今年もあと5日ですね
年末は多忙なせいか、分かっているのに気持ちばかりが焦ってしまいます…w
今日は「ひばり苑」という老人ホームに慰問ライブに行ってきました。
先日のウィンターライブで少し気が抜けてしまったのか、昨日から
少し喉の調子が悪く…
ウガイしまくりで
まだ喉が痛い…とまではいきませんが、疲れが出てきてる感じですかね?
なかなか夜の路上ライブができなくてジリジリしている私にお師匠様たちが
「一緒に行きませんか?」と誘ってくれた慰問ライブ。
なんとか一度行ってみたかった
初めて「慰問ライブ」ということを聞いた時に思い出したのは
自分の大好きだったおばあちゃんのこと。
母方の祖母は、本当に菩薩様のように優しく、誰からも好かれて
いつもニコニコしていて…
幼稚園の頃から小学校を卒業するまで、私は、夏休みと冬休みは必ず
宿題を持って、休みの9割は一人暮らしの祖母の家で過ごす…というのが
恒例でした。
祖母は、当時ガミガミ怒る母とは違い、なんでも話を聞いてくれて、
なんでも好きな料理を作ってくれて…
よく上野動物園に手作りのお弁当を持ってきてくれて一緒に行ったものです。
小学生になった私は東京の家から電車を乗り継いで千葉県柏市まで
大人になった気分でプチ旅行w
甘やかしてくれる祖母が大好きでしたw
だから…必ず太って帰宅する…っていうのも通例でしたw
私が中学に入り、お休みもあるにはあったけど、友達と遊ぶのが多くなったり
勉強も忙しくなって、おばあちゃんの家に泊まりにいくこともなくなりました。
それでも、電話でよく話しては「ユキちゃん…遊びに来ない?」と
言われていたのを思い出します。
ちょっと大きくなってからは巣鴨の駅で待ち合わせて、一緒に
とげぬき地蔵にお参りをして、一緒にうどんなんかを食べてデートしては
千代田線に乗り換える祖母のために山手線をわざとグルッと回って
祖母の降りる西日暮里まで送ったり…
結婚が決まり、お腹に孫ができたんだよ~って報告に行った時には
おばあちゃんの頭の中のスイッチは時々、ついたり消えたりするようになって…
群馬県に転勤になったから引っ越すんだよ~って長女を連れて報告に
養護施設に出向いた時は、とんちんかんなことを話すようになってきました。
それでも、優しい眼差しで…「ユキちゃん」と呼んでくれました。
ちゃんとお話できたのは、この時が最後だったかなぁ…
母が一人で養護施設に出向いた時に「お母さん♪」と肩を叩くと
祖母はひとこと
「どちらさま?」と。
祖母は自分の3人の子ども達のことも、もちろん孫の私のことも
わからなくなってしまった。
私はそれでも群馬県から千葉県まで会いに行くよ?と母に話しますが
「だって私達のこと分かってもらえないのよ?
小さい娘連れてまで来なくていいわ。
これからを生きていく家族を守るのが、あなたの仕事よ」
と、言われ…
全然行ける距離だったのに、母にお見舞いを任せて育児に没頭しました。
時々、母の口から
「私のことは分かってもらえないけど、とても施設で楽しそうなのよ。
心臓はやたら元気で、よくご飯食べてたわ~」
なんて、涙声で聞かされて…
このままずっと、ずっと長生きしてくれる気がしてました。
福岡に転勤が決まって、ますます千葉から遠くなる時に頭によぎった
おばあちゃんのこと。
でも、自分の生活を安定させること、子ども達の生活のことを考えたら
千葉に寄ってから行く…という選択肢は後回しになっていました。
そしてちょうど2年前くらいの1月に、97歳で亡くなりました。
私が一番嫌いな言葉。
「~しとけばよかった」
一番嫌いなのに、
分かっていたのに、
会いに行っとけばよかった。
祖母に申し訳ない気持ちでいっぱいで…
あんなに、あんなにいっぱいお世話になって、
あんなに、あんなに可愛がってもらっておきながら
ほんの数分、会いに行くのを後回しにした私。
旦那様が難病にかかって退院した直後だったのもあって、母はお葬式にも
わざわざ来なくていいから…と。
それでも、なぜか焼き場がいっぱいとかで、一週間も祖母は待ってくれて…
告別式の日の朝。
どうしてもお別れを言ってきたいと頼み、朝一の便で出向きました。
私に来なくていいと言った母は、弱気になったのか、朝から私の携帯に
何度も電話をしてきて、飛行機に乗っている間中もかけまくったらしく…
いま羽田に着いたから…と告げると泣き崩れて…
おばあちゃんに会ったのは約10年ぶりでした。
ごめんね…おばあちゃん。
孫の中ではきっと一番お世話になってるはず。
そして、きっと一番可愛がってもらったと思う。
斎場で私はさらに後悔をすることになります。
母の兄嫁の口から衝撃的な言葉を聞きます。
「おばあちゃんね…ボケてるはずなんだけど…
よ~く『ユキちゃんは?』って聞いてたのよ?」
「うんうん…確かに『ユキちゃん、ユキちゃん』って
言ってたね…」
って、従兄弟の口からも…
ごめんね…おばあちゃん。
ちゃんと顔を見せにくればよかった。
分からなくたって声をかけてあげればよかった。
今日、老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃん達の顔を見て
色んなことを思い出しました。
最初、お師匠様からは
「普段あまり楽しみのないお年寄りからは、『歌が下手だね…』とか
言われちゃうんで、みんな軽くショックを受けてくるんです」
なんて聞いていたので、正直、今日のライブは怖かった。
まだ精進中の私の歌に文句を言われても仕方がない。
でも、心を込めて歌おうと決めて…
勝手だけど、会いに行けなかった自分の祖母の代わりに
今日会うお年寄りを大事に思い、楽しませてあげようと…
でも施設に着いて、お顔を見たら…そんな不安は全然なくなりました。
もちろん全員がニコニコしている訳ではありませんが、
目が、
目の奥がキラキラしてる。
手拍子できるおばあちゃんもいたり、節に合わせてうなずくおじいちゃんも…
ずっと下を向いていたけど、別れ際に手を握って「また来ますね」と
言ったら
「楽しかったよ」と言ってくれたおじいちゃんもいて…
色んなことを考えさせられたライブでした。
一人のおじいちゃんが
「私は音楽が好きでねぇ~よかったよ~」って。
年齢は関係ない。
何歳になったって音楽は境界線がない。
鼻歌を歌いながら料理をしていた私のおばあちゃんにも
歌ってあげたかったなぁ…
今日、ひばり苑で会ったおじいちゃん、おばあちゃんには
絶対にまた会いに行きます。
とっても、とっても、いい時間を過ごせたと思います。
そして、もっと感動させられるような歌い手にならないといけないな…って。
長くて、とりとめがなくて申し訳ない。
でも、久しぶりに大好きなおばあちゃんのことを思い出したから
書いておきたくって…

年末は多忙なせいか、分かっているのに気持ちばかりが焦ってしまいます…w
今日は「ひばり苑」という老人ホームに慰問ライブに行ってきました。
先日のウィンターライブで少し気が抜けてしまったのか、昨日から
少し喉の調子が悪く…
ウガイしまくりで

まだ喉が痛い…とまではいきませんが、疲れが出てきてる感じですかね?
なかなか夜の路上ライブができなくてジリジリしている私にお師匠様たちが
「一緒に行きませんか?」と誘ってくれた慰問ライブ。
なんとか一度行ってみたかった

初めて「慰問ライブ」ということを聞いた時に思い出したのは
自分の大好きだったおばあちゃんのこと。
母方の祖母は、本当に菩薩様のように優しく、誰からも好かれて
いつもニコニコしていて…
幼稚園の頃から小学校を卒業するまで、私は、夏休みと冬休みは必ず
宿題を持って、休みの9割は一人暮らしの祖母の家で過ごす…というのが
恒例でした。
祖母は、当時ガミガミ怒る母とは違い、なんでも話を聞いてくれて、
なんでも好きな料理を作ってくれて…
よく上野動物園に手作りのお弁当を持ってきてくれて一緒に行ったものです。
小学生になった私は東京の家から電車を乗り継いで千葉県柏市まで
大人になった気分でプチ旅行w
甘やかしてくれる祖母が大好きでしたw
だから…必ず太って帰宅する…っていうのも通例でしたw
私が中学に入り、お休みもあるにはあったけど、友達と遊ぶのが多くなったり
勉強も忙しくなって、おばあちゃんの家に泊まりにいくこともなくなりました。
それでも、電話でよく話しては「ユキちゃん…遊びに来ない?」と
言われていたのを思い出します。
ちょっと大きくなってからは巣鴨の駅で待ち合わせて、一緒に
とげぬき地蔵にお参りをして、一緒にうどんなんかを食べてデートしては
千代田線に乗り換える祖母のために山手線をわざとグルッと回って
祖母の降りる西日暮里まで送ったり…
結婚が決まり、お腹に孫ができたんだよ~って報告に行った時には
おばあちゃんの頭の中のスイッチは時々、ついたり消えたりするようになって…
群馬県に転勤になったから引っ越すんだよ~って長女を連れて報告に
養護施設に出向いた時は、とんちんかんなことを話すようになってきました。
それでも、優しい眼差しで…「ユキちゃん」と呼んでくれました。
ちゃんとお話できたのは、この時が最後だったかなぁ…
母が一人で養護施設に出向いた時に「お母さん♪」と肩を叩くと
祖母はひとこと
「どちらさま?」と。
祖母は自分の3人の子ども達のことも、もちろん孫の私のことも
わからなくなってしまった。
私はそれでも群馬県から千葉県まで会いに行くよ?と母に話しますが
「だって私達のこと分かってもらえないのよ?
小さい娘連れてまで来なくていいわ。
これからを生きていく家族を守るのが、あなたの仕事よ」
と、言われ…
全然行ける距離だったのに、母にお見舞いを任せて育児に没頭しました。
時々、母の口から
「私のことは分かってもらえないけど、とても施設で楽しそうなのよ。
心臓はやたら元気で、よくご飯食べてたわ~」
なんて、涙声で聞かされて…
このままずっと、ずっと長生きしてくれる気がしてました。
福岡に転勤が決まって、ますます千葉から遠くなる時に頭によぎった
おばあちゃんのこと。
でも、自分の生活を安定させること、子ども達の生活のことを考えたら
千葉に寄ってから行く…という選択肢は後回しになっていました。
そしてちょうど2年前くらいの1月に、97歳で亡くなりました。
私が一番嫌いな言葉。
「~しとけばよかった」
一番嫌いなのに、
分かっていたのに、
会いに行っとけばよかった。
祖母に申し訳ない気持ちでいっぱいで…
あんなに、あんなにいっぱいお世話になって、
あんなに、あんなに可愛がってもらっておきながら
ほんの数分、会いに行くのを後回しにした私。
旦那様が難病にかかって退院した直後だったのもあって、母はお葬式にも
わざわざ来なくていいから…と。
それでも、なぜか焼き場がいっぱいとかで、一週間も祖母は待ってくれて…
告別式の日の朝。
どうしてもお別れを言ってきたいと頼み、朝一の便で出向きました。
私に来なくていいと言った母は、弱気になったのか、朝から私の携帯に
何度も電話をしてきて、飛行機に乗っている間中もかけまくったらしく…
いま羽田に着いたから…と告げると泣き崩れて…
おばあちゃんに会ったのは約10年ぶりでした。
ごめんね…おばあちゃん。
孫の中ではきっと一番お世話になってるはず。
そして、きっと一番可愛がってもらったと思う。
斎場で私はさらに後悔をすることになります。
母の兄嫁の口から衝撃的な言葉を聞きます。
「おばあちゃんね…ボケてるはずなんだけど…
よ~く『ユキちゃんは?』って聞いてたのよ?」
「うんうん…確かに『ユキちゃん、ユキちゃん』って
言ってたね…」
って、従兄弟の口からも…
ごめんね…おばあちゃん。
ちゃんと顔を見せにくればよかった。
分からなくたって声をかけてあげればよかった。
今日、老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃん達の顔を見て
色んなことを思い出しました。
最初、お師匠様からは
「普段あまり楽しみのないお年寄りからは、『歌が下手だね…』とか
言われちゃうんで、みんな軽くショックを受けてくるんです」
なんて聞いていたので、正直、今日のライブは怖かった。
まだ精進中の私の歌に文句を言われても仕方がない。
でも、心を込めて歌おうと決めて…
勝手だけど、会いに行けなかった自分の祖母の代わりに
今日会うお年寄りを大事に思い、楽しませてあげようと…
でも施設に着いて、お顔を見たら…そんな不安は全然なくなりました。
もちろん全員がニコニコしている訳ではありませんが、
目が、
目の奥がキラキラしてる。
手拍子できるおばあちゃんもいたり、節に合わせてうなずくおじいちゃんも…
ずっと下を向いていたけど、別れ際に手を握って「また来ますね」と
言ったら
「楽しかったよ」と言ってくれたおじいちゃんもいて…
色んなことを考えさせられたライブでした。
一人のおじいちゃんが
「私は音楽が好きでねぇ~よかったよ~」って。
年齢は関係ない。
何歳になったって音楽は境界線がない。
鼻歌を歌いながら料理をしていた私のおばあちゃんにも
歌ってあげたかったなぁ…
今日、ひばり苑で会ったおじいちゃん、おばあちゃんには
絶対にまた会いに行きます。
とっても、とっても、いい時間を過ごせたと思います。
そして、もっと感動させられるような歌い手にならないといけないな…って。
長くて、とりとめがなくて申し訳ない。
でも、久しぶりに大好きなおばあちゃんのことを思い出したから
書いておきたくって…