最近ね…家族のことをよく考えるんです。

私にはお陰様で両親が健在で、11歳年上の兄と、8歳年上の姉がいて

5人家族でした。



先月の終わりにまた老人ホームに慰問ライブに行って…

「また来ますね?」の約束がまずは一回分、果たせました。



この前のライブはもぅ怖くなかった。

私の顔を覚えてくれているお年寄りもいて、多少お互い緊張もとれて

一緒に「青い山脈」なんて歌ってくれて…

歌い終わったら自然に「昔、映画見たのよ~カッコよかったのよ~♪」って。



別れ際には、お誕生日の話になって、

「私の家は貧乏だったから夏に私を産んだのよ。

 だって服が少なくて済むでしょ?」(笑)なんて。



ほんの30分歌って、ニコニコおしゃべりして、手を握って

「また来ますね♪」と帰る私たち。



このお年寄りの方たちのご家族って、ちゃんと会いに来るのかな。。。

ひょっとして、もう身寄りがないからココにいるのかな。。。



ちょっと切なくなった。

でも、また行ける限り「また来ますね」の約束を果たしに

私は歌いに出向こうと思う。






先日、父が急遽、心臓のペースメーカーを入れないといつ心臓が

止まるか分からない状態だと連絡が来た。



父は自覚症状がなく、最近手足がやたら冷たくて、居眠りばかりしていた。

きっともう80歳を超えたから仕方ないのかな?って。



でも血圧が200を超え、おかしいと判断した母は近所のヤブ医者じゃ

信用ならないともう一件の病院へ。

そうしたら「完全房室ブロック」という心臓の中で電流がうまく伝わって

いないという診断が…



お陰様で、手術は無事に成功。

当日は痛がって大変だったみたいだけど、明後日、退院が決まった。



それでね…

高齢の父がそういうことになって…

母もいろいろ考えるようになって…



一人になる準備っていうのかな…




うちは、傍から見たら普通の5人家族なんだけど、

私は、兄と姉とは異母兄弟なんです。



兄と姉のお母さんは、兄が小学3年生、姉が幼稚園の時に

父の転勤でイタリアに赴任中に車の事故で亡くなってしまった。



パイロットだった父は年中フライトがあって、一週間や二週間の

不在は当たり前で…早く新しいお母さんを探してあげないと…と

短期間でお見合いをして



奥さんを亡くした悲しみも、悲しいと思う暇もないくらい焦って

兄と姉のために、今度は叩いても簡単には死なないような強い

お嫁さんを探して私の母と再婚をして…



そして私は生まれた。



本当に私の母は強いw

本当の本当は、ものすごくデリケートな脆い人なんだけど、

家族のために身を粉にして動きまくるパワフルな女性。



時々、頑張りすぎて、目の前が見えなくなって…

ワァーーーー!ってなっちゃう時もあるけど、見習うべき強い母。



そんな母も歳をとった。




私が子どもの頃…

激怒した時の頭に角が見え隠れする、あんなに怖かった母が

すっかり気弱になって…



この一週間は電話で気を張っているけど、弱い部分が出てきて

それでも自分を奮い立たせてて…



兄貴は…ほぼ音信不通。

一応、居場所は分かっているけど…



兄は多感な時期に本当の母を亡くしてしまった。

新しいお母さんがきて、姉曰く、本当に嬉しくて嬉しくて



でも当時の母は若くてイキナリ二人の子持ちになり必死だったようで

特に兄は長男だからか厳しく育てたみたいで…


私は物心ついた時から兄が母にこっぴどく叱られているのを

何度も目にした。


だから自分はこれ以上、母を怒らせてはいけないんだと…

そういう人格が形成されていったと思う。



兄にとっては待望の新しいお母さん。

甘えたいのに、その人から怒られる。


傍から継母だと思われないように、ちゃんと育てたい一心の母。




いつしか思いがすれ違ってしまったようで。。。




兄は我が家に寄りつかなくなってしまい…



私は高校生になった兄に幼稚園のお迎えをしてもらったり、

よく散歩に連れてってもらったり、本当に兄が大好きで。



どうして一緒に暮らさないんだろう?って子どもながらに

寂しかった。



父が入院したって連絡を姉に頼んだ。

私が連絡すると母を彷彿させるみたいで…

兄を追い詰めるみたいで…



なんでこんなこと書いたかって…

もしね、

もちろん父には長生きしてもらいたいし、長生きしてもらうんだけど



もし、父が亡くなったら、兄と姉は戸籍上、宙ぶらりんになるって

ことが最近わかって。。。



兄と姉のお母さまはもうこの世にはいない。

父が亡くなったら、宙ぶらりんな訳で。



なので母と養子縁組をしないとならないって。。。



兄貴…そんなことするって言うかなぁ…

…っていうか、ママが嫌がりそう。。。

兄貴も嫌がるか。。。



母は養子縁組が嫌なわけではなく、

普通の親子の挨拶や会話が成り立たないことに腹を立て、



兄は小学生の時、時間が止まってしまったようで…

本当はいまだに甘えたいのに、うまく甘えられない。



いつの間にか高くなってしまった敷居は、本当に高くなってしまい

今はどうやってこの高い塀を乗り越えていいのか…って感じで。




でも…

家族って、どんなことが起きても家族でしょ?



一緒に5人で暮らしてた時間があったことは消えてないでしょ?



人は、すべての人の気持ちが分かる訳じゃない。

それが血縁関係にあっても。


母と兄は言ってみれば他人だけど、本当の親子じゃないけど

やっぱり親子でしょ?



縁あって、我が家にきた母。

新しいお母さんに喜んだ兄と姉。

そこに私が増えて、また家族になって。



姉はね…ずっと一緒だった。

私が6年生で初めて異母兄弟だと知らされるまでは

やっぱり心の片隅で「お姉ちゃんが冷たいな…」って思ってた。



あぁ…

お姉ちゃんの冷たさって、こういうことだったんだ…って

気づいても、私は今まで通りの「妹」でいるしかなかった。



でも私が18歳になって、よく二人で一緒にママに叱られて、

どちらかの部屋で「ママのああいう怒り方ひどいよね!」って

グチグチ言っては機嫌を直してw



姉が「あんた…大きくなったね…」って頭を撫でられた時に

本当の姉妹になったと心から感じたのを覚えている。



だから兄も、今は母と確執があるかもだけど…

もう少しお互いがみんな歳をとったら、分かり合えないかなぁ…



今日、姉と電話で話してて、姉が持っている思い、

私が抱いていた思い、実は私には話せなかった姉の知っている兄の思いを

聞いて涙が出た。



私は人って捨てたもんじゃないって、いつも思う。

残念ながらすれ違う人もいるんだけど…

それでも私は人のもつ「繋がり」を信じたい。


人と人が縁があって出会い、他愛ない会話から「信頼」を感じて、

キレイ事に聴こえるかもだけど、

自分は一人じゃないって感じれる。



普通に生活したいだけなのに!って悲鳴が聞こえそうな

ツライ話を近くで聞いたりするけど…



それでも私は「人」を信じたい。




支離滅裂な日記でごめんなさい。

でも…



私はどんなに傷ついても、人を信じることを辞めない。

いつか分かり合える日がくるまで努力あるのみ。









勉強して部活して宿題して
ちょっとだけテレビ見て
お風呂に入ったら気絶しそう…

毎日毎日気づけば
「え?またこの番組?」なんて
あっという間の一週間

好きな本も読めない
パソコンする時間もない
たまにはママにお小言いわれずに
ボーっとしたいわ…

それでも
苦手な早起きも
あなたに会えると思えば
嫌でも目が覚めちゃう

自慢の艶やかな黒髪を
一つにキリリと結び
前髪が跳ねてるのはご愛嬌

スネアのリズムに
今の気持ちをたたみ掛けて
どうか私の「好き」に気づいて!

ンタンタ スタタタタン
ンタンタ スタタタタン
刻む音の中にコソッと隠すよメッセージ
「すきすき 大好きよ!」



あの娘が好き こっちも好き
あっちも気になる
人の気持ちも知らないで
どういうつもりで私に話すの?

楽器の配置が
今のあなたとの距離
もう少しだけ縮めたいの
同じ空間に居られるだけで
今は楽しくて仕方がないのだけど…

いつもはチャラいあなたが
バチを持ったらあら不思議
スポットライトを浴びて
眩しいくらい

ンタンタ スタタタタン
ンタンタ スタタタタン
ドラムのリズムが私の心臓に響くの
どうしてこんなに好きなんだろう

ンタンタ スタタタタン
ンタンタ スタタタタン
いつかは絶対追いつくわ名ドラマー
「あと 少し 待っててね!」

ンタンタ スタタタタン
ンタンタ スタタタタン♪




【工程】

最近ね…吹奏楽部の娘が恋をしているんです♪

小学生の頃から好きだった遠距離の男の子から
身近な同じ部活の男の子に…(*´Д`人)♥

毎日毎日、練習漬けでよく文句も言わずにエライなぁ~
なんて思っていたけど…

あ~~~~
文句言わずに学校へ通う理由があったわ!w

もちろん楽器が大好きで真面目に習得しようと
しているのだろうけど。

近くにいるだけで、遠くから見ているだけだって
楽しくって仕方がない甘酸っぱいあの頃。

勉強していたって、気づけばスネアのリズムを
勉強机に叩いてしまう…

ふふふ…

キュンキュンだね♪


家族のことをちゃんと詩に書いたのは初めてかな?
すでに一個書けてるけど、改良中w

ちょっとだけ自分の中学の頃のことも思い出しながら
ガガガーっと書いちゃったw



今年もあと5日ですね雪の結晶

年末は多忙なせいか、分かっているのに気持ちばかりが焦ってしまいます…w




今日は「ひばり苑」という老人ホームに慰問ライブに行ってきました。




先日のウィンターライブで少し気が抜けてしまったのか、昨日から
少し喉の調子が悪く…

ウガイしまくりでガーン


まだ喉が痛い…とまではいきませんが、疲れが出てきてる感じですかね?




なかなか夜の路上ライブができなくてジリジリしている私にお師匠様たちが
「一緒に行きませんか?」と誘ってくれた慰問ライブ。

なんとか一度行ってみたかったアップ



初めて「慰問ライブ」ということを聞いた時に思い出したのは
自分の大好きだったおばあちゃんのこと。


母方の祖母は、本当に菩薩様のように優しく、誰からも好かれて
いつもニコニコしていて…

幼稚園の頃から小学校を卒業するまで、私は、夏休みと冬休みは必ず
宿題を持って、休みの9割は一人暮らしの祖母の家で過ごす…というのが
恒例でした。

祖母は、当時ガミガミ怒る母とは違い、なんでも話を聞いてくれて、
なんでも好きな料理を作ってくれて…

よく上野動物園に手作りのお弁当を持ってきてくれて一緒に行ったものです。



小学生になった私は東京の家から電車を乗り継いで千葉県柏市まで
大人になった気分でプチ旅行w

甘やかしてくれる祖母が大好きでしたw

だから…必ず太って帰宅する…っていうのも通例でしたw



私が中学に入り、お休みもあるにはあったけど、友達と遊ぶのが多くなったり
勉強も忙しくなって、おばあちゃんの家に泊まりにいくこともなくなりました。

それでも、電話でよく話しては「ユキちゃん…遊びに来ない?」と
言われていたのを思い出します。

ちょっと大きくなってからは巣鴨の駅で待ち合わせて、一緒に
とげぬき地蔵にお参りをして、一緒にうどんなんかを食べてデートしては
千代田線に乗り換える祖母のために山手線をわざとグルッと回って
祖母の降りる西日暮里まで送ったり…


結婚が決まり、お腹に孫ができたんだよ~って報告に行った時には
おばあちゃんの頭の中のスイッチは時々、ついたり消えたりするようになって…

群馬県に転勤になったから引っ越すんだよ~って長女を連れて報告に
養護施設に出向いた時は、とんちんかんなことを話すようになってきました。

それでも、優しい眼差しで…「ユキちゃん」と呼んでくれました。



ちゃんとお話できたのは、この時が最後だったかなぁ…



母が一人で養護施設に出向いた時に「お母さん♪」と肩を叩くと
祖母はひとこと

「どちらさま?」と。


祖母は自分の3人の子ども達のことも、もちろん孫の私のことも
わからなくなってしまった。

私はそれでも群馬県から千葉県まで会いに行くよ?と母に話しますが

「だって私達のこと分かってもらえないのよ?
 小さい娘連れてまで来なくていいわ。
 これからを生きていく家族を守るのが、あなたの仕事よ」

と、言われ…

全然行ける距離だったのに、母にお見舞いを任せて育児に没頭しました。



時々、母の口から

「私のことは分かってもらえないけど、とても施設で楽しそうなのよ。
 心臓はやたら元気で、よくご飯食べてたわ~」

なんて、涙声で聞かされて…


このままずっと、ずっと長生きしてくれる気がしてました。



福岡に転勤が決まって、ますます千葉から遠くなる時に頭によぎった
おばあちゃんのこと。

でも、自分の生活を安定させること、子ども達の生活のことを考えたら
千葉に寄ってから行く…という選択肢は後回しになっていました。


そしてちょうど2年前くらいの1月に、97歳で亡くなりました。


私が一番嫌いな言葉。

「~しとけばよかった」


一番嫌いなのに、

分かっていたのに、



会いに行っとけばよかった。




祖母に申し訳ない気持ちでいっぱいで…

あんなに、あんなにいっぱいお世話になって、

あんなに、あんなに可愛がってもらっておきながら

ほんの数分、会いに行くのを後回しにした私。



旦那様が難病にかかって退院した直後だったのもあって、母はお葬式にも
わざわざ来なくていいから…と。

それでも、なぜか焼き場がいっぱいとかで、一週間も祖母は待ってくれて…

告別式の日の朝。

どうしてもお別れを言ってきたいと頼み、朝一の便で出向きました。



私に来なくていいと言った母は、弱気になったのか、朝から私の携帯に
何度も電話をしてきて、飛行機に乗っている間中もかけまくったらしく…

いま羽田に着いたから…と告げると泣き崩れて…



おばあちゃんに会ったのは約10年ぶりでした。



ごめんね…おばあちゃん。

孫の中ではきっと一番お世話になってるはず。

そして、きっと一番可愛がってもらったと思う。



斎場で私はさらに後悔をすることになります。


母の兄嫁の口から衝撃的な言葉を聞きます。

「おばあちゃんね…ボケてるはずなんだけど…
 よ~く『ユキちゃんは?』って聞いてたのよ?」

「うんうん…確かに『ユキちゃん、ユキちゃん』って
 言ってたね…」

って、従兄弟の口からも…




ごめんね…おばあちゃん。

ちゃんと顔を見せにくればよかった。

分からなくたって声をかけてあげればよかった。






今日、老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃん達の顔を見て

色んなことを思い出しました。



最初、お師匠様からは

「普段あまり楽しみのないお年寄りからは、『歌が下手だね…』とか
 言われちゃうんで、みんな軽くショックを受けてくるんです」

なんて聞いていたので、正直、今日のライブは怖かった。



まだ精進中の私の歌に文句を言われても仕方がない。

でも、心を込めて歌おうと決めて…



勝手だけど、会いに行けなかった自分の祖母の代わりに
今日会うお年寄りを大事に思い、楽しませてあげようと…



でも施設に着いて、お顔を見たら…そんな不安は全然なくなりました。

もちろん全員がニコニコしている訳ではありませんが、


目が、

目の奥がキラキラしてる。



手拍子できるおばあちゃんもいたり、節に合わせてうなずくおじいちゃんも…

ずっと下を向いていたけど、別れ際に手を握って「また来ますね」と
言ったら

「楽しかったよ」と言ってくれたおじいちゃんもいて…



色んなことを考えさせられたライブでした。



一人のおじいちゃんが

「私は音楽が好きでねぇ~よかったよ~」って。



年齢は関係ない。

何歳になったって音楽は境界線がない。



鼻歌を歌いながら料理をしていた私のおばあちゃんにも

歌ってあげたかったなぁ…



今日、ひばり苑で会ったおじいちゃん、おばあちゃんには
絶対にまた会いに行きます。


とっても、とっても、いい時間を過ごせたと思います。

そして、もっと感動させられるような歌い手にならないといけないな…って。



長くて、とりとめがなくて申し訳ない。

でも、久しぶりに大好きなおばあちゃんのことを思い出したから
書いておきたくって…