2022年10月1日、午前7時40分に亡くなられました。
享年79歳でした。
2年近く闘病生活されていたので、とうとうこの日が来てしまった、そんな印象です。
正直、その実感がわいていません。
逝去後、色んな媒体のニュースを追いかけましたが、その数の多さに驚きました。
やっぱり、猪木の存在は大きかったということでしょう。
毎週聞いているラジオ番組でも、訃報を伝える配信が追加されました。
その中で、清野アナは猪木の凄いところとして、「人を一瞬で魅了させる力」、「接点を持った人の数の多さ」を挙げてました。
それを聞いて改めて、「猪木の凄さって何だろう?」とふと考えました。
私なりに思う、猪木の凄いところ。
それは、プロレスというジャンルを持続可能な形で残してくれたことなんじゃないかと。
もちろん、イラクの人質解放、北朝鮮との外交ルート等、政治的な観点からの功績が目につきやすいと思います。
でも、それらは回りまわって、猪木の出自であるプロレス界に還元されたのではないかと。
プロレスは、野球やサッカーと同様に、普段の生活に無くても生きていけるプロスポーツです。
見たい人だけが見ればいい、見たくない人は見なくていい。
やっている側からすれば、生活基盤が人気に大きく左右される、大変な職業だと思います。
コロナで観戦自粛になったとき、レスラーはそのことを痛感したと思います。
その不安定なジャンルとしてのプロレスを、持続可能なステータスにあげたのは猪木だと思うのです。
モハメド・アリとの闘い、政治家への転身、参議院議員を2期務めあげました。
この原動力は、プロレスに市民権を与えるための反骨心だったと思うのです。
その姿を敢えてさらしながら、多くの弟子を育て上げました。
そんな新日本プロレスも、多くの苦難がありました。
2000年代に総合格闘技に押されて、ユークス、ブシロードに株主が変わり、主要なレスラーも大幅に変わりました。
それでも、東京ドーム大会を安定的に開催、地上波放送もありつつ、ワールドプロレスリングワールドで世界にも配信。
それは、50年の歴史があるからこその信頼がなせる業だと思います。
その礎を作ったのは猪木であり、自宅を改装して作った上野毛道場があったからでしょう。
今後もあの道場からたくさんのレスラーが輩出されると思います。
私はこれからも新日本プロレスを見続けるし、その成長を見ながら、猪木のことを思い出します。
故人のご冥福をお祈り致します。
合掌