mistereader's net』 通称ネトミス 。
活動番外編、会長Pの誕生日を祝う!!
誕生日なので、まったくの個人的理由により、誕生日を祝ってもらう活動にしました。
他県に住んでおられる会員 さんを呼び寄せるのは、強権を持つ会長とはいえ酷な話。
というわけで、白羽の矢が立ったのは、副会長B ・・・
無理矢理つれまわして誕生日を祝わせることにしました。
ミス研ということなので、何かミステリに関係した誕生日を祝う会にしたかったので、
行き先は自然と TRICK+TRAP に決まりました。
TRICK+TRAP とはミステリ界の戸川さん経営する推理小説専門書店なのです。
ブログの方で、TRICK+TRAP さんは売り上げの都合上、店舗移転の危機にあるようで・・・
小説家に貢献するのが読者なら、専門書店に貢献するのは1ファンだ!
というわけで、気になっている本をごっそりと買う予定でおりました。
・・・
散歩が趣味なので、まずは新宿御苑に行ってまいりました。
新宿御苑は現在紅葉シーズン初めといった感じです。
風に追い立てられるかのように転がる落ち葉や、道々に落ちている木の実、
これはなんだろう?と思うだけでも楽しくてしかたがない。
と、まあ、順調にお散歩気分を楽しんでいましたが、次第に陽は落ち、陰が多くなりました。
どこからともなく吹く風の骨身にしみるほどの冷たさ・・・
「吹きすさぶ」 という表現がピッタリとくる風が吹き付けます;
のんきにサンドイッチを食べたりしていた僕らは 『北風と太陽』 よろしく木枯らし一番に追い立てられるようにして新宿御苑から遁走することになりました。
寒さに震えながら、あったかいお茶を飲もうと喫茶店を探すも…
…ない
……ないぞ!新宿御苑周辺、空いているカフェが無い!
空いていてもテラスであったり、修行とか苦行じゃないのだから、こんな日にテラスはちょっと;
と思っていたところ、救いの一件 「珈琲家族」 というカフェ。
ホットティーとアイリッシュコーヒーをすすりながら、あったかいって素晴らしいことだと実感。
アイリッシュコーヒーに入っているウィスキーの力も借りて、一気に体温上昇。
気力を回復したので、いざTRICK+TRAP へ!
吉祥寺にやってきて、TRICK+TRAP の前まで来て見ると・・・
あれ?
…電気が点いていない…
定休日?19時までじゃなかったっけ?と疑問が沸き起こりつつも、書店の扉までやってくるとそこには!
「本日17時までの営業」
うわーーーーーーーー!と思いっきりずっこけました。
思いっきり肩透かしをくらったので、
TRICK+TRAP の下にあるTALK BACKというおいしいビストロで夕飯を食べることにしました。
残念な気持ちも手伝って、飲むは食べるは大騒ぎ。
そしてはしごで恒例の ullapool でキドニーパイを食することに!
ここ ullapool は食べやすい味にアレンジを加えられたイギリスの料理が味わえる素晴らしいところ。
とくにフィッシュアンドチップスは本場を凌ぐ味なんじゃないかと思います!
ullapool で食べたステーキ&キドニーパイ・・・
もしかしたら パン屋の無いベイカーストリート にて (11月6日の記事)で紹介されていたものなのでは?
と副会長Bとともに簡単な推理をしたりしてみました。
そんなこんなで会長の誕生日を祝う会1日目の夜は更けていった・・・ ( to be continued )
クナウカ 『Othello』
今日は仕事も早々に切り上げ、上野に行ってまいりました!
目的は、野外演劇!
上野といえば・・・
国立の西洋美術館!
というわけで、ぐるりと回ってまいりました。
今日やっていた特別展示はキアロスケアーロ木版画展。
多重刷りなのかな、トーンによって遠近感を出す技法のもので、
数点気に入ったものが見つかってなによりでした。
常設展示の方もさすがに国立、豪華なものが揃いに揃っていました。
これといって新発見はなかったのですが、
モネの書いた雪を見て、初めてモネっていいな!って思いました。
今年雪降るといいなあ、と実際降ると困るにも関わらず願いました。
さて、美術館で興奮してきたあと、目的の国立博物館へ。
夜の博物館はきれいでした。
ライトアップされ、荘厳さがにじみ出ていましたね。
本日、クナウカによって公演される 『Othello』 は・・・
なんと庭園での特別設置の舞台!
野外です、野外!息が白い!これはやばいと思っていたところ、
受付の人がカイロを渡してくださいました。 心に染みる嬉しいカイロ。
庭園に設置された舞台はこのような感じです。
花道を通って役者さんたちが出てきたり、いなくなったり。
でもおもしろいことに、舞台から消えるのはデズデモーナだけなんですよ。
役者が舞台上からいなくならない舞台は初めてでした。
いろいろ言いたいこともありますが、よい舞台だったと思います。
しりきれトンボのような終わり方でしたが、それがまたよかった。
突然終わり、役者たちが退場すると、夜の闇間にポウっと浮かび上がる庭園。
偶然なのか演出なのか、夢がふっと消えたような気持ちになり、感慨深かったです。
庭園・・・暗所にトコトン弱い携帯カメラでした。
次回も行くかはわかりませんが、デズデモーナから見たオセロウの世界、
怖かったですが、なかなかおもしろいものでした。
ディクスンカー 『三つの棺』
本日紹介しますは、ディクスンカー 『三つの棺』
John Dickson Carr The Three Coffins
- ジョン・ディクスン・カー, 三田村 裕
- 三つの棺
本格推理小説を語る上でははずせない、ジョン・ディクスン・カー、初めて読みました。
本格黄金時代を築いた作家だけあって、重々しい筆力には安定感がありました。
しかし、読みづらい。読み終えるまでに二週間かかってしまいました。
カーの特徴的な面として 『怪奇趣味』 というものがあるようです。
実際題名があらわすとおり、棺、という物々しいタイトル。 怪談物の好きな僕の心を刺激します。
『怪奇趣味』 という言葉で思い出しましたが、そういえば霧舎巧さんも怪談好きだったとか。
ミステリとオカルティズムはどこかしら共通点があるのかもしれません。
カーが世に送り出した名探偵の一人に、ギデオン・フェル博士がいる。
本作の主人公であり探偵役でもある。
通常が、『三つの棺』 と言えばこのフェル博士による 「密室講義」 思い起こされるかと思います。
確かにこの 「密室講義」 一度は目を通しておく必要があるかもしれません。
『三つの棺』 自体のトリックは現代においては平凡なものかもしれませんが、
「密室講義」 については未だ色あせることなく価値あるものだと思います。
次にカーを読むときは、物理的密室トリックの頂点の一つ 『ユダの窓』 に挑戦してみたいと思います。
色々積んでいるのでいつになるかはわかりませんが;
『三つの棺』 ミステリ密室の教科書として棚に置いておくのもいいかもしれません。
小説について -時間と空間
第二のプロット進行方法の描き出す世界は空間のうちにあり、
第三のプロット進行方法の場合は時間のうちにあります。
第二のプロット進行方法の場合は時間はある程度決められおり、
ここからここまでと仮定された時間内で人物たちが生活し、
様々な世界が空間内に展開されていきます。
そのような小説の場合、地理的なものの正確性が重要になってきます。
主人公がいれば雑貨店の店主もおり、学校に通う生徒もいれば今起きたばかりの人もいる。
このプロット進行方法ではそういった人の暮らし生活を表現することが可能だ。
おのずと空間的で時間がのろのろと過ぎていく静的な状況が描き出されていく。
一方、第三のプロット進行方法の場合は場所空間はあらかじめ決められており、
その限定された空間内における時間の進行にこそプロットの全容が築き上げられている。
このプロット進行方法においては、東京がどこにあろうと、上野がどこにあろうと関係ありません。
読者の頭の中には、人物が存在している限られた空間のみがあり、
その周囲にある生活というものは排除される。
強烈かつ迅速に流れる時間の波に登場人物以外の人物と生活が押し流されたようなものです。
時間というものは刻々と流れ去る。そしてその瞬間瞬間にこそその本質があらわれている。
普段は意識すること無く、流れるまま時間に僕たちは身をゆだねている。
だがもし 「きっかり1時間後に人生が終わる」 と宣告された場合どうだろう。
それまで一定の速度で流れていた時間が突然恐ろしいものに感じてくる。
あと1時間、30分、10分・・・1分とはっきりと時間が無くなっていくことがわかる。
時間が経つのと比例し恐怖は増すばかり、1分の半分という瞬間がとてつもなく恐ろしい。
これは、その後に何が起こるか理解しているために時間の本質が変質した、と言える。
万人に共通して流れていると思われていた時間が、
その当人にとっては加速度的に速まり、時間的緊張を生み出す。
時間は万人にとって生涯均一のものではなく、各人各性別各局面ごとに変容し完了するものです。
時間は流れ尽き果てる、このテーマこそ第三のプロット進行方法の本質なのです。
そのような小説において、登場人物は時間に支配されていると言える。
そして時間の貴さ、瞬間の貴さ、が前面に押し出されるため、
それゆえに時間に縛られた人物は鮮明に読者の記憶に残り続けるのです。
時間的か空間的か、この二つの要素も明瞭に分けることはできません。
どちらの要素がより強いかということが判断の基準になります。
またどちらが優れた表現だということもできません。
前者が刹那的な魅力にあふれるのと同時に、後者は永続的な普遍性に満ち満ちています。
文学とは優劣を競うものでもなければ、教訓的にお説教をするものでもないです。
作品を通して人生を提示し、空間を提示し、時間を提示するものです。
そこから何かを伝えようとするのは作家の勝手ですし、何かを受け取るのは読み手の勝手です。
大事なことは、文学は人間・空間・時間を描き出す一つの手段だということなのです。
引き続き小説について
引き続き小説について
前述の二通りのプロットの進行方法とは異なるものについて。
前述の二種類は必ずしもプロットと人物が一体化してはいない。
しかしこれから考えるものはプロットと人物とが一体化しているものだ。
登場人物の性格がプロットの進行に影響を及ぼし、
また行動が人物を変えて行き、
それらの波がある一つの終局へとプロットを進行させていく小説だ。
そのようなプロットの進行は非常にドラマティックな性質を帯び、
悲劇喜劇との相性の良さから、しばしば戯曲などでもみられる。
シェイクスピアもそういったプロットの進行を使う場合もある。
人物自体が問題とされるプロットと上記のものとはどう違うか。
ある程度の共通性は見られますが、決定的違う点がある。
前者は外見と本質の対照を浮き彫りにするものであり、
後者は外見と本質が同一であることを示す要素がある。
外見を行動と、本質を性格と置き換えることで図式がより明瞭になる。
つまり行動こそ性格であり、性格こそ行動であるとうことを後者は示す。
後者のようなプロットの進行方法においては、
相反する事象の衝突こそ許されるものの、
単なる矛盾といった不条理性はあってはならない。
プロットの初期では予想できなかった結果に辿り着く一方で、
プロットの底流には論理的な進行が必要とされる。
常に変化しながらもある結果へと論理的に導かれる、
それが第三のプロットの進行方法だ。
さらに違いを言うならば、
人物自体を問題にするプロットは生活を描くものであり、
第三のプロットの進行方法は経験体験を描くものである。
現代小説のほとんどが後者にあたるのではないでしょうか。
これら三つのプロットの進行方法は、
最も単純化された分割不可能な単位ではないかと思う。
便宜的に、行動に主眼を置くものを第一のプロット進行方法。
人物に主眼を置くものを第二のプロット進行方法。
それらに該当しない第三のものを第三のプロット進行方法と呼ぶ。
以上が師にあたる人から教えられた小説を考える上での指針だ。
次回は小説にあっては切っても切れぬ仲である「時と空間」について。
小説について
今日から数回に分けて小説の構造について考えてみたいと思います。
多くの人が感じるように、人の生き方にはいくつかパタンがあるように思える。
小説はそのパタンを登場人物を通して描きだし、
読者に人生を提示する役割を持っていると言える。
しかしそのような見方ができる一方で、
実際の人生のパタンと小説内の人生のパタンは違う、という現実があります。
人生のパタンに執着するあまりに、小説であることを忘れがちになります。
小説を考える際には、あくまで小説であることに主眼を置くべきです。
そのような態度を取るためには、小説を考える前に、
小説は実人生に密に関わる、または実人生にはあるパタンが存在している、
そのような前述の考えを頭から離れたところに置く必要があります。
というのも、小説家は人生のことについて書く以外には何も無く、
小説家が小説を書く際には人生をパタンととらえて扱うしか無いのです。
つまり、これはあのパタン、あれはこのパタン、などと
分類することに執着していても小説を語ることにはならないのです。
プロット( 話の筋 )の進行、その動き具合に注目することが大事だと思う。
小説においてプロットは必ずある一定の順序で進行する。
しかし、その進行するプロットのありようを調べるのではなく、
そのプロットはどういうものなのかという点を調べることが重要です。
そうすることが小説を考える最も真っ直ぐな姿勢だと思います。
プロットの進行について考えてみると、
作家はいくつかの方法を取っていることがわかる。
わかりやすいものとしてアクション小説がある。
アクションが主体の小説では、
そのプロットは現実からの逃避という形を取って進行する。
絶え間ない現実逃避に読者は魅力を感じていることになります。
次に何が起こるかということに読者は興味を持つということです。
異常な事態に遭遇した登場人物の行動自体が主体の小説といえる。
人物はあくまでプロットを進行させる装置でしかない小説だ。
それに対して、人物自体が問題とされる小説がある。
このような小説では事件は典型的( 突飛なものではない )であることが多く、
プロットの進行とともに登場人物についての説明が増えて行き、
読者はその登場人物に対する理解を深めて行く。
つまり読者の登場人物に対する知識が変わっていく小説ということだ。
あくまでプロットからは登場人物が独立した存在であり続ける小説だ。
これら二つのプロットの進行方法は明確に分かれるものではなく、
ときとして両方の性質を得ているものもある。
またこれらとは違う性質の小説も存在する。
プロットと登場人物が密接に関わりあう小説だ。
次回はその小説について少々触れたいと思います。
霧舎巧 『ドッペルゲンガー宮―"あかずの扉"研究会流氷館へ』
本日紹介させていただきますは、霧舎巧さんによる 『ドッペルゲンガー宮』
ドッペルゲンガーという文字だけでも奮えがきますが、そこに《あかずの扉》ときては、
ミステリを楽しむ人間としては、手に取らざるを得ないタイトルの一つでした。
ドッペルゲンガーというモチーフは古来より作家たちに愛されてきたもので、
中でもドストエーフスキィなどは、明確にドッペルゲンガーとは言わないまでも、
小説内において、二重性の特殊な効果を最大限に活用していたようにも思えます。
( ex..ドストエーフスキィ 『二重人格』、 『カラマーゾフの兄弟』イヴァンの前に現れる悪魔 )
( ex. ディケンズ『憑かれた男』の悪霊 )
話がそれましたが、非常に魅力的な題材だということです。
今回の 『ドッペルゲンガー宮』 はあらゆる箇所にドッペルゲンガーを見ることができました。
そしてそれは小説のプロットと密接に絡み合い、
探偵たちの展開する推理合戦を二転三転させる要因となっています。
虚像か実像か、非常に興味をかきたてられるイメージです。
さて、小説 『ドッペルゲンガー宮』 読み終えた時の率直な感想ですが・・・
「まさに本格」
尖塔がいくつも立ち並ぶ、重厚なゴシック様式の館。
幾筋も張られた伏線から導き出される意外な結末。
二転三転する少ない情報から論理的に提示される推理。
そして忘れてはならない 『名探偵』 の存在。
僕らはこれを待っていた!
『名探偵』 の登場こそ本格推理小説の醍醐味のひとつだと思います。
常人の理解を超えた思考、
論理的飛躍を許さぬ一方で、常人には飛躍に思える論述。
しかしその飛躍すらも 「なるほど」 と思わされてしまう。
これぞ 「名探偵」 と僕は最大限賛辞を送りたい。
しかも、豪華なことに、この小説内では名探偵が二人も登場する、
さらに、blog「カラクリリリカル」でBさん が言うように、
館の内外に分かれた二人の名探偵が行う携帯電話を介した二元同時推理合戦!!
これがとにかく鳥肌モノなんです!
また、以前にも書きましたが 、この小説には異化作用を引き起こすセリフが頻繁に登場します。
おそらく作者の霧舎巧さんは、この館もののトリックが荒唐無稽であると自覚なさっていたのでしょう。
トリックが無謀と知りつつも、そのトリックが最も小説的魅力をを引き出すものであったため、
容易に変更できるにも関わらず、理詰めの味も素っ気も無いトリックに変更するを良しとせずに、
「これは小説ですから」 と常に読者にメッセージを発し続けているのでしょう。
故に 「実現不可能だ」 とか 「偶発性に頼りすぎている」 といった野暮なことは言わず、
この危うさを最大限楽しみ、主人公と同じ次元で物事を推理することを楽しむのが良いと思います。
理詰めガチガチのトリックも、危ういアクロバティックなトリックも、
どちらも本格の面白さではないでしょうか。
ドッペルゲンガー、開かずの扉、本格、館もの、これらの検索ワードで飛んでこられた方、
絶対に買いです!好みに合わずとも何かしら得るものがある作品なので買いです!




