楽しかった学生時代も終わり、社会の荒波の中に放り出されても、バンド活動は
まだしばらく続けていた。
あの頃、音楽を演っていた自分はいかに純粋であったか。確かに技術的には
稚拙であっただろう。またその頃の楽器の音といったら、もちろんまだアナログ
主流で、MIDIはなかった。ポリフォニックのシンセなど高値の華。
TVで見るバンドが使っているような楽器が欲しくて欲しくてたまらなかった。
(何だ、あの後ろでクルクル廻っているスピーカーは、何だあのでかくて分厚い音
のするシンセは)
その頃はNHKの番組で「ヤングミュージックショー」というのがあり、結構
プログレバンドの映像も流れていた。またタイトルも、どこの出版社だかも
忘れてしまったがキーボーディストの本が出ており、ステージでのセッティング図
が載っており、写真や映像などと見比べながら、「へー、これがポリムーグか、
このハモンドはL-100型なのか」などと、あこがれだけが先走っていたような
時代であった。(どなたかこの本を知っていらっしゃる方がおられたらタイトル
だけでも教えて下さい。確か「マルチキーボーディストの軌跡、とかいう本で
あったような気がするのだけれど)
そんな中、次に手に入れた楽器は「Roland Juno-106」というシンセ。アナログ
ではあるが一応ポリフォニックで、重厚なサウンドではなかったが、パッド系の
音はよかったような気がする。これで表現の巾も拡がったような気がしてうれし
かったのだが・・・。
「あの頃」は何かに追われているような感覚、もう先が無いのでは、というような
刹那感が常につきまとっていたように思える。仲間も仕事が忙しくなってきたり、
結婚したりで、なんとなくバンドから心が離れていってしまったかのように思えた。
かくゆう私自身も卒業して3年後に結婚、また転職などもあり、次第に仲間と
スタジオに入る回数も少なくなっていた。
またこの頃はTVの音楽番組(ベストヒットUSA)や音楽ソフト(ビデオやLD)
などで、それまであまり見る機会がなかったライブ映像なども見られるようになり
なんとなくそれだけで満足していた部分もあるのではなかったろうか。
そんななか、ともすれば音楽を演るという熱の薄れていきそうな生活の中で、再び
自分に刺激を与えてくれた楽器に出会うことになる。(続く)
まだしばらく続けていた。
あの頃、音楽を演っていた自分はいかに純粋であったか。確かに技術的には
稚拙であっただろう。またその頃の楽器の音といったら、もちろんまだアナログ
主流で、MIDIはなかった。ポリフォニックのシンセなど高値の華。
TVで見るバンドが使っているような楽器が欲しくて欲しくてたまらなかった。
(何だ、あの後ろでクルクル廻っているスピーカーは、何だあのでかくて分厚い音
のするシンセは)
その頃はNHKの番組で「ヤングミュージックショー」というのがあり、結構
プログレバンドの映像も流れていた。またタイトルも、どこの出版社だかも
忘れてしまったがキーボーディストの本が出ており、ステージでのセッティング図
が載っており、写真や映像などと見比べながら、「へー、これがポリムーグか、
このハモンドはL-100型なのか」などと、あこがれだけが先走っていたような
時代であった。(どなたかこの本を知っていらっしゃる方がおられたらタイトル
だけでも教えて下さい。確か「マルチキーボーディストの軌跡、とかいう本で
あったような気がするのだけれど)
そんな中、次に手に入れた楽器は「Roland Juno-106」というシンセ。アナログ
ではあるが一応ポリフォニックで、重厚なサウンドではなかったが、パッド系の
音はよかったような気がする。これで表現の巾も拡がったような気がしてうれし
かったのだが・・・。
「あの頃」は何かに追われているような感覚、もう先が無いのでは、というような
刹那感が常につきまとっていたように思える。仲間も仕事が忙しくなってきたり、
結婚したりで、なんとなくバンドから心が離れていってしまったかのように思えた。
かくゆう私自身も卒業して3年後に結婚、また転職などもあり、次第に仲間と
スタジオに入る回数も少なくなっていた。
またこの頃はTVの音楽番組(ベストヒットUSA)や音楽ソフト(ビデオやLD)
などで、それまであまり見る機会がなかったライブ映像なども見られるようになり
なんとなくそれだけで満足していた部分もあるのではなかったろうか。
そんななか、ともすれば音楽を演るという熱の薄れていきそうな生活の中で、再び
自分に刺激を与えてくれた楽器に出会うことになる。(続く)





