息子が中学生の時は、高校受験のために勉強し


高校に入学しても、それはゴールではなく


直ぐに大学受験へのスタートを切っていた。




息子のストレスは極限に迫り



本来なら、学校に通ったり勉強を頑張ったり

そんな状態では無かったように思う。



それでも



息子は毎日高校に通った。




相変わらず表情は乏しく、暗いものの、

「学校に行きたくない」

と言った事は無かった。


部活動には楽しく参加しているように見えた。



思春期だから

反抗期だから



そう考える事で、当時の私は息子の気持ちから目を逸らしていたのかもしれない。




【心の傷は見えない】




目に見えないからといって

『無い』わけではない。



心の傷が、目に見える所に現れた時には



《それまでの私の対応は間違っていた》


と後悔したし、苦しんだ。



しかし



母の私が苦しいと思う以上に

息子はもっと苦しかったはずだ。




心の傷は見えないからこそ、見る努力をするべきだった。



朝起きられないのは、なぜだろう?

トイレに籠りきりになるのは、なぜだろう?



「努力が足りない」

と、夫はよく言っていた。


「お腹の調子は昔からあまり良くないよね」

と、私は思っていた。




表面に見えるものだけを見ていた。

責任を息子に丸投げしていた。



しかし、そうではなく



【息子の心の状態に想いを馳せる】



ただそれだけで良かったのに。