毛利家の奇跡!後編~第3・4の奇跡(はしだて談義20) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

・歴史旅行記や言葉(日本語・フランス語・ドイツ語など)へのこだわりや検定・歴史散策などの実践録を書き綴ろうと考えています!    
                      
<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

今晩2回目の更新です。


舞台は回旋橋http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10628526426.html 付近の茶屋にて。

はしだて談義19「中編」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10645506548.html の続きです。

----

(3)第3の奇跡:天下分け目の関ヶ原の戦いに敗れても家は存続。

E「ただ、次の輝元の時に大変な事が起こったのでしたね!?」


H「輝元も一応は豊臣政権では厚遇されたのですが、なまじ五大老の一人だったために関ヶ原の戦いで西軍の総大将に担ぎあげられ、そして西軍は敗北・・・と。西軍の大将なのに、大減封ながら生き延びられたのが第3の奇跡です。」


E「同じ五大老でも宇喜多は取り潰されましたよね?総大将でよく取り潰されなかったですね。」


H「一門の吉川が徳川と内通して毛利を戦闘に参加させなかったから・・・などの話は色々と出てきますが、家康にとっては毛利の大減封は既定路線。毛利方がどの様に出ても同じ処遇だったかもしれません。」


E「なぜ既定路線だと言えるのですか?」


H「では、東軍が勝った場合に東軍方への恩賞はどこから持ってくるのですか?」


E「西軍に加担した大名の領地を没収して・・・。ああ、それでは大大名から没収しなければなりませんね。」


H「そうなんです。」


E「でも、取り潰されなかったのは?」


H「『ある条件』を満たせば取り潰さない事にしていたのでしょう。恩賞のための没収さえ出来れば、毛利が徳川に反抗しない事が分かれば良いだけなので。」


E「そんな上手い条件が有ったのですかね?」


H「TVでも交渉の経緯が放映されていましたが・・・ずばり、石見銀山の徳川家への譲渡です。」


E「ほう。あの世界遺産のですか。確か毛利が尼子から奪ったものでしたね。」


H「その銀山は毛利の戦費の拠り所。無ければ毛利は収入を大幅にを失い、しかも徳川方は労せずして莫大な収入を得る事になります。」


E「削られても残るだけの領地が有り、その様な『落とし所』も有った事・・・これが敵方の大将なのに何とか救われた理由だったのですね!」


(4)第4の奇跡:二百数十年の時を経て徳川家に反撃。倒幕に成功する。


E「そうそう。いま『徳川に反抗しない様に』と仰いましたが、結局徳川家は幕末に毛利からの反撃を受けたのですね。」


H「関ヶ原敗戦時の毛利では考えられない様な事ですが、幕末には毛利討伐の幕府軍が敗退するところまで勢力を盛り返しましたからね・・・。」


E「大減封のために家臣は貧困に喘ぎ、徳川幕府を怨んでいたそうですし。正月に殿様へ『反徳川への戦い』を促すという年中行事を二百数十年に亘り続けたといいますね!」


H「この様な気持ちを保ち続けたので毛利家臣は武芸を怠らなかったのでしょう。家臣に至るまでそういった志を代々語り継げるというのも、あるいは『名門』たる証なのかもしれませんね。」