新しい経営学の息吹 4 | いろは

イノベーションという言葉を世界で初めて作った経済学者のシュンペーターは、最初、新結合という仮説を作り出し、その結論としてイノベーションという「概念」を学会に発表するようになります。このイノベーション理論が海外の学会で大きく認知され始めたとき、日本でいち早く動いたのは一橋大学であります。経済学や経営学の分野では東の一橋大学、西の神戸大学が学会をリードしておりますが、このころの教授陣はあれほどに通信の状況が悪い中、海外の、しかも日本でも役立つ理論を学会の立場を利用し、それをうまく広めてゆくその技術と気力に感服するのであります。それこそイノベーションであり、このようなことをできるくらいの立派な教授になりたいという思いはあるものの、実際には非常に困難であることを痛感させられるのであります。

 

このように、何か新しいことを、新しい時代にやっていこうとするとき、シュンペーターのいうところのイノベーションが必要ではないかと思うのであります。音楽だから音楽だけをやっていればよいわけではなく、例えば、音楽と数学を結びつけるとどうなるかを考えたとき、それは現在では学際的研究とみなされ、一つ下の研究の方法となってしまいますが、今こそこのような教育が必要なのではなかろうか、教育でなくても、ビジネスの世界でもこのようなことを意識してゆくことが必要ではなかろうかと思うのであります。

 

さて、物は言いようでありまして、このように書くとさも新しいことを主張しているように思われますが、実はこのようなことは昔の日本ではすでに行われておりまして、実例を紹介しだすときりがないので一つだけ実例をあげてみますと、新渡戸稲造博士はその一例とするべきであるかと思っております。もちろん、異論があることは認めます。

 

新渡戸博士は高等教育の普及に努めた人物として一般的に知られており、『武士道』の著者としても有名であります。実のところ新渡戸博士についてあまり語られていないことに、初等教育についても熱心な人物でありまして、子供の頃にしっかりとした基礎学力をつけさせ、そのしっかりとした土台の中で高等教育へと結びつけることを自らの手で行った人物でありまして、この点についてあまり語られないのが残念な点であります。

 

ところで新渡戸博士が具体的にどのような方法で初等教育を進めていたかというと、それは音楽と体育を充実させた教育であったことです。体育といえば、それは札幌の時計台ですね・・・私は体育の専門家ではありませんので、体育の話はここでは割愛し、音楽の話に集中しようと思います。

 

この当時の音楽のことは、私はこの頃に教育を受けたことがなく、その当時に教育者であったわけでもないので、その意味で皆様方に100%をお伝えすることは不可能でありますが、「だいたい、こんな感じであったろうか??」というイマジネーションが頭に浮かんでくれば、それで成功としましょう。

 

当時、新渡戸博士は音楽を教育の中心とすることにより、現在の小学校の4教科を音楽でまとめて行う、画期的な教育法を行っておりました。もちろん、各教科を個別に指導することはあります。むしろ、その集大成としての音楽がありまして、これは古代中国の教育法を新渡戸博士が独自に応用した教育方法でありました。

 

実のところ、歌詞のついた楽曲を分析すると、音符と歌詞に大別することが可能です。音符は記号でありますから、そこに「たましい」を込めてゆくことになります。この記号が五線譜の上に表現され、それを解読する、つまり、解析能力が問われます。紙面の音楽を実際の音へ変換するには、数学の能力も試されます。つまり、ト音記号に4/4という表記があれば、四分音符を一拍と定め、それが一小節に4つ分という解釈を瞬時に理解できなければなりません。音符の種類もいくつかありまして、右の条件で全音符が出てくれば一小節に記号はひとつ、音は4拍分伸ばします。しかし、必ずや伸ばす必要があるかというと、そうでもなく、ここに「個性」が発生します。

 

このように考えると、では、ト音記号における6/8ではどうなるのかなどを考え出すと、様々なことを理論的に考えることができ、しかも、一度定めると、以降、全てを同じ調子で事を進めることになるので、数学的表現を使用すると、「音楽は関数だ!」といえることになるのではなかろうかと思うのであります。実際、私が中学生のころから大学の1年生までの間、クラシックギターの合奏団に所属しておりましたが、このロボット感になじめず、ロックの世界へ逃げ込んだ過去が現在に至ります。

 

今となって思うことは、例えば、工場のライン作業のビス打ちや食品工場での流れ作業に使用する「コンベア」は、まさにこの流れを表現するものであり、このコンベアの前に立つと人間はロボットか!!と叫びたくなる気持ちが、実は音楽の世界にもありまして、そう考えると、例えばチャップリンの映画の代表作でもある『モダン・タイムス』を音楽理論的に考えるなどの応用が可能となりまして、また、関数の基本的な考え方まで知ることができ、音楽を詳しく見ることにより「変化と不変」という、この対立する考え方まで到達することになり、こうなると非常に素晴らしい!!となってしまうのですが、音楽を挫折した人の多くは、これらの複雑な音楽の構造を理解しづらかったというのが主たる原因だと思われます。

 

さらに突っ込みますと、上述のように、音楽は関数の問題を自分自身で解決し、その実験として自分自身が被験者となるわけでありまして、そうすると、当然に被験者の心の問題に到達し、コンプレックスを強く刺激することになります。例えば、演奏中に感じる「ロボット感」などはまさにそれであり、演奏前の調整はいくらでも可能で、この部分は楽しいのであります(コンベアの速度調整)、その変化の後には「不変」の恐怖がやってまいります(コンベアの一定不変の速度)。

 

新渡戸博士の初等教育の方法は、このように、大きな功績を生み出しました。ところが何事にも弱点がありまして、これはむしろアナログ教育の弱点といいましょうか、アナログ化が過度に進むとデジタル化になるという実際問題を考えてみると、アナログとデジタルの融合ということが、次の社会に必要なのではなかろうかと思います。新規事業を考えるとき、アナログとデジタルの融合とは何か?と考える時がきているのではなかろうかと思うのであります。とりわけ、本稿においては音楽における新規事業を考えてみる場合、思考のアナログ化、そしてその思考の発信のデジタル化という方法であります。例えば、音楽は音楽として楽しむ他に、アーティストの思考を楽しむという付加価値をつけることにより、競合他者(社)を引き離し、デジタル技術により鮮度を保ったまま世間様に伝えることができるようになると、様々なことが回ってくるのではなかろうかと思うのであります。

 

このように考えてみますと、現在の新しい時代の経営学は異分野からの力を借りながらも、経営学として自立するだけの個性を身に着けてゆくことになり、ここに経営学の個性化という考え方が、つまり、新し経営学の息吹を基礎としながら仕上がってゆくのではなかろうかと考えております。

 

今回の新渡戸博士の実例では歌詞について触れることができませんでした。よって、次稿では最初にこの問題を扱い、音楽の新規事業におけるアナログとデジタルの融合についての導入を行ってみようと思います。

 

次回の更新は8月24日に更新予定です。ご高覧、ありがとうございました。