森達也氏の著書、P341を読了しました。
この本は、グレート東郷の出自を追いかけた奮戦記で、2005年11月初版に加筆されたものです。
東郷は決して華のあったレスラーではなかったし、むしろ悪評の方が多かった気がします。
その東郷を敢えて選定したことで、森氏はオンリーワンの存在になれたと感じました。
東郷は1973年に亡くなっており、存命の関係者も、文献も限られる中で、森氏は数少ない手掛かりを丁寧に追いかけている。
元々は東郷の出自を明かすことがメインテーマのところ、読み進めると掘り起こしの苦悩に軸足が寄っていて、色々と悩まれたんだろうと思う。
それでも、グレート草津や櫻井康雄とか、執筆時に存命だった人とのインタビューが残されたことは率直に価値だと思う。
この本では、初版で見つからなかった出自を、インターネットを駆使して、増補版で補った構成になっています。
その増補版で判明した事実は、二点。
東郷の両親は日本人で、東郷自身は日系二世であること。
母親の中国人説や、東郷のコリア説など、まことしやかに言われていたことが、ようやくクリアに。
これらは同氏のアメリカ在住の知人のリサーチ結果から分かった事実ですが、インターネットによる情報化の恩恵が無かったら、辿り着けなかったかもしれない。
と書いてしまうとそれまでだけど、私はふと思うのです。
情報が無かったからこそ、プロレスは「底が丸見えの底なし沼」として知的好奇心が掻き立てられた、と。
ホーガン戦で舌を出して失神したことも、アリ戦のフェイクかリアルかが長く議論されるなど、猪木は最後までプロレスの底を見せることはありませんでした。
猪木は、この本質を突いてた気がします。
そう考えると、今のオープンなプロレスは、全く別物になってしまった、昔はよかったなと思う自分もいます。
それでも私はプロレスを見続けている。
プロレスファンの哀しい性としか思えないけど。