CMを作っている友人とご飯に行ってきた。
友人は、中学の時から学校の勉強を一切せずう○こを連呼し、ふざけてばかりいたのだが、14歳の時からパソコンは1人で組み立てられた。
先生からは毎日怒られてばかりいたのだが、そんなことを気に留める様子もなくテストの解答欄に「タモリ」とかよくわからないことを書いていた。
そんな彼が今は大学の臨時講師もしているのだが、彼が大学の他の高齢の教授と授業を組み立てる時はとても難航するのだという。
教授のほうはとにかく綺麗な、教科書通りの映像を作ることを教えたいらしく、簡単に言えばNHKとかでよく使われる伝統的な技法を最高とするオールドスクール派だ。
対して友人はとにかく新しいことや、時代に合わせて色々変えて試していくのを好み、今の学生にスマホで素材を撮ったりするのを勧めたい。そうして多くを知らないからこそ、学生だからこそできる「普通はやらない」何かを発見するのがまた刺激になる。
音が鮮明に聞こえなくても、勢いで人に魅せること、楽しいと思えることが大事だと考えていて、映像が丁寧でも人を感動させられなかったら意味ないだろ、という気持ちが強いらしい。
人に何かを魅せるには、真剣にふざけることが必要だと。
どれだけきっちりしたものを作っても自分が面白いと感じなければ他人が面白いと感じてくれるわけがない。だから一見すると世間から馬鹿げたものに思えても、面白いと思えることのために、まず自分がふざける。真剣にふざけてみる。
映像の世界はどんどん技術が進歩しているから、どんなことでもやったもの勝ち。他の人がやったことのない、かつ自分が面白いと感じることを追求していけば、必ず共感してくれる「フォロワー」が出てきて、彼らが支援をしてくれるからまた先へ進める。
友人が小さい頃から変人扱いされていたのを知っているから、彼が自分の哲学を貫いて独自のフィールドで活躍していることをとても嬉しく思った。
普段人と長時間話すこと自体があまりないので一日中話して少し疲れたが、話を聞いていて刺激にもなったし、有意義な時間を過ごせた。
人から言われることをやるだけなら誰でもできるし、それでは面白くないよな。
自分を犠牲にして他人に媚びへつらっても、磨り減るだけなのだ。
まず自分が楽しむこと。それを貫いて、他人にも楽しいと思える何かを延長線上で見つけること。
映像と登山で分野は違うが、そこに関しては共通する何かがあるかもしれないと思った。
私は中学時代は先生の言うことをよく聞き勉強ばかりしていたのだが、今思えばあの時のことが今の自分にとってためになっているかと言えば、甚だ疑問だ。
登山に出会ったのも、ほんの7年前くらい。
思春期の頃から自分をもち、かといって白い目で見られても復讐せずにやりたいことのみ貫いてきた友人にはやっぱり敵わないなあ、と思った今日1日であった。
ちなみに今度のヒマラヤ登山からアクションカムを使用したり、ブログにそれらを載せて新しい構成にしたいと考えていて、その相談にも乗ってくれた。
最後は数日後に控えた白山の初厳冬期に向けて装備チェック。