アメブロには「トラックバックステーション」というものがある。
週に1つのペースでアメブロがお題を設定し、それについて各人が好き勝手に記事を書くというもの。
ネタ切れに悩まされるブロガー(って、本末転倒、何のためにブログやってるんだろう)にとっては、救いの種になるらしい。
で、今週の政治・経済ジャンルのお題は「女性天皇は是か非か?」というもの。
これまでこのテーマについては何度も書いてきたので、くどくどとは説明しない。
いちばんのポイントは、「女性天皇の是非」を問うことに本質的な意味はないということ。
この質問そのものが、アホ丸出し。
女性天皇はこれまでにもたくさん例があるわけで、これを認めるか否かというのは、ある意味、平成の世の勝手で決めていいことではない。
だが、問題は、「女性天皇」を認めるか否かではなく、まったく前例のない「女系天皇」を認めるかどうかということである。
今後皇室に男子が生まれなかった場合、愛子様に即位いただくのはいいとして、その次の代には男系の子孫が絶えてしまう。
今の世の皇室典範など、2000年の歴史の中ではどうでもいいものだが、「男系相続」という伝統は、天皇制の本質とさえ呼べるものであり、これが維持できないのであれば、天皇制の存続を肯定するか否定するかとかいうのとは別の次元の問題として、天皇制を戴く意味がなくなる。
伝統を壊すのは容易く、守るのは大変なことだが、だからこそ、天皇制という文化を次の時代の日本に伝えることには大いに賛成である。
しかし、伝統の中の伝統、「男系による万世一系」を守れないのであれば、もはやそれは天皇制でもなんでもない。
正攻法で考えるなら、愛子様にご即位いただき、その御世を持って天皇制を締めくくるという選択肢しか考えられないのだ。
「男女平等の時代だから、女性天皇でもかまわない」などと口走るのは愚の骨頂で、どんな時代にも変わらぬものであるからこそ伝統であり、伝統を守るがゆえに天皇制の存在価値があるのだ。
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で、邪道な解決策。
1つは昨年11月17日
に書いたように、人工授精の手法を用いること。
皇太子殿下、雅子妃殿下(または秋篠宮様、紀子様)の精と卵を頂戴し、三笠宮のお2人または高円宮のお3人の女性皇族に代理母の労をお取りいただく方法。
もう少しマイルドな方法としては、鷹司系でも伏見宮系でも、たとえはるか以前に枝分かれした家系であっても実血縁でつながっている男系男子の中から、もっとも国民の理解を得られる人物を選ぶという手もある。
あまりに現皇室との家系図上の距離が遠いのでこの方に即位いただくわけにはいかない(国民的合意が得られない)が、もしも愛子様(または眞子様、桂子様)とご結婚され、男子誕生のあかつき、にはその問題も解決され、ぎりぎりのところで「男系男子による皇位継承」と呼ぶことができるのではないだろうか。
もちろんこんな案を出したところで、「愛子の人格を否定するような動きがあった」と非難を受けるのは必死で、けっして容易なことではないのだけれど。