#244 DAY AFTER TOMORROW | プロパンガス

プロパンガス

いっしょうけんめい働いた人が
せめてビールぐらいは安心して
本物を飲める世の中をつくろう


『THE DAY AFTER TOMORROW』を観た。

これからある映画を観ようとしている時に先にその映画を観た人にストーリーをばらされるのがすごくイヤ、という人は多いようだ。


プロパンガスは、そんなことは一向に気にしない。


というか、台本を先に読んだ上で観ても面白い映画でなければ、映画としての価値はないとすら考えている。


映画は、ストーリーやメッセージを映像と音響で伝える芸術だ。


「どう」伝えるかにのみ意味があるのであって、「何を」伝えるかには、まったく意味はない。

で、この作品は、Roland Emmerich監督をはじめ、『INDEPENDENCE DAY』のスタッフが制作に携わったということで、話の展開や結末は、観なくても容易に想像がつく。


実際、見事な予定調和だった。


それでも、映像スケールの大きさに、観ていてとても楽しかった。


2時間はあっという間に過ぎてしまった。

この映画を観てさらに確信を深めたことがある。


後期クリントン時代のアメリカ景気拡大の特徴は、中間層の没落を犠牲にしてまでなされた貧困層の引き上げだった。


白人中間層の所得はほとんど増えない反面、失業者は大幅に減少した。


これまで映画を観ることのなかった低所得者層が一気にハリウッドにとっての顧客ターゲットになったことで、難解な内容・複雑な展開の映画は敬遠されるようになり、単純明快な作品ばかりが作られるようになった。


それほどには映画を観ていないプロパンガスの感覚で言うなら、『フォレスト・ガンプ』あたりからその傾向が明らかになり、『タイタニック』で行くところまで行ってしまった。


次には、映画の中の英語までもが、どんどん易しくなっていった。


プロパンガスでも聞き取れるセリフが、多くなってきた。
(プロパンガスの英語力がその間に上がったということは、謙遜なしに、あり得ない)


この『THE DAY AFTER TOMMOROW』に至っては、ほとんどが理解できた。

これを良いこととも悪いこととも言うつもりはない。


個人的には、歓迎すべきことなのかもしれない。


ただ、商業主義的な誘引によって映画産業が変質するのは、それでなくても憂慮されていることを考えると、
ちょっとどうなのかなぁ、とも想う。