5月9日に思ったこと | 今日もロシア日和

今日もロシア日和

3月にロシアにきました。
ロシアで感じたことなどを備忘録代わりにつらつらと記録しようと思います。

普段、軍事関係などほとんど興味がなく、行列も苦手な私ですが、

せっかくロシアにいるのだから、見られるものなら、なんでも見て

みようと、5月9日にはパレードを見に行ってみました。


知り合いのロシア人は、人が多いから、見に行ったことないと

言っていたのに・・・。

まぁ、日本でもそういうことありますよね。地元の観光地に、地元人

よりも観光客の方が行っている、みたいな。


ロシアにとっては戦勝記念なので、先の記事にも書いたように明るい

です。


現代史博物館の該当コーナーに書かれていましたが、この大祖国

戦争(独ソ戦をロシアでは大祖国戦争とも呼んでます)で、ソ連国民

は、約2700万人だそうです。そして、勝利の要因は、「英雄主義と

国民が安定していたこと」ともガイドに書かれています。


でも、そこには、勝利という明るい面と同時に影の面もつきまとう訳

です。

影の面とは、戦勝時、ソ連の指導者は、大粛清をしたスターリン

だったということです。

でも、5月9日向けのテレビやドラマを見ていても、あまりスターリン

にはフォーカスされていません。時折ヤルタ会談の写真が出てくる

程度です。


私の知人で、第二次世界大戦終戦後に、サハリンにいたところを、

スターリンの民族強制移動に巻き込まれ、ウズベキスタンに連れて

行かれ、今はロシアのパスポートをもつ人がいます。


その人の話では、終戦後、いきなりロシア軍がやってきて、即座に、

手に持てる荷物だけもつことが許されて、着の身着のまま約2週間

貨物車に押し込められて、到着したら、ウズベキスタンだったそう

です。

そのまま、その後集団農場で働いて過ごしてきたものの、ソ連が

崩壊して、ソ連の共和国がどんどん独立したら、今度は、ロシア語

しか話せず、その国独自の言語(ウズベキスタンならウズベク語)が

離せない人たちは、徐々によそ者扱いされるようになり、居心地が

悪くなってきたそうです。

そのため、ロシアに移住して、何年も経ちロシアの国民になったそう

です。


また、敗戦国日本にとっては、シベリア抑留という苦しい出来事も

同時に起きています。

大勢の日本人が、戦後シベリアに抑留され、帰国することなく亡く

なりました。

抑留された日本人は、シベリアだけではなく、上でも書いたウズベキ

スタンなどの旧ソ連圏にもいました。


私の父方の伯父も、私が生まれるずっと以前に、ロシアではありま

せんが、徴兵され、南方で亡くなったそうです。遺骨も見つかって

いません。


えらい人たちの思惑や言い分がどうあろうと、所詮、戦争で傷つく

のは、泣きを見るのは、一般庶民です。


そして、日本はまだ巻き込まれていませんが、世界の至る所で、

実際に戦争や紛争は起きています。


ロシアにいると、毎日のように、ウクライナのドンバス地域の状況を

テレビで目にしたりします。

先日、当事者が実際にスタジオに出てきて、とある言いたいことを

言うという主旨のテレビでも、結婚していたまだ若いカップルの男性

が志願兵となり、そのときに爆破によって、両足はなくなり(現在は

義足)、顔も、もとの影もないほど負傷して、女性が懸命に介護を

していました。

こんな出来事が起きる前の、祖父母の誕生日パーティーでの幸せ

そうな二人の映像が、途中で何度も流れました。


ウクライナの紛争地に住む人たちだって、まさかこんなことに巻き

込まれる日が来るなんて、少し前までは想像もしていなかったと

思います。


でも、そういうことが起こりえる。


だからこそ、戦争や紛争が起こらないで済むよう、日頃から私たちも

意識していないといけないような時代になっているように思います。


追伸:

もう1つ、9日の赤の広場での映像をテレビで見ていて印象的だった

のは、中国の習主席が、日中会談では見せないような笑顔を終始

プーチン大統領に見せていたこと、でしょうか。