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あーすはーとのブログ

現在、過去の出来事や体験談、役に立ちそうな情報なんかを日々発信していきます。よかったらいつでも気楽に立ち寄っていってください^^

「She can deal with stress and carry heavy burdens.

She smiles when she feels like screaming, and she sings when she feels like crying.
She cries when she’s happy and laughs when she’s afraid.

Her love is unconditional.
There’s only one thing wrong with her.

She forgets what she’s worth!


「彼女はストレスに耐え重荷に耐える

彼女は叫びたくなるようなときに微笑み、泣きたくなるようなときに歌う

彼女は幸せな時に泣き、恐れを抱いたときに笑う

彼女の愛は無条件

ただ一つ彼女にも欠点がある

彼女は自分の価値を見失ってしまった」



この文章の作者は無名です。



しかし大事なのは誰が言ったのかではなく、そのメッセージそのものにあります。恐らくだからこそこの作者は自分の名を伏せたのかもしれません。それはシャノン先生が自分の私生活を公開しないのと同じだと思います。


この世の中のすべての女性はとても特別です。年齢、人種、考え方に関係なく。しかしこの先進国といわれ続けた日本でさえ女性は完全にその差別からいまだに開放されていないと思います。


それはとても悲しいことだと思います。


私たちがこの世に生まれ一番最初に出会うのは母親。そこには全く一つの例外もありません。つまり私たちは女性の体を通しこの世界に生まれてきています。


女性こそがこの世と神の世界との架け橋だといってもいいのではないでしょうか。もちろん自分は男ですし、男性を否定するつもりは全くありません。女性主義者でもないのですが...


問題はこの状況から私たちはいったい何を学ぶのか


いい悪いではなく、賛成反対でもない。ただ本当の自分のメッセージを私たちは得ることができるのかどうかが問題だと思います。


全ての女性、母親は無条件に生まれてくる子を体内に宿し、迎え入れてくれます。それはまるで神の行為そのもののように思います。


女性は意識、無意識にかかわらず、とても神に近い存在


問題なのは女性が女性の力を見失ってしまった、というより、疑ってしまったという事ではないでしょうか。


しかし残念ながら女性はこの先も男性の考え方を強制的に変えることはできないと思います。なぜなら、男性が代わるとすれば、それは男性自身が自分で気づき、変わっていく必要があると思うからです。


母親であろうがなかろうが、すべての女性はもっと尊重されるべきだと、意見を持ってしまう自分です。


今職場で妊娠中の看護師と日々接しており、この奇跡を毎日感じずにはいられません。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございました







Face Bookに乗せた記事なのですが、英語だったので簡単に訳させてもらいます。少しわかりやすくしたところもありますが...(^-^)/



「このストーリーを読むのにかかる時間はほんのの60秒ほどですが、それはあなたの考え方そのものを変えてしまうでしょう。。。」


その2人の男達は共に重傷で、同じ病室をシェアーしていました。


1人は、肺の中の老廃物を流出させるために、午後上半身だけ起こすことを許されていたのです。


そして彼のベットはその病院にたった一つしかない窓の隣にありました。


もう一人の男は四六時中横たわっていなければなりませんでした。


男たちは終始何時間でも話をしていたのです。


彼らの会話の題材はもっぱら、彼らの妻や家族、マイホーム、仕事、軍隊での生活、そして休暇中に訪れた数々の異国の話などでした。


窓際の男は午後上半身を起こすたびに、窓の外から何が見えるのかをルームメイトに細かく描写してひと時を過ごしていたのです。


そして次第にそのおかげで、たった一時間ではあるけれど、そのルームメイトの世界は広がっていき、外の世界の様子を生き生きと想像できるようになっていったのです。あらゆる出来事やあらゆる色彩の数々までもを。まるで手に取るかのように。


その窓の下には湖のある美しい公園が広がっていました。そこではアヒルや白鳥が戯れ、子供たちが模型の船で遊んでいます。無限と思えるほど数多くの色の花々の中を、恋人たちが腕を組んで歩いています。そしてその公園のかなたには摩天楼が美しく映っていました。


窓際の男がその風景の細部を描写すると、傍らの男は黙って目を閉じ、その美しく、どこまでも広がる景色に思いをはせていました。


ある一日の暖かい午後、窓際の男は通り過がってゆくパレードの行列を描写していました。


そして、数日、数か月が過ぎていったのです...


ある朝、看護婦が彼らの入浴用の水を運んできました。すると窓際の男は静かに息を引き取っていたのです。まるで安らかに、ただただ眠るかのように。


彼女は悲嘆にくれ、病院関係者を呼び、その遺体を運んでもらうよう指示しました。


数日が過ぎ、ふさわしいと思われる時期、傍らの男は窓際のベットに移れるかどうか尋ねました。看護婦はそれを快く受け入れ彼を隣に移しました。そして彼が快適であることを確認したうえでその場を去っていったのです。


ゆっくりと痛みをこらえながら、彼は初めての窓の外の世界を見るために肩肘をつきながらも、苦しい体を起こしたのです。そして緊張しながら、ゆっくりとベットの横の外の世界に目を向けました。


そこにあったのは、何の変哲もないただの壁だったのです。


彼は看護婦に尋ねました。なぜ他界したルームメイトはそこまでして外の美しい世界を描写していたのだろうかと。


看護婦は静かに答えました。そのルームメイトは盲目だったのです。そこに壁があった事すら知りませんでした。


そして看護婦は付け加えたのです。


「おそらく彼はただあなたを元気づけてあげたかったのではないでしょうか」



ストーリーはこれで終わりです。


感じ方は人それぞれですし、受け取り方もまったく違うかもしれません。看護婦さんの言う通り、相手を元気づけてあげることの大切さもあります。自分の辛い状況にもかかわらず相手をいたわるその心。


皆さんは何を感じましたか


皆さんの世界はどんなでしょうか


外の壁を見てただそれを嘆く日々でしょうか


自分はついていないと自分以外の何かを常に責めて過ごしているのでしょうか


それとも、皆さんの心の中に広がる無限の美しい世界に目を向け、それを外に表現していくのでしょうか


それは人それぞれです。でもすべての人が本当に美しい無限の美に目を向けられる日が来たら、それはきっと天国のようですね。


そんな日がいつか皆さんの心の中に訪れますように。


















今日は瞑想会だったんですが、うまくネットが繋がらなくて、しばらく何をすればいいのかわかりませんでした。そんな時ふっとシャノン先生の顔が画面から浮かび上がったような気が...(ノ゚ο゚)ノ


その顔を見た瞬間、なにかとても大きなものに包まれたように感じたんです。ただ包まれているという、それだけの感じでしたが、それは言葉では言い表らせない深い愛と安らぎがありました。(その感覚にしばらく身を寄せていたので瞑想会に復帰するのが遅くなってしまいましたが...(・・。)ゞ


マー先生もブログに書かれていますが、シャノン先生の押し付けてこないエネルギーだと感じました。それは自分が求めればいつでもそこにある無限の愛。


その時なぜか自分が介護の職に就いた時の事を思い浮かべました。


30代後半から40代にかけ人生いろいろ変化があり、その一つが転職。「自分」の為に何かをするよりも、これからは人のために自分のすべての時間を費やしたい。その思いがとても強い時期でした。それが自分の命の正しい使い方のように感じました。


そして最終的には受けた面接(多種職)が全て却下され、最後の介護職の面接だけが通りました。しかも面接中に採用するとまで言われ、少し引いてしまいましたが(^-^)/


どうこれから生きていくのか


いったい何のために


そんな事をシャノン先生の顔を見ていたら考えていたんです。


人はみな自分のペースで成長している。だからいくら助けようとしてもそれはただ押し付けていることになってしまう。でも皆早かれ遅かれ自分の本当の道に帰っていく、そう信じ、ただ愛をそこに置いておく。それが必要な人のために。


「人」と「自分」のちがい、境界線、それは自分の狭い視野


全ては繋がっている


始めから最後まで


そして始めも最後もひとつ


そんな言葉が聞こえてきました


m(u_u)m


P.S.

「マー先生」とタイプするとき必ずと言っていいほど指が「マ―戦士」と打ってしまいます。(o^-')b 何回気を付けて打っていても無意識に指が勝手に動いてしまうような...はじめは間違いだと思っていたんですが、「マ―戦士」が本当なのかなと思う今日この頃です。 (^-^)/