なぜ「源家」物語・「平氏」物語ではないのか(歴史エピソード第5回) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

本日2度目の更新です!


「源氏」と「源家」、「平氏」と「平家」・・・言い回しが違うだけなのでしょうか?


確かに源平合戦を語る際にはよく「源」と「平」などと言われ、「平氏だと語呂が悪いので」という説明が成されたりもする訳です。

しかし、それは果たしてその程度の事なのでしょうか?


(1)過去記事のまとめ・・・「氏」と「家名」


エピソード前話「苗字の日」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10653344020.html と歴史用語の基礎第12回「賜姓皇族」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10660628752.html の話題を総合しますと、

氏・姓」・・・天皇から与えられるもの。儀礼用。

家名(苗字)

・・・「同氏」のグループを細分化したもの。「家名」の語は主に公家、「苗字」の語は主に武家で用いられた。


ということでした。


(2)「家名」が存在しない場合~源氏物語

賜姓や臣籍降下をしたばかりでは上述の「細分化」はまだされていません。

従って、取り敢えず「家名」は無いと考えられます。


「源氏物語」の光源氏はまさしくそのケース。

ですので、この物語は「源家物語」ではあり得ないのです。


(3)「氏」と「家名」が同一の場合

ところが時代を下っても家名を付けない場合があります。

例えば源頼朝は別の家名は持っていませんでした。

そして、その様な家は幾つか有りました。

そこで頼朝は、「源」を名乗る人々に対して「別の苗字」を名乗る様に強制したのです。


普段「源」を名乗るのは、嫡流である頼朝の家系だけだという訳です。

それでも必死に抵抗する家が有りました。

例えば源義忠の子孫。義忠は「武家の棟梁」として有名な源義家の4男でした。

ところが義家の死後、長男義宗は既に夭折してた上に、次男義親の反乱、三男義国(新田・足利の祖)の私闘・・・

という事で、四男の義忠が源氏の棟梁になったのですが暗殺されてしまいます。

そのため、結局は頼朝の祖父の為義(義親の子)が棟梁になったという経緯がありました。

もしも暗殺がなければ自分たちが嫡流だったという主張です。


その他、義家が「武家の棟梁」だった事に異論を挟んだ家などもあり、これらの家は「源」を名乗り通します。


これを「源家」といい、「氏」と「家名」が同一だという解釈が出来ます。


(4)平家が滅びても「平氏」が滅んだ訳ではない~平家物語

では、平清盛一家についてはどうでしょうか?

こちらは「平氏」の嫡流を誇示したために、「平氏」のうちの「平家」だったという訳です。


そして、源平合戦で滅んだのはこの「平家」。

平氏であっても、頼朝側についた三浦や北条(異説有り)など、生き残った平氏は数多く存在するのです。


驕り高ぶり、そして滅んだのは「平家」。

だからこそ、「平氏物語」ではなく「平家物語」なのです。