新しい経営学の息吹 5 | いろは

教育のアナログ化と時代のデジタル化というジレンマの中で、私たちは結局のところどのようにして前進すべきかを考える時、経営学では事業ドメインの定義を行ってゆこうという話になってゆきます。これは実際の現場では経営理念という言葉に変化しますが、内容は全く同じではないですが、ほぼ同じことであります。

 

現在の音楽業界のことを考えてみると、音楽は「聴く」ということから「見る」に変化してきているのではないでしょうか。そう考えると、「見える音楽」とは何かを考えようとしますし、そうなると歌いながら踊るであるとか、歌いながらドラムを叩くというようなことになってくると思いまして、実際に、アイドルグループが一時代を築くという事実からすると、聴くと見るとがワンセットとなり、演者の技術力は過去の芸能の技術から比べ、高度化しているように感じております。つまり、デジタルからアナログへ進むとき、より高度な技術が要求されると私は考えております。

 

教育にしても同じことでありまして、経営学を一生懸命に勉強し、博士の学位を取得したとします。しかしながら、それでは即戦力にならないのでもう一つ理系の学位を取得しなさいとなった時、正直なところ愕然とするのではないでしょうか。個々に高度に専門化された学問をもう一度、それも最初からやっていくことは相当な苦労と時間を要しますし、下手をすると、そもそも学位審査をする主査を見つけることができない可能性もあり、そんなことを考え出すと異分野の研究など、通常は手を出すことはできなくなります。

 

ではなぜ学問は個別に高度化していったのかですが、それは一言に、アナログの限界があったからです。前稿おける音楽教育での総合教育の方法は非常に素晴らしいのでありますが、人間は音楽が好きな人もいれば、国語が好きな人もいます。数字だけを扱いたい人もいれば、音そのものの研究、つまり物理に興味を持つようになる人もいます。もちろん、昔の教育は新渡戸博士のような総合教育を行った後に、自分の専門分野へ進んでいくように設定されておりましたが、如何せん音楽が主体となると、音楽に興味を持たない人には地獄なわけであります。ここが難しいところです。

 

そうするとどうなるかですが、音楽の音の部分は音楽となり、歌詞の部分は国語となり、音符は数学や記号を扱う分野の教科へと別れてゆきます。しかし、これもあまりにも高度化されると今度は統合化される動きを見せ、これが近年の我が国を含め、先進諸国での動向であります。つまり、結局のところ細胞分裂のように分化と統合とを繰り返し、世の中は回っていると解釈すると納得しやすいのではないでしょうか。経営学の分野では古くからコンティンジェンシー理論として語られております。とりわけローレンス&ローシュの理論はすべてが環境依存となることが前提であるため批判は多かったのですが、今のこの時代だからこそ、有効な部分についてはもう一度読み返し、知識として吸収してゆくべきではないかと思われます。

 

前稿にて書くことができなかった歌詞の部分の話でありますが、これは上述の流れからして国語の話であることは容易に理解できるかと思います。歌詞を国語的に理解し、それを音楽の長調や短調との組み合わせでどのように表現として成立しているか?ということを考えてゆくとき、小学生の教育ながらすでに大学レベルの教育が行われていることに驚かざるをえません。ところがこのような教育が限界を迎える時、個別化が進み、高度に専門化してゆき、これがさらに進むと、現在のように逆にアナログ時代が来ているのではなかろうかと思われるのであります。

 

このようなに考えてみると、クリステンセンのイノベーションのジレンマ理論もよく理解できるのではないでしょうか。つまり、ある商品等の品質などが一定領域を超えると、次に市場を席巻するのは品質的には劣りながらも、何かを組み合わせる、ないし、単機能化させるという流れができているという理論であります。

 

ところでそうはいっても時代は進み、言葉が時代とともに変化し、過去に戻らない事例があるように、芸能の世界もこれとよく似た現象と同時に考えてゆかねばなりません。音楽におけるビジネスもこの変化する部分と不変の部分、それをデジタルとアナログとの対比において考えてゆくのがよいかと思われます。例えば、アイドルといっても80年代のアイドルと現在のアイドルとでは異なる部分が多くあります。

 

これらのことを加味し、次回からはもう少し深く考えてゆこうと思います。次回は8月28日に更新予定です。

 

ご高覧、ありがとうございました。