条件は比較的厳しい中での登頂だったと思う。
風はかなり冷たく、5合目ですでに凍結した斜面だったことに驚く。
予報では晴れだったが、どちらかというと曇りが多く、太陽が出ない時は風により指先の感覚がなくなることもしばしば。
強風により外のホルダーにつけていた水筒は中まで凍結。
登頂が14時。色々な想いが渦巻きながら、久しぶりに冬の富士山の山頂に来れたこと、やっと登頂まで登り抜いたことに喜びと感謝でいっぱいになり、山の神様に感謝を示した。
胸が熱くなったが、先にまつ毛が一瞬で凍っていた。
下山完了は17時半。
気温−20度、風速15m/sほど。体感温度は間違いなく氷点下30度を下回っていた。
最近、悔しい状況が続いていた。
仕事を辞めて、もう一度体調・感覚を戻し、ヒマラヤに行くと決めてから、思うような登山ができず、撤退を繰り返していたからだ。
気象条件や自分の体調なども理由としてはあったが、1番の理由が自分の覚悟の足りなさにあることも自覚していた。
「前の自分だったらこのくらい全然いける。」と考えるおごりが、自分のエネルギーを奪って腑抜けにさせる。
前回富士山に不眠状態で登れずに帰った時も、白山で下山した時も、「俺はこんな登山をするために仕事を辞めたのか?お世話になった板前さん達に僕はこれがしたいと言った登山、こんなものなのか?」と。
また、実は仕事を辞めてからの自分の登山の姿勢は、もう一つの意味でも以前と違っていた。
以前の私は、死にたいわけではないが命を落としても自分の臨んだ登山ができたら本望だと思い、常に一極集中でやっていた。後のことは関係ない、と。
そこには自分の苦しみも隠されていただろうし、その想いが大好きな登山と混ざり合った結果のスタイルでもあったのかもしれない。
だがこの1年初めて社会人で生き、たくさんの人と出会って様々なことを学んで、自分にとって大切な人ができた。
「俺はずっと登山がしたい。逃げずに、自分の好きな、自由な登山がしたい。その想いを貫きながら、その先も見る生き方をしよう」と思うようになった。
その一方で、今までの自分の精神の持ってき方と違う部分が生まれ、そこに葛藤もしていた。そこが敗退が多い理由の一部にあったことは間違いない。
だが、今回で吹っ切れることができた。自分のこれからやることが、ようやく腑に落ちて、定まった。
登山も、人も、どちらとも一緒に生きていくことに人生を賭ける。
命を投げ出す代わりに、そこに自分の人生を賭けよう、と。
決め事をして富士山に臨んでいた。
初心に返る。
必ず何が起こっても受け入れて、全てを楽しもう。絶対、富士山の山頂に行こう、という気持ちを持って臨んだ。
なので、以前冬富士には登ったことはあったが、今回仕事を辞めてから初めて厳冬期の山頂に立てたことで、自分にとっては本当に大きな意味を持つことだった。
やっとスタートラインに立てたという気がした。
また、購入した装備も色々試せたが、全て好感触だったこともよかった。
鉄棒がローマ字でIIHI(いい日)になっていると思いお気に入りの写真だ。
追伸
初めてヤマレコに投稿してみたのですが、よかったら参考までに。色々チグハグな感じになってしまった気がするので反省。次回はもっと見やすく記録として行きたいと思います。