新しい経営学の息吹 6 | いろは

歴史といっても様々な分野で個別化される現代において、学問の歴史においては文化と統合を繰り返されており、とりわけ経営学の分野においてもそのような傾向にあり、これからの新しい経営学とは何かとなったとき、異分野の学問の力を借りながら経営学として新しい道を切り開かねばならない時代がやってきているのではなかろうかとするのがこの連載の論旨であります。

 

私の場合は心理学を援用しながら研究を続けて25年が経過し、これがさらにこの新しい時代に通用するのかが試されるという、第2の試験期間がやってきているわけであります。通常ならありえないことが起こっているわけでありまして、学界もこれから徐々に荒れてくるのだろうなあと思うと、少し切ない思いになるのであります。

 

この方法を使って音楽についての新しい見解を示してほしいとの声を多くいただいておりまして、ただし、その前に心理学を援用した経営学とは何かについて知っていただく必要があります。これについては経営戦略をユング心理学的に解釈するとどうなるかについて、例えば、差別化戦略とは心理学では個性化についてのことであると、ずいぶん前の論文にてすでに述べておりますので、私の過去の論文を参照していただき、重複するので本稿では詳細は省略します。

 

しかしながら、その核心部分を少しだけ述べますと、つまり、個別化した学問をつなぎ合わせる作業は、木に竹を接ぐような不自然さを残さず行うところがポイントであります。戦略とは何かという問いに対し、経営学会では「意思決定」と結論付けておりますが、では、その意思はどこから、どのようにして意思として表出するのかについて考えてゆかねばならず、この点についてを解決しようとしたのが私の問題意識であったことを今では懐かしく思うのであります。

 

ここで音楽業界がどのように前進しているかと申しますと、これは既にテレビやインターネットなどで目にするアーティストを見れば一目瞭然でありまりますから、私から申し上げることは少ないかと思いますが、やはり欧米諸国を含め、我が国ではロックがあまり流行しない流れとなってきている現状からすると、心に大きくあいた穴をふさぐための音楽ではなく、心の状態を微調整するための音楽に役割が変わってきているような感じがします。ロックの世界ではまず、心による大洪水を防ぐための大きなふたを大量生産すれば事足りるので、それゆえにあの時代は儲かったということもいえます。

 

これに対し、現在は人間の個別具体的な、それも心のバランスを微調整するためのツールとしての音楽となると、ジャンルは様々、見た目も様々、その他、考えられることは何でもやってみるという、結局はやはりアナログ化してきていると見ることができます。音楽の世界もオールインワンの時代がやってきており、さて、そうなると今後にどのようにして音楽をやっていくのかについて、アーティストとしてはここが一番気になるところであるかと思います。

 

それは簡単なことでありまして、まずは多くのジャンルの音楽を経験し、その中で自分の専門を決め、それが例えばロックであればロックを中心に音楽活動をし、適材適所で過去に経験した音楽を披露してゆくという方法です。例えば、ロックをやりながらも、ブルースを専門とする場所で演奏もできるようにしておけば、ロック、ブルース、さらにはブルースロックという3つのジャンルで対応が可能となります。ただし、専門はあくまでもロックでありますので、ロックミュージシャンとして個性化しておく必要があります。ここがポイントであります。

 

音楽を世間に知らしめるための媒体はこれとは逆にデジタル化しておりまして、徐々にではありますが、聴き手が聴きたい曲しか聞かない流れとなってきております。これもよく考えると、一人当たりの購入金額が減るのかもしれませんが、聴きたい人をたくさん作れば客層を広げることが可能となります。よって媒体のデジタル時代においてはやはりミュージシャンの個性化が非常に重要であるように思われます。聞きたい人は買う時代ですから、聴きたくなる音楽を作ることができるアーティストになればそれでよいのであります。つまり、音楽のジャンルなどこれからの時代には関係なく、それゆえに演奏できる音楽のジャンルを増やし、さらに自分の専門を作ることにより個性化してゆくことが、遠回りに思えますが、実は近道なのかもしれません。

 

結局のところ、アーティストの個性化の話へ行きつくのでありますが、次稿からはこの話を行ってゆこうと思います。

 

次回の更新は9月1日を予定しております。ご高覧、ありがとうございました。