平家に反旗を翻した源頼政「卿」は武家源氏で初の公卿だが(大河ドラマ考351鎌倉殿3) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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昨日1月22日は技術英検、本日23日は(実用)英検の1次本試験がございました。

受験者・関係者の皆様、大変お疲れ様でした!

 

(1)そして本日は大河ドラマ「鎌倉殿と13人」の本放送。

試験後は誰にでも(?)訪れる大河ドラマの時間。

本日本放送の第3回「挙兵は慎重に」では、後白河法皇が平清盛によって幽閉。

そして、法皇の孫で清盛の外孫でもある幼帝・安徳天皇が即位!遂に清盛は天皇の外戚となって権勢は絶頂に達します。

しかしながら、法皇の幽閉という異常事態に皇子の以仁王(ジャイアン役の声優さん)は怒り、源頼政ら源氏の残存勢力と組んで平家に反旗を翻します。

 

もちろん、他の源氏勢力の加勢は必須。源頼朝の許には叔父の行家が以仁王の使者として参戦の命令書(令旨)を渡しに来ます。

・・・しかし、頼朝は動じず。

頼朝が挙兵しなかったのは、「勝っても自分ではなく頼政に源氏の主導権を奪われてしまう」からというドラマでの台詞は一応の正解でしょう。

そして挙兵はすぐに露見して失敗するだろうという見込みが有ったのも事実だったのかもしれませんが、それよりも・・・

頼朝は頼政を「父を見殺しにした人」と厭っており、こちらの方が積極的になれなかった理由として妥当かもしれません。

 

頼朝は、父を見殺しにした頼政を見殺しにしたのです!

 

(2)源頼政「卿(きょう)」とは?

当時の源氏勢力のトップは源頼政。清和源氏二代目(経基王の息子)満仲を共通の祖先とするだけの頼朝とは遠い親戚で、清和源氏としては同族なのですが源家には入っていません

そして、義朝(頼朝の父)とは密接ではなかったことも有ってか、平治の乱では一応同族の義朝につかずに敵方の清盛に味方。その結果平家政権では重用され、従三位という高位にまで!

武家源氏では初の三位叙位者(公家では既に村上源氏の源雅実がこの六十年ほど前に太政大臣になっている)であったため、「源三位頼政」という異名もあるほどです。

 

三位がどれほど偉いのか・・・は、例えばドラマでは頼政「卿(きょう)」と呼ばれている事に注目して下さい。

「卿」という称号は「公卿(従三位以上)」の卿であり、公卿のうち「公(大臣格以上)」でない人物の事を指します。

しかしながらそれほどの高位も、清盛の従一位・前太政大臣に比べれば4ランク格下

しかも頼政の従三位は清盛におねだりして貰ったという事も有って、

「源氏が平氏の風下に立っているのが明白な事態なのです。

家名のために従三位は貰ったものの、この事態に頼政が我慢できなかったのだ・・・という話もございます。

 

サブタイトルで「慎重に」と書かれている通り、確かに頼政の挙兵は簡単に敵方に知れるほどに軽率だったのかもしれません。

それでも、頼政の無念は頼朝ら他の源氏勢の心に確かに刻まれ、時代は反平家に大きく傾いてゆくのです。