教育の第一義的責任が親にあることは、言うまでもない。
親が最大限の愛情を注ぐことが、自明以前の大前提だ。
だが、親が愛情を注げばこと足りというような、甘いものではない。
親の愛情は必要条件ではあっても、十分条件ではない。
他の多くの分野と同様に、教育にもプロの助力が不可欠だ。
もちろんこればかりでもどうしようもないのだが、親の愛情とプロの助力、この両輪が備わってはじめて教育が機能する。
どこにプロがいるのかというのが難しい問題だが、あきらかなのは、公立の小中高の教師は、ごく少数の例外を除けば、プロには到底含まれないということだ。
今さら何を言ってるのだ、とか想いながら読んでくれてる?
とりあえず今日は、記念碑的にこれを書かせてよ。