NHK取材で判明!やはり八重「さん」は歴史的人物では無かった(大河ドラマ考147, 八重32) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

日本国内で書く、久し振りの記事の様な気が致します。(いや・・・するだけでしょうか。)

今回は大河ドラマ考。ドラマが京都の事を「みやこ」と言わせる理由(大河ドラマ考146, 八重31) の続きです。


さて、今週の「八重の桜」(2013.8.11放送)は「第32回 兄の見取り図」。

京都でも、「勝てば官軍」の薩長出身者が横行。

敗者としての会津者が活路を見出すためには学問しか無い・・・と八重「さん」は悟ります。

そして、兄からの命で女学校(女紅場、にょこうば)を切り盛りする事に。


京都を学問の町に!」という事で、京都の有名私立大学(同志社大学)の創始者である新島襄の登場シーンも挿入か。新島はこの時点では渡米中。些か強引なのですが、彼も京都再建の立役者ですので、構成上それ程奇妙でも無いでしょう。


(1)そういえば、大河の放送によって祖・山本勘助の実在性を証明する史料が立て続けに発見されましたね。

山本勘助は2007(平成19)年の大河ドラマ「風林火山」の主人公。

拙稿ヤマカンの「語源」山本勘助は大河ドラマの影響で実在が確認された?(No.21歴史エピソード) にて紹介させて頂いた様に、1969(昭和44年)のNHK大河ドラマ「天と地と」以前は架空の人物とさえ考えられていたのです。


(2)そして、八重「さん」の場合も・・・

例えば川崎尚之助との離縁などの事情なども或る程度分かるまでに。

そして、極めつけは小生の出国前に偶然見たNHK放送。


八重さんは晩年会津へ屡々訪れて女学生などを激励していたとの事なのですが、会津の女学生として実際に彼女に会った95歳の女性がインタビューで登場。


生き証人が居る!


八重さんは1932年に86歳で亡くなりましたが、まだ81年前の話なのでこれは有り得る話でした。


(3)そのため、この様な問題?が。

拙稿どこまでの時代を「歴史時代」として扱えばよいのか(はしだて談義3) で示した本ブログの方針では、八重さんは「歴史的人物ではない」という事になります。

これに関連して・・・

拙稿旅によって歴史を感じるとは(はしだて談義4) でも示しました様に、歴史的人物には敬称を付けないのが普通というのならば、歴史上の人物では無い八重さんの場合は「付けないと失礼なのでは?」という考え方も生じてしまいます。


ドラマの登場人物「山本八重」として敬称を付けない・・・という選択肢もありますが、取り敢えずは本ブログの方針に則って八重「さん」で行きたいと考えています。