青山通りと明治通りの交わる東口の交差点。つい数年前まで東横線が川のほとりの高架を走っていました。写真左側のビルの辺りです。右側の雑居ビルは昭和30年代に、並木橋から明治通りに沿って駅方向に建ち並んだと聞いています。
どんなに時が流れても、渋谷の街は新しい音楽が生まれる街だと思いたいです。
久しぶりに用事が出来て渋谷に行ってきましたが再開発が進み、夕焼け空すら高いガラスのビル達が覆い隠していました。渋谷独特の夕暮れの空すら見ることができませんでした。
カセットテープで「悲しみが止まらない」を聴きたくて、杏里さんのアルバムを購入しました。
CDで「悲しみはブギの彼方に」を聴きたくて、サザンのアルバムを発売日に購入しました。が、恐れ多くてまだ開封できていませんでした。この品を購入した私の関係者が、「熱い胸さわぎ」のLPを発売日に購入した時に「悲しみはブギの彼方に」が入っていないことに気づいて、当時子供ながらに落ち込み、カステイヨ代官山・チアリングハウス宛に抗議のハガキを何枚も書き続け、それでも聴くことが出来なかったそうです。家庭教師の大学生のお兄さんに連れて行かれた、荻窪ロフトのライヴで、生演奏の「悲しみはブギの彼方に」を聴いてとても気に入ってしまったそうです。
「熱い胸さわぎ」の一曲目は「悲しみはブギの彼方に」だと思っていたら、どこにも入ってない…という現実に大ショック。あまりのショックで、A面B面を何度も聴いた後、A面とB面の真ん中のレーベル部分にまで針をおとして探したそうですが見つからずショックを受けたそうです…
「10ナンバーズ・からっと」、「ステレオ太陽族」…と四十数年新作が出るたびに購入を続けようやく48年ぶりに聴けることになったそうです。
もし、「熱い胸さわぎ」の1曲目が「悲しみはブギの彼方に」だったら、日本のポップスの歴史が変わっていたかもしれません。杏里さんの「悲しみが止まらない」が、
「笑いが止まらない」になっていたかもしれません。
シマリスのキャンディです。
サッカーの中継と暴れん坊将軍、頭文字Dの峠での競争場面が好きなようで、ご機嫌モードです。
お隣の鎌倉市で、タイワンリスのお騒がせ問題が起きているようです。今年は森の中の木の実が少なかったようで、住宅地などに食事を求めてやって来ているそうで、TBSなどのニュース番組で取り上げられた事件だそうです。
リスは知能が高く、感情も豊かなので、
見かけても大きな声を出したり、急に近づいたり追いかけたり無理に追い払おうとしなければ、人間に攻撃をすることはないと言われています。
鎌倉市で問題になっているリスは、1930年代(今から100年近く前)に台湾から動物園にやって来たことが始まりと言われています。本来耳がとんがってお腹が白いニホンリスが暮らしていたはずの森で、どんどんどんどん台湾リスが増えてしまったそうです。特定外来種に指定されており、個人のお家でペットとして飼育してはいけない種類のリスだそうです。基本的に木の実や果物を食べているのでお腹の中にバイ菌がいることはないはずなのですが、学者さんに確認をした所、雑食性のため稀に病気になってしまうリスもいるそうで、一万匹に一匹くらいの割合ではないかという見解でした。 鎌倉の観光地でリスを見かけても、食べたものを与えないで、そっと見守ってあげるのが良いそうです。 そこで何かもらえるという情報が他のリスに伝わってしまうと、噂を聞きつけたリス達が集まるようになってしまうからだそうです。 そういえば、私の家のリス達も遊具の活用方法を他のリスと共有し合っているなど、情報網が存在しているようです。
ロックの日なので、
ロックのアナログレコードを聴いて過ごしました。
ピンクフロイドのロジャーウォータースさんが、
最近ドイツで問題を起こされてしまったそうですが、第二次世界大戦に関連した悲しい出来事をきちんと理解されていないのだと思ってしまいました。
日本でも、旧日本政府の思想をライヴハウスのステージで面白おかしく演説をする残念な方もいるそうです。ひめゆりの塔の悲しい出来事も、ほたるの墓、ガラスのうさぎ、ビルマの竪琴など語り継がれてきた沈痛な物語もすべて旧日本政府の偏った考え方が原因で起きてしまったことです。韓国、中国、ミャンマー、インド、インドネシア、タイ王国、フィリピン、マレーシア、シンガポール、トラック諸島(ミクロネシア)、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの方々の命を奪ってしまった太平洋戦争を引き起こしたのも旧日本政府の考え方が原因でした。
私が、十数年前まで出演させていただいていた、ナントカ半島にあるライヴハウスAで、旧日本政府の幹部のような服装で政治思想を演説するライヴが行われるそうです。
私の今の音楽制作のスタッフの半数がイギリスの方なので、私が出演していたライヴハウスで旧日本政府をたたえるような演説会が行われることに深く心をいためています。皇國建國弐千六百八十六年とか訳のわからないスローガンを掲げているそうですが、実際のところ、1952年サンフランシスコ講和条約調印の時から今の日本が始まったと私は思っています。
ライヴハウスのステージで.大量殺人者でA級戦犯で処罰を受けた政治家のモノマネをするのはいかがなものかと思ってしまいます。どうせならあの髪型のカツラを被って陰険そうな銀縁メガネをかけて、「さまざまなご意見があると思いますが、さまざまな方々に、さまざまなご相談をして、さまざまなご回答を政府の責任として、さまざまな機会で、さまざまにお伝えしたいと思っております。」の様な、誰も傷つけないライヴができないものでしょうか。
外国の方からいくつかご指摘のメールをいただいたのですが、
そのライヴハウスAとは、
十数年以上関わりもないので、
なぜそこで軍国主義者の演説会が行われるのか
事情もまったくわかりません。
不愉快な気持ちにさせてしまっていることについて
深くお詫びを申し上げます。
私達は一切関係がございません。