劇場版ちびまる子ちゃん イタリアからきた少年 飛び出すステレオタイプ
『ちびまる子ちゃん』はフジテレビで放送中の国民的アニメである。ドラえもんやサザエさんとは違い、そこには等身大の小学生が描かれていることから小学生に多大な人気を誇る。しかし、なにをいじっても『ちびまる子ちゃん』が劇場公開用のスケールを持てるとは思えない。劇場版一作目「大野くんと小杉くん」と二作目「私の好きな歌」は転校、結婚と子供からしたら一大イベントを描いたところでそれを乗り切った。だが、もう、何もない。「死別」は確実に無理だ。永遠にループする世界に身を置く彼らにとって前に進むこととはタブーでしかない。それは時間もそうだし、成長もそうだ。さて、どうするべきか。そこで製作陣が頭をひねって考えた。「非日常に行くのではない。非日常が来ればいいのだ」そこで生まれたのが今作。『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』である。どう見ても夏祭りの風景だが、公開時期はクリスマスに近い天皇誕生日である。夏のアニメ漫画映画ラッシュに耐えきれないと思ったのか、勝負を避けた。まあ、興行的判断は別に映画の内容に関係はしない。いろいろな映画サイトでまずまずな評価を得た今作だが、そもそもこんな映画に興味を持つ人自体が『ちびまる子ちゃん』という作品に興味のある人で、まともな人は観ないからではないかと思っている。内輪だけの評価だ。さて、あらすじ。まる子の町に世界5カ国から子どもたちがやってくる。個性豊かな新しい仲間にクラスのみんなは興味津々で、まる子の家にもイタリアからきた男の子アンドレアがホームステイすることに。クラスメイトたちと一緒に大阪や京都などへ出かけ、楽しい日々を過ごすまる子。2人は一緒に行ったお祭りで「また会えますように」とそれぞれ願いごとをするが、やがてアンドレアとの別れの日が近づき……。「また会えるかな」がテーマの今作だが、僕は断言できる。絶対に会えない。 冒頭、まる子の夢の中から映画は始まる。カフカの『変身』みたいな出だしである。そしてまる子は鼻ちょうちんを出しながら夢を見ている。古いな。母親に起こされ、小学校にダッシュで行くまる子。オープニング。いつもの「おどるポンポコリン」がやたらギター響く曲調で流れる。劇場版だからって張り切ってるんですね。期待できそうだなあ(棒) 登校すると、お金持ちの花輪くんがまる子と級友のたまちゃんを呼び止める。曰く「今度、世界各国から小学5年生がうちに泊まりに来るんだ」どうやら花輪家の財力でやってくるらしい。まあ、論理的整合生はある。しかし、次の言葉が衝撃的だった。「日本での生活を満喫するためによかったら泊めてやってくれ」計画性のない奴だな。普通、そういうのはくる前に打診するもんだぞ。花輪家に集合すると、世界各国の少年少女たちが集合していた。とりあえず、みんな少しだけ日本語が喋れるらしい。左からブラジルから来た女の子、ジュリアイタリアから来た男の子、アンドレア香港から来た女の子、シンニーハワイから来た男の子、ネブインドから来た男の子、シンアメリカから来た男の子、マークステレオタイプにまみれているわかりやすくするためにそうしたかったのかもしれないけど、これはやりすぎだ。とくにジュリアに至っては何かあるたびに「サンバ!アミーゴ!」といって踊り出す。こういうのって、結構今うるさいと思うんだけどどうなんだろう。バトルフィーバーとかGガンダムのころの価値観だよね。でも、漫画の神様、手塚治虫も「パロディの基本」って言っていたから、まあ、そんなもんか。国際問題にならないことを切実に祈る。さて、アンドレアはまる子に興味を示す。まる子は地味に拒絶、でも「イタリアから来た少年」っつってんだからこいつが確実に泊まるんだろうなっていうのはわかる。さて、家に帰って母親に打診をするまる子だが、両親から難色を示される。「香港のシンニーちゃんに来てほしいなな。アンドレアは嫌だな」と呟くまる子。そのまるで物を選ぶかのような物言いも嫌だけど、諌めない両親もどうかと思う。だがしかし、案の定、アンドレアがやってきます。だってタイトルに書いてあるし。アンドレアはさくら家に10日間ホームステイすることに。どうやらアンドレアは「まる子」という名前が祖父の「MARCO」と同じであるとして、まる子に興味を示したらしい。よかったね、カツオじゃなくて。イタリアだとカツオは男根を意味するからね。しかし、その大好きな祖父は既に鬼籍に入っているという。アンドレアがいう。「おじいちゃんは半年前に死んでしまいました」少し話せるとは聞いたけど、よくまあ、完了形の文を使えるね。 で、おじいちゃんはカメラマンで戦後直後の日本を写真に撮って回ったのだとか。この時点で開始から20分が経過しているが、まだとくにドラマが発生していない。だが、そこにようやくドラマがぶっこまれる。花輪くんが「今週末にどこかに旅行にでも行こう」と持ちかける。こいつの計画性のなさが物語の進行に必要だということはわかった。そこで「京都でどうか」という打診がなされるが、アンドレアが大阪にいきたいと言い出す。その様子から何か、大阪に思い入れがあるようだ。大阪か、京都か。揉める一同。ブラジル人少女、ジュリアが一言。「OK!アミーゴ!私も大阪でーす」 いろいろとケチをつけさせてもらうが、これってうなぎ文だよね。後輩「先輩、今日の昼飯なんにします?おれカツ丼」先輩「おれはうなぎだな」この場合、もちろんながら先輩は「おれはうなぎを選ぶ」という意味で言っているのだが、外国人からは「先輩がいきなりうなぎになった」と混乱するらしい。日本語の曖昧性の象徴のような文だ。それをいきなり使わないよね。ジュリアは実は相当、日本語が話せるのではないかと推測される。さくら家に戻ると、アンドレアが大阪にいきたい理由が発覚する。どうやら祖父の知人が大阪に住んでいるらしいのだ。「のんき屋呑兵衛」という居酒屋を営む夫婦なのだとか。大阪の道頓堀に店を構えるが、今ではわからないという。アンドレアくん、行動の原理は全て「祖父に繋がるもの」である。よっぽど、おじいちゃんが好きだったんだね。さて、結果的に京都チームと大阪チームに分かれて行動することに。じゃあ、さっきの喧嘩のシーンの意味ってなんだったんだろうね。大阪に到着する一同。アンドレアがカバンから栓抜きを取り出す。それでまる子の額に痛恨の一撃!とはいかないが、時代設定的に70年代っぽいから本気でやるかと一瞬、どきっとした。どうやら店の名前が書かれた栓抜きらしい。祖父の大切な形見なのだとか。あのさ、形見を持ってくるっていうのはどうなのよ。万一、旅先で無くしたらあんた。写真に撮ってくるとかでいいじゃん。さて、そんなこんなしている内にコテコテの大阪弁の人にたこ焼きやに連れて行かれる一同。ここでもステレオタイプに溢れた不自然な大阪が溢れる。だったらてめえらも三河弁で喋れや、と少し本気で思った。たこ焼き食って、よしもとのお笑いを見て。これはあれなのか、観光アニメなのか?そして回り道をしている間にようやくドラマが発生。「のんき屋呑兵衛がない」そう、どこかに移転したらしいのだ。道頓堀のお好み焼き屋に入って情報を聞く。するとどうやら20年前に東京に行ったというのだ。お好み焼き屋のおっさんたちがアンドレアを見て「マルコの孫か!?」と驚嘆。どうやらマルコは戦後直後の日本を写真に収め続けていたのだそうだ。パドリオ政権が日本に宣戦布告しているから日本からしたら一番の裏切り者だな。 ちなみに「のんき屋呑兵衛」の店主夫婦の名前はりょうさんとチエちゃんというらしい。現在は上野でスパゲッティ屋さんを経営しているのだとか。詳しい住所、店名、不明。まあでも、少しひねった名前なんだろうな。目的を果たせずに静岡にもどった御一行様。しっかし、子供用とはいえこいつら考えていることべっらべら喋るのな。そのうち、頭の中で考えていることまでモノローグで出るんじゃなかろうか。で、ずーっと何食べても「ボーノ!」とばかり言う。この映画、アンドレア少年が日本語の意味を訪ねまくるシーンが繰り返されるんだけど、「おいしい」だけは誰も最後まで教えなかったんだよね。そして「ボーニッシモ!」は出てこない。変化させろ。さて、90分の映画の中半分が経過した頃に「そろそろお別れの時期だな」と唐突に帰りの話が出てくる。もちろん、冒頭の同じように花輪くんの家で「ホームパーティー」が出てきますよ。ちょっと早いけど、という。レッツパーリー!たまちゃんのパパがライカで愛娘を写真に収める。多分、このおっさんの写真はスタッフロールで使われるんだろうな、などと思う。アンドレアはたまちゃんのパパに「一枚撮らせてくれ」という。どうやらアンドレアはまる子をフレームに収めたいのだという。この意味ありげなシーン……。 まる子とアンドレアは灯籠流しのお祭りに行く。灯籠流しのことも解説してくれるが、本当にいちいち解説が多い。鼻に付く。まる子は「アンドレアと再開できるように」と書き、アンドレアは「まる子といつか再会できますように」と書いた。流されていく灯篭は、徐々に離れていく。「あー、灯篭が。これじゃまた会えなくなっちゃうじゃん」と悲しげなまる子。 当然、お祭りなので屋台もある。屋台の前で大勢の野球部のせいで離れ離れになるアンドレアとまる子。よく考えれば、迂回すれば再会は容易なんだけどなぜかアンドレアとまる子は人並みに突撃していく。そしてアンドレアがひしとまる子の手をつかんだところで、流れる主題歌!その主題歌が、まあ、すごい。劇中の様子をそのまま歌っただけという歌。まるで作文にそのまま歌をつけたかのような。アホ向けなのだろうか。アンドレアとまる子が手をつないだまま橋を歩く。リア充爆発しろ。アンドレア「僕は将来、カメラマンになりたいんだ」まる子「あたしは漫画家になりたいんだ」メタい。そうしている内に別れの日。涙を浮かべるさくら家の面々。まる子とおじいちゃんが羽田まで付き添うことに。ちなみに調べてみたが、静岡県清水市から羽田空港まではバスで3時間かかる。渋滞に巻き込まれないといいですね。それぞれ世界各地に散るから、出発時間が異なる。ハワイからきた少年に至っては空港で8時間も待つ羽目に。アンドレアも5時間程度ある。そこでまる子は閃いた。「空き時間を利用して上野に行こう!」まあ、電車で40分くらいだからねえ。上野で一生懸命になってスパゲッティ屋をさがす三人。それはもう電話帳とか交番とかで大騒ぎ。昔だからアナログな手法しか残っていないのだ。そして物語上不要なギャグとか、いろいろなものを挟みつつ、見つからない!そう、見つからないのである。アンドレアも諦めた。ここで終わったらすごくいい話だったと思う。ところがどうだ。諦めた時に見つかったんだよね、スパゲッティ屋さんが。その名も「マルコ」ってまんまじゃん。アンドレア少年は店の人に栓抜きを見せる。どうやら、これは「呑兵衛」の店主夫婦がマルコに「再会の時に」ということで渡したものだったらしい。マルコの死を痛む一同。祖父の足跡を必死こいて探したアンドレア少年の日本滞在期は終わった。空港で訪れる別れ。まる子は「いかないで」とボロボロ涙を流す。だから思ったことをベラベラと話すな、と言いたい。アンドレアはまる子に、祖父の形見の栓抜きを渡す。まあ、預けてないから没収されちゃうしね。再会を固く約束し、アンドレア少年は帰っていく。ぶっちゃけ時間軸的にいつのことなのかわからないけど、多分、再会はありえないだろうな。だって再会するということは「まる子が成長したとき」に起こるのだから。すると永遠のループ構造が崩れてしまうのでありえない。ごめんな、アンドレア。というわけで『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』は10点満点でいうと3点である。別に映画でやらなくていいだろ、という気持ちしか湧いてこない。そもそも、ちびまる子ちゃんのファン以外は見ないだろうから別にどうてもいいんだぇどね。間違えて見た人はご愁傷様!作った奴らを街中で見かけたらケツに蹴りいれてやろうな!