『光る君へ』第9話は、いろんな意味で、世情を煽るものだった。
吉高由里子さん自身でさえ、Twitterに思いを綴っている。
また、「鳥辺野」という言葉、地名についての知識があれば、より深くこの第9話を味わえただろうということで、やはり古文を学ぶことの意義が語られていたりする。
ただ、そういう見解そのものが、墓穴だったりする。
「鳥辺野」について理解するには、この単語が出てくる作品の原典に当たる必要は、ほぼない。
一般人が大河ドラマや市井にあふれる文学作品を楽しむレベルで良ければ、現代語訳の文章を鑑賞する機会がなんどかあるだけで十分。
だってぼくらは、『三国志演義』だって『オセロ』だって、『戦争と平和』だって『ライ麦畑でつかまえて』だって、たいていは現代日本語訳で読んでるわけだし。(もちろん原典・原文で読んでより深い理解を得ている人もたくさんいるだろうけど、それって中学・高校レベルの教養?)
くりかえすけど。
古文・漢文に費やす時間・労力があるなら、せめてそれをすべて注ぎ込んで現代日本語訳でより多くの作品に接するなり、あるいは他の教科の学習に当てるほうが、より豊かな人生を送れるようになると信じて疑わない。