あの頃の自分へ(最初から)
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仮に推薦入試で年内に合格しても、本番の一般入試は受けるつもりでした。
それこそ、滑り止めは受ける必要が無くなるので、本命を中心に、2、3校受ければ良いと思っていました。
2、3校と少なく受験するならば、受験する大学の対策を練りやすいし、受験費用(1校受ける毎に約5万吹っ飛ぶ)も、節約になります。
しかし、仮に推薦入試に合格すると、合格した大学に、入学金を支払わなければならないし、一般入試で本命に合格すると、そのお金はムダになってしまいます。
推薦入試は、静岡産業大を含め3校程受験した記憶があります。
高校生の時は、たった1人で受験しに行っても、全く淋しいと思いませんでしたが、今回の受験は、とにかく淋しく感じました。
東京の大学を1つか2つ受けた記憶がありますが、なぜか記憶があやふやで、思い出せません。
辛すぎて思い出すことに対し、ブロックがかかるのかもしれません。
辛うじて記憶に残っているのが、淋しさと、世界史の問題です。
世界史の問題を解いている時に、
露土戦争
という、戦争のことがでてきました。
この時、オレは、イヤな予感がしました。
予備校で勉強している授業では、まだ、露土戦争の所まで到達していなかったので、露土戦争のことは、わからないというより、知りません。
現役(高校生)の時、全く勉強していなかったので、露土戦争という文字を見たのも初めてでした。
そこで、動揺しました。
おそらく、その問題は、間違えたと思われます。
その大学は、やはり不合格でした。
静岡産業大に受験しに行きました。
すごく残念だったのが、平日に行われた為、毎日欠かさず出席していた朝の英語構文のテストを休まざるを得なかったことです。
たった1人で、電車に乗り、田舎の静岡産業大に受験しに行きました。
会場に到着すると、恥ずかしくって帰ろうと思いました。
というのは、浪人生は、オレだけだったのです。
何故わかるのかというと、制服ではなく私服なのが、オレだけだったからです。
明らかにオレだけ浮いていましたが、テストは、小論文だけだったので、必死に文章を書き会場を後にしました。
その足で、午後の予備校の授業に出席しました。
あああ・・・恥ずかしかったなぁ。
でも、受かればいいよな。
と、思っていましたが、後日、不合格の通知が届きました。
マジか…。
担任・・・話が違うじゃないかよ。
あんなに、恥ずかしい思いをしたのに。
これで、現役の時同様、推薦入試が全滅し、推薦入試より厳しい一般入試しか無い状況に追い込まれました。
メチャクチャヘコみました。
やっぱりオレはバカだったのか。
滑り止めが無い状況なので、一般入試は、滑り止めを含め多くの大学を受験する必要があります。
推薦入試の全滅が決まった日は、母親の誕生日でした。
オレの勝手な予定では、母親にオレの大学合格をプレゼントしたかったです。
しかし、重苦しい空気が家の中を流れていました。
テレビの音が、やけに耳障りに感じオレはおもわず耳を塞ぎました。
その内、耳を塞ぐのではなく、その場を離れればいいことに気づき、自分の部屋に戻り机に向かいました。
悔しいやら、情けないやら、恥ずかしいやら・・・
なかなか勉強を再開することができませんでしたが、それでも・・・本当に、それでも今のオレには勉強するしか、他にやることはありません。
この屈辱は、ぜってぇ忘れねぇ!
二度と同じ悔しい思いをしない!と言う自分への戒めで、翌年から現在に至るまで、母親への誕生日には必ず誕生日プレゼントを渡しています。
つづく
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