つかこうへい追悼シリーズ第15弾
『つか版・女大学』
今となっては俄かには信じ難いことだけど、日本でもバブルの頃までは、女はこうあるべきだ、みたいなことを言う人がそこらじゅうにいた。
新橋の焼鳥屋の酔っ払いや親戚のおっさんだけでなく、会社の中間管理職とかテレビの中の評論家にも、そういう人がたくさんいた。
声高には叫ばないまでも、それら言説に賛成する人もいたし、逆にムキになって反対論を唱える弁護士や教授もいた。
なんでみんな、あんなにバカだったんだろう。
ムスリムでもあるまいし、そんなところに「べき論」なんかあるわけない。
あるのは、個々の人間が、どっちの方が好きだと想うかというだけのことだ。
「女は家庭を守るべきだ」とか「女も職業を持つべきだ」とか、本気で口角飛ばして議論してたんだから笑ってしまう。
そんなもの、善悪も上下もあるわけがない。
専業主婦になりたい人が専業主婦になり、働きたい女性が働けばいいだけのことで、それができるのがいい世の中だ。
働きたい女性が(女性であることを理由に)働けないとか、働きたくない女性が(経済的な困窮を理由に)働かなければならないのが、悪い世の中だ。