バブル崩壊から20年。
極論すれば、この20年間、潰すべきものを潰さず、殺すべきものを殺さず、無理矢理人為的に延命させてきたことが、今の日本低迷を招いた。
残ったのは、ゾンビと(漠然と「国」ではなく)政府の借金。
では、誰のためにゾンビを生き長らえさせ、膨大な借金を積み上げたのか。
1990年の時点で、団塊の世代は40代前半、部課長レベル。
ここより上の世代が、バブルを謳歌した。
高度成長の波に乗った世代とあわせて、1930年代生まれ、40年代生まれが、「幸せの骨頂」にいた。
いい時代を経験したのだから、バブル崩壊の後は、本来ならこの世代が路頭に迷うべきだった。
だが、そうはならなかった。
もちろん個々には大変な辛酸を嘗めることになった人もいるが、その多くが逃げ切りに成功し、退職金をもらって一線を退いた。
あるいは、今でも企業や社会組織のトップに君臨している人たちもいる。
そう、彼らが逃げ切るためにこそ、潰れるべき産業や企業が温存され、借金が積み上げられていった。
このツケを、誰が払うのか。
言い換えれば、日本を再び甦らせるために、誰が犠牲になればいいのか。
1990年以降に生まれた、今でもまだ子どもである世代にまで累を及ぼすわけにはいかない。
1970年代生まれ、80年代生まれの世代は、まさに日本再生のために頑張ってもらわなければならない人たち。
バブル崩壊の時点ではまだ未成年だった彼らには、バブルの責任もバブル崩壊の責任も負わせてはいけない。
腹を括るべきは、バブル崩壊以後の20年、その気になればいくらでも手を打つことができる立場だったにもかかわらず何もしてこなかった、1950年代・60年代生まれ。
日本再生のために何か我慢が必要なら、この世代が耐え抜くしかない。
次の世代のために、捨て石になるしかない。
少なくとも僕は、その覚悟だ。
ちなみに、30年代生まれ・40年代生まれに「テメェのケツぐらいテメェで拭け」というのは、無理な相談というもの。
泥棒に縄を綯わせるより難しい。
それどころか、「俺たちは戦中戦後に国を支えてきた世代。もっとよこせ」と言い返されるのが関の山。
西暦2050年の日本が、どうか輝いていますように。