完璧という牢屋に自ら入らないで | 奈菜の「女ホル自家発電」

奈菜の「女ホル自家発電」

男性性・女性性の視点から
自分と深く向き合い
本来の自分で生きる

完璧というのは

ちょうど牢屋みたいなもの。
 
完璧を目指すと
不完全な自分を受け入れることが
できずに苦しむ。
 
完璧に近づくことはできても
完璧にはなれない。
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ヨガの生徒さんで60代の男性がいます。
ヨガをしたことない状態から始めて
4年間続けてくれています。
 
まだできないポーズもあるし
身体もカタイ。
 
 
 
 
でも
できるからいいとか
できないからダメだとか
そういう考えはなくて
 
毎回ただ身体と呼吸に向き合っていて
うまくやろうとかそういうのがない。
 
 
 
今のありのまま。
 
いつもそれがすばらしいし
それで充分だなと思うのです。
 
努力してないという訳ではないのです。
 
 
 
 
完璧を目指していないし
完璧ではない自分を受け入れている。
 
 
 
 
でも、わたしはわりと完璧主義。
なんでもちゃんとやりたい。
 
生徒さんの姿勢から学ぶものは
無限です。
 
 
 
受け入れても
受け入れなくても
わたしはわたし。
 
じゃあ受け入れるしかない。
 
 
ほんとはそれだけのことなんですよね。