今自分はシャーに天の花びらのマントラを日々唱えています
いろんなことに対し無関心になっていく、そんなテーマがここ最近強く自分に表れていますが、その中で感じることは色々あり、うまく説明できないものばかり
普通人はカルマを抱え、この世に転生してくるといいます
カルマ、または輪廻転生
それは一つの人生を超え、廻って戻ってくるその人の人生のテーマ
カルマにはどちらかというと厳しい教訓のようなイメージが強い気がします
払わなければいけない借りのようなもの
人が人であるということは
基本的に自我を持つということ
自我とは自分という個人の意識
自我それ自体には良いも悪いもなく
自我本来の意義がある
が、人はなぜかその自我から解放されたいと思ってしまう
なぜこの世に生まれながら、あえて自ら、自我から解放されたいと願うのだろうか
そもそも自我とは何か理解しているのだろうか
が、それも人の欲望のひとつ
つまりはカルマであり、その人が転生してきたまさに理由でもある
矛盾しているが、ひとは自我から解放されたいと思い自我を経験する
自我の本当の意味を理解できるその日まで
この世で生きるということは何かを欲すること
この世の中に何も欲しない人などいるのでしょうか
何かに対し感情を感じるとき、そこには必ずその人の欲望があると思います。喜怒哀楽。その感じ方はその人それぞれですが、それこそがその人の欲望の表れであり、カルマであると思います。
人が何かの形で成長すれば、同じことを経験しても、感じ方は変わってきます。つまり、感情とは、その人のその時のカルマがどのような状態なのかを示す道しるべのようなものといえるのではないでしょうか。
カルマとはただ永遠に廻る輪ではなく、その輪自体が、実は私たちなのではないかと思うのです。
つまり私たちは本来欲望の塊であり
それがこの世に具現化されたもの
カルマという名のもとに
廻るのは輪ではなく、私たち自身
私たちは欲望であり、カルマでもある
そしてカルマとは愛である
いや、愛がカルマであるというべきか
4月のシャーニー天による世界平和の瞑想会は11日の土曜日です。
ぜひこの機会に、自分、つまり、カルマと向かい合ってみてはどうでしょうか。
新しい発見がきっと待っていると思います