仕事とプライベートは別?
よくビジネスマンの間でも
「仕事とプライベートを切り分けろ!」
「仕事にプライベートを持ち込むな!」
「家庭には仕事を持ち込まない!」
と聞きますよね。
確かに一理あります。けじめをつけないといけないところはもちろんありますし、意味なく責任を転嫁するようなことがあってはよろしくないこともあります。
ただ、みなさんどうですか?
プライベートで何か問題が生じたとき、仕事に影響しないと言いきれますか?
仕事がうまくいかない時やミスをしてしまった時、プライベートを思い切り楽しめますか?
私は言いきれません。
私の場合は過去においても、今現在も相互に影響し合っています。
それは職場においても家庭においても地域においても、「あなた」という同じ人間が情報を集め、考え、判断し、行動し、感じているからです。それぞれの場面で状況や役割・立場は異なるものの、「あなた」という同じ人間がそこにはいるのです。
そして、その「あなた」はどの場面でも同じように「箱」(=自己欺瞞)を持ち歩いているのです。たまたまその時の状況によって、「あなた」がもともと持っている「箱」のスイッチが押されてしまうだけなのです。外部からの刺激によって「あなた」の感情が害されるだけなのです。つまり、「あなた」が感情を害されるような「箱」を持ち歩いているからだといえます。
なので、職場であろうと家庭であろうと地域であろうと「あなた」はいつも同じような「箱」を持ち歩いているんです。表面的に切り分けたとしても、根っこの部分ではすべて「あなた」でつながっているんです。
それが悪いことでもなんでもなく、そういうものなんです。なので表面的な環境がどうのこうのでなく、「あなた」が持っている「箱」に意識を向けることが必要だと思うのです。
私はコーチングのセッションの時にクライアントに職場にも家庭にもその他の環境にも目を向けていただきます。そして実際にどのような場面においても、問題の根源はそのクライアントの「箱」に帰着することが多いのです。
届いて当然なのに...
初めて、物流事故といいうか、正確には宅配便事故の当事者になりまして、出した荷物が見つからないという事態に遭遇しました。あるんですね、やっぱりこういうのって。どこか自分には起こらないだろうと思っていたところがあって油断していました。
今回、私が発送側でWebで配達状況を確認していたのですが、配達予定日になっても状況が変わらず、翌日になってもそのままの状態でした。
「あれ、今までこんなことなかったのになぁ...もしかして?」
早速電話をして問い合わせをしてみると確認して折り返しお電話しますの返答。しばらくして電話が来て、
「申し訳ありません。誤配送の可能性があります。ただ、現在どこにあるかは確認がとれず可能性があるセンターに確認中です。今しばらくお待ちいただけますか。」
「でも、番号で管理してるんですよね?そんなことあるんですか?」
「ええ、そうなんですが、入力されていないとシステムに反映されず...。本来はあってはいけないことなんですが...申し訳ありません。便が到着するたびにチェックしてお電話をさせていただきます。」
「困ったなぁ...。でもどうしようもないので、連絡を待ちますけど...。」
少し強めの口調で電話を切りました。
当然、私は「箱」に入りました。正当に扱われていない被害者意識、業者に対しての非難や文句の言葉が泉のように湧き出てきて、怒りがこみ上げてきます。
でも、ハッと思いだして、「箱」から出ることができました。
いつもその業者は私に大事な本を届けてくれます。仕事の書類を届けてくれます。親戚や知り合いからの贈り物を届けてくれます。それを当り前だと思い込んでいました。
「業者だって誤配送したくてしているんじゃない、
ミスはミスだが、
私が達成したいことは荷物を先方に少しでも早く届けること、
怒鳴りつけるだけでそれが早まるわけではないのだ。」
と思えたのです。そしてできるだけ客観的な事実だけを聞くように心がけ、こちらができる対応はこちらで考えました。
不思議なもので、そう考えた瞬間に私の心は少し平穏なモードになりました。自分が「箱」から出られたことでイライラする時間を過ごすことが少なかったように思います。
結果的に、荷物は誤配送されて二日後に所在がわかり、本来の届け先に無事に届けられることになりました。本来のお届け先へのお詫びと今後はミスが極力なくなるように改善をしてもらうことは業者に要望しますが、それ以上の怒りはありません。
ビジネス上の失敗を擁護するとか寛大になるとかいうことを言うつもりはありません。取り返しがつかないこともあるでしょう。ただ、自分が「箱」から出ることで自分の心が平穏でいられることと、そうであることが本来の目的達成のために大事であることを改めて感じさせてくれたひとつの出来事だったように思います。
「919」って何?
海岸のゴミを拾うんですが、思いっきり楽しみながらゴミが拾えるイベントがあります。
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公式HPはこちら>>
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ただゴミを拾うだけでなく、いろいろなものを感じ、楽しみ、笑える企画が用意されているようです。そして伝説となるようなビーチクリーンにしようとホンキの大人が集まっています。
919って何?と思われるかもしれません。
これはまず、九十九里太東(たいとう)ビーチで行われるので九十九里の919。
また、919人が集まるの919なんです。
そして開催される日程が9/19(土)。
どうです、おもしろそうでしょ
もちろん私も仲間と一緒に参加します!
あなたもいかがでしょう?
詳細・参加申込はこちらから>>
せっかくグリーン車に乗ったのに…
先日、電車の中でパソコンで作業して資料を作成しようと思い、追加料金900円を支払いグリーン車に乗りました。私は入口付近の席に座り、早速パソコンを開き、作業を始めました。
電車が隣駅に着き、3人の旅行帰りの若い女性が乗り込んできて、私の前の席に陣取ったのです。3人はお菓子を手に持ちながら、楽しそうに話をしています。
「あちゃー、せっかく静かに資料を作りたいと思っていたのに…。
ついてねぇなぁ。あーあ、ますます騒がしくなりそうだ…。
席を移ろうか…。」
私の中で落胆と怒りと葛藤が起こります。
周りを見渡すとだいぶ席が埋まってきて、はるか前方に座っている紳士の横しか空いていませんでした。
「女性たちが騒がしくなったら、作業がはかどらない。
前方の空いている席に移動しようか、どうしようか…。
でもパソコンと資料をたたんで移動するのも面倒だし…。」
葛藤が続きます。
「うーん、移動するか!」
と思った時、ある事に気がつきました。今まで賑やかにしていた3人の女性は静かになっていました。どうやら疲れて寝てしまったようです。
それと同時に、前方から何やら周期的な騒音が…。なんと私が移動しようと思っていた隣の席の紳士のいびきでした。
「うわぁ、助かった。移動しなくてよかった。」
と胸をなでおろしながら、それと同時に、勝手に悪者に仕立て上げていた3人の女性に申し訳ないと自分を恥ずかしく思ったのです。
すべては私のフィルターで見ていたのです。
3人の女性を勝手に邪魔なものだと決めつけ、紳士は私を邪魔しないものだと決めつけていたのです。私は自分が作業をするためにわざわざ追加料金まで払ったのにと勝手に被害者になっていたのです。
自分の身勝手さを恥ずかしく思いながら、冷静になって考えてみると
「もしかしたら、私のキーボードを叩く音や資料の紙をめくる音が
周囲に迷惑をかけているかもしれない…。」
とも思えたのです。初めはそんなことも全然気がつきませんでした。私の頭の中はグリーンの追加料金まで払って資料を作成するということしかなかったのです。
そう思うと、確かにうるさくて周囲は迷惑していたとは思うのですが、そのいびきをかいていた紳士にも
「あぁ、あの人も疲れているんだなぁ…。」
という思いさえも出てきました。その3人の女性にも
「よっぽど旅行が楽しかったんだろうなぁ…。
無口で静かに座っているほうが不自然だよなぁ…。」
とも思えました。
ただ同じ電車に偶然乗り合わせた時の出来事ですが、人を人として見ると、ただ今見えているその一面だけでなく、「その人はどういう人なんだろう。」ともっとその人の背景や経緯に関心が持てるんですね。
普段、みんな何事もなく平気な顔をして生活していますが、人それぞれ楽しいことやうれしいこともある半面、怒りや悲しみなどいろいろなものを抱えているはずなんです。それを直接どうのこうのはできないのも現実ですが、このように人として見ることによって、少なくとも自分の心が平穏でいられるんですね。あらためて感じさせてもらえた出来事でした。
明日12日も仲間を応援します!
チームがピンチの時...
野球の試合で、ピンチを迎えた時によくマウンドに選手が集まりますね。その時にも何か微妙に雰囲気が違う時があるんです。
本当にチームで励まし合って乗り切ろうと集まっている時もあれば、仕方なく集まりなにやら犯人探しのような雰囲気の時もあり、何か違うんですよね。
仮にスコアや状況が一緒の同じピンチだとしても、そこに集まっている選手の気持ちは同じでしょうか?
おそらく違いますよね。
前者はなにか一体感みたいなものが感じられて一人ひとりがチームのために何ができるかを考えているように思えます。一方後者は、一体感も感じられないし空気が重くなにか覇気が感じられません。
職場でも同じことが言えませんか?
強いチームはピンチの時こそお互いに助け合おうとして、辛いんだけど楽しい、苦しいんだけど充実感がある、そんなチームはピンチを経験するたびに成長をしていくんです。
仲間のために自分が何ができるか、大きなことをしなくても、すぐにでも出来るような簡単な小さなことでいいのです。そして、できない時もその気持ちを持ち続ける、私がいつも意識していたいことです。
フィードバックは誰のためのもの?
こんにちは、「関係力」コーチの佐藤真一です。
「箱」のファシリテーターでもあり、コーチでもある私は、コーチとしてよくクライアントにフィードバックをするわけですが、これも「箱」の中からと外からでは大きく違います。
そもそもフィードバックの大前提としては
◎コーチがクライアントの目標を理解している
◎クライアントが目標達成のためのフィードバックを求めている
ということがあるのです。
ただ、コーチが「箱」に入っているとしたらそのフィードバックはクライアントのためのものではなく、コーチのためのものになりかねません。
言いかえると、意識がクライアントに本当に向いているかどうかです。
○自分がコーチとしてするフィードバックは優れているだとか、
○このフィードバックでで必ずクライアントは変わるはずだとか、
○どうせ言ってもわからないかもしれないけどとか、
○いいフィードバックをして優秀なコーチだと思われたい
という意識でフィードバックをしたとしたら、コーチである自分に意識が向いていることになるんですね。優秀なコーチであることに何ら問題があるわけではありません。自分が優秀なコーチだと思い込むことに落とし穴があるのです。
今、自分は本当にクライアントに意識を向けてフィードバックをしているのか否か、常に自問自答する必要があると常々思っています。
私のコーチとしてのあり方の根本は、クライアントがどうのこうのではなく、
コーチである自分が「箱」から出るということです。
初めからわかっているのに...
駅のホームでベンチに座って本を読みながら電車を待っていた時のことです。どこからか私の前に菓子パンの空き袋が風に飛ばされてきました。
「誰だよ?こんなの捨てやがって。こういうヤツがいるから困るんだよな。」
と知らない相手に怒りがこみ上げます。
で、私はそれを拾うかと言うと...
拾わないんです。
なぜかって?
「だってオレが捨てたのではないし...。」
「なんか恥ずかしいし...。」
「ゴミ箱まで遠いしな。」
で、拾わずにそのまま本を読み続けていたんです。
でもその空き袋は私の目の前にずっとあります。目は本のページを追っているのですが、空き袋が気になります。
時々風に揺られゆらゆらしながら、まだ私の目の前にあります。まるで私を挑発しているかのようです。私は本を開いたまま、完全に意識はその空き袋にいっています。それでも、
「なんでオレが拾わなくちゃいけないんだよ...。」
まだ抵抗しています。目を本に戻しますが、内容なんて全く頭に入ってきません。
空き袋を拾わないことで私は平穏な時間と心を手に入れられているかというと全く逆なのです。
結局、さんざん抵抗したあげく、私は立ちあがり、空き袋を拾い自分のポケットに入れました。すると今までイライラしていた気持ちはスーッと落ち着きました。
初めから自分が拾って捨てればいいと思っているのに、なかなかできない...、みなさんも同じような経験ありませんか?
誰かを責めることよりも、自分ができることをすることで自分が楽になれることがあるのだと思うのです。
靴を脱ぐということ
自分のことって意外と話せませんよね。
特に自分の出来ていないことや失敗したこと。
もっと言うと自分のひどいところ、醜いところ、弱みは見せられないですよね。
特に職場では上司にも、部下にも弱みは見せられません。出来ているところはアピールしても、出来ていないところは懸命に隠そうとします。
でも...、
それを吐き出せるとどうなると思いますか?
それを否定されずに聴いてくれる人たちがいたらどうなると思いますが?
それに対して、私も同じ、そういうことあるって言ってくれたらどうなると思いますか?
それはとても心地よい場になります。自分のことを隠したりせず、無理せず素直に居られるんです。
失敗しても、出来なくてもいいじゃないですか。
失敗したことない人に、失敗した人の気持ちを理解するのは難しいでしょう。
痛みを知らない人に、痛みを伝えられないですよね。
靴を履いている人に、砂利道を裸足で歩いている人が自分が何を感じているのかをわかってもらえるとは思はないし、話したいとは思わないでしょう...。
相手に話してもらいたいと思ったら、まず自分が靴を脱ぐことだと思うのです。
「あきらめない!」を学んだ場
前回も書きましたが、私はここ で「あきらめない」ということをあらためて学びました。
正直、セミナーの集客やコーチングのクライアント獲得などは楽ではなく、来てもらいたいと思う反面、心の中ではどこかで
「しょうがないや...。」
と思っていたんですね。
でもここで、福島正伸さんの話を聞いてハッとさせられたんです。福島さんが若い時に営業をして成果が上がらなかったときこう言われたそうです。
「福島さん、さんざん説明したっていうことは、当然その会社の人全員に会ったってことだよね?」
「福島さん、何回も言ったってことは、少なくとも100回は同じことを伝えたってことだよね?」
その時の福島さんの答えは、
「会った人は数名、何回もと言ったのは2回ぐらい...。」
だったそうです。まだまだやっていなかった、出来ていなかったということだったんですね。
私たちはあきらめた瞬間に思考も行動も停止するんですね。
そしてそれを正当化してしまうんです。あたかも自分が正しいかのように理由づけをしていくんです。それができない理由、やらない理由を自ら作っていくんですね。
恥ずかしかったです。
四十数年生きてきて、私はまだ出来ていなかったんです。今でも、「出来ています!」と胸を張っては言えません。
でもここ で学んでからは、あきらめそうになると「まだ出来ることがある、どうしたら出来るようになるか?」と考えられるようになれました。
ここ は仲間と一緒にそんなことを体感できる場所です。



