彼岸のお墓参り | あるちゅう司法書士の思うまま

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アルコール依存症のどん底を経験、現在は司法書士として第4の人生を歩む。アルコール問題のほか旅行記、鉄ネタ、たわごと…
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 一日早く父の墓参りに行ってきた。


 もう何年になるんかな。時間が経つのは早すぎる。

 私は、あんたが死ぬまで酒やめられなかった親不孝者だよ。ごめんなと語りかける。



 父の闘病中も酒を飲んでいたことや、専門病院入院中に亡くなったことは今まで何度か書いてきた。

 でも、正直言って父のことは今でも好きではない。正面から話をしたことがなかったし、自分の考えが無かった人のように思う。まともに機能不全家庭だった。
 そのかわりに母に相談することが多かった。母と喧嘩になると父は「お前学校出してもうてて何や!」と大きな声で怒鳴る。それしかないんかい。

 おまけにお構いなし。外で食事をするのは恥ずかしかった。行儀悪いのオンパレード…。悪口を書くときりがない。

 父が頼りないぶん、母は私が小さい頃から私を頼りにしてきた。

 アダルトチルドレン(AC)の本を読んだとき、自分がアルコール依存症になったのは、この父親の存在が大きいと確信した。AAや断酒会でしきりにこのことを話した時期もあった。

 話としてはきれいに纏まったし頷く人も多かったが、しだいに私が感情を表現することが苦手だったり、対人関係を作るのが苦手なことには多分に作用しているし、アルコール依存症の遠因ではあるだろうが、AC=アルコール依存症という図式は私には当てはまらないように思うようになった。
 むしろ、この図式に収めてしまうのは都合のいい曲解だとも思う。
 

 今では、自分でアルコールに溺れていった理由や、背景のおおよそのところは見えるようになった。誰もが自助会に通い始めたときにやる理由探し、ある意味自分探し。大事なことだしそれを通らずに断酒へ向かうことは出来ない。

 ただ理由が見つかっただけでは断酒はできない。酒を飲ま無いための行動、すなわち過去の体験談を語る。当時父にどんな感情を抱いていたにしろ、お酒で悲しい気持ちにさせた。これは消えない。

 そこを区別して考えられるようになったから、今も父が嫌いでも最初に書いた言葉も出るようになった。
 
 「私は、あんたが死ぬまで酒やめられなかった親不孝者だよ。ごめんな…」