今日は急遽というか、急ぎUPしている・・・。
訳ではありません。実は数日前にこの記事は設定されていた
ものが自動的にUPされるように準備してあったものだという事
を事前に申しておきますが。
今日は、以前お世話になっていた。エスコーツの黒田さんが旅立
たれた日であり。
もう一つのバースデイとも言うべき日・・・。でもあるわけですね。
2014年5月12日が黒田高広さん
2014年4月20日はファンのゴリさん
2015年4月18日が大川華曜子さん
それぞれがこの2ヶ月の直近であったご命日ですね。
個人的には
2009年4月10日は父方の次男の奥さん、私から見ると叔母さんで。
1995年5月1日はアイルトン・セナの事故死。
という括りになるんですが、それらはどうでもいいんですw。
もっとも、これらから先に述べる事は。黒田さんのブログのコメントに
でも・・・とも。一瞬だけ思ったのですが、管理されていない事を百も
承知なのにそこへ記すのはモラルにも関わるので。
自分の責任の範囲で、自分の?くまたちのブログに記すことにした
訳ですが・・・。
ご無理なさらず、最後まで読まないでも全然OKです。
むしろ読まないでも構わないです。というものをあえてUPしてるだけ
ですから・・・。他のページなり、クラウドバックしてもらってOKです。
こっから先は、自己責任で読むも読まないもご自由に・・・。
それこそ責任はありませんから。
(決別を決めた日に撮りました)
”継続は力”という、黒田さんの仰っていた家訓のような言葉・・・。
ぼく等はこの言葉をどこまでも立証しようと、今までもこれからも。
ずっと追求してゆけるように?その為の苦労を惜しまないという気持
ちではあるのですが・・・。
その言葉に一番近くにいたであろう人々よ!
その言葉を忘れてるんじゃないのか?と・・・。
一般人であれば、やーめた!の一言で退くのは無罪だろう・・・。
そこに責任を背負う必要はないからだ・・・。
しかし、準公人としては、そこ言葉から逃げたらシマイだという事を
お忘れになっちゃ困るんであって。
準公人という名の、エスコーツとかいうユニットやら。毎日営業とか
言いつつも毎日出てきて営業していないBARや路面店を腰掛で
やってるメンバーよ・・・。
君達がかつて所属していた御社の家訓をすっかりお忘れではないか?
もっとも身近な部分で言えば、故人を偲ぶ事すら1年経ったら半減。
もう1年経ったら誰ひとり振り返る事すら無くなり、故人はとうとう誰
からも偲ばれる存在ではなくなってしまった・・・。
ぼく等は、そういった実態を見るべくして。どのタイミングであっても、
静観する事に決めていた・・・。
だからこそ、何にも言わないで今日を迎えると決めていた!
嬉しい事に、先月の検索ワードランキングには。大川華曜子さんの
名前が浮上してきていた。
今月はどうなるだろうか?今の時点は分らない・・・。
だが思い出してくれる人々がいる、こんなに嬉しい事はない!
時間も空間も飛び越え、故人は今もそばにいると感じられる・・・。
だが現実はどうだ!?
その場限りで、見返りを考えてばかりで。義理も人情も忘れている
有様じゃないだろうか?
初めに掲げたあの尊い理念はどこへやら?
彼女等の間で、何か一つでも。責任感あふるる形で毎日何か続い
てますか?
努力に勝る天才はなし、とはこういうところにもある・・・。
努力をしない人には何にもない、何にもチャンスは与えてくれない
ですよ・・・。
だからと言って、努力してます。がんばってます。というのを、いち
いち口するものでも、賞賛されるものでもない。
それは自分だけが知ってればいいだけの事であって。それをして
当たり前の世界にみんないる。
同じ青い空の下にいる全ての人に共通しているものだ・・・。
卒業というお飾り言葉で体裁を作ろうのが本当ではなく、どれだけ
毎日人知れず努力積めたかだ。
Aさんにできて、Bさんにはできない・・・。
なぜできないか?そこにはBさんには無い、Aさんの決定的な何か
を持っているからなのであって。
毎日やっている人毎日積み重ねている人もいる。
それができるか?できないか?やるか?やらないか?なのだ。
ライブ?毎週じゃないよね。BAR営業?殆どいないよね。
ブログ?毎日書いてもいないよね。クロコダイル?半年に1回。
カフェ営業?週イチですらいないかだよね。
劇団旗揚げ?クラウド資金はどこへ消えたんだろうね?
グッツ販売?相変わらず数作る気はないようだね。
そして故人を偲ぶ気持ちの表明・・・1年足らずだったね。
幾ら自分独りで静かに偲んでも、準公人という立場である以上。
それは表明する必要がある。
それらは他でもなく、一般客を締め出した格好での葬儀や通夜。
一般人の、いっかいのファンの葬儀にも参列してる筈の準公人が
赴いたというのは、そういう責任を負っている筈なのだ・・・。
一番のファンだった人への敬意の無さというのを今年も目の当たり
にし。相変わらずがっかりさせられるもので・・・。
もう少し温度を持った人間にはなれないもんだろうか?
仮にぼく等が死んでも来てくれんでもいいし、思い出してくれないで
もそれは構わない。一番じゃないから。
ただそれだけの理屈ですもの、言わんでもわかるでしょ?
この段階ですら、ファンを序列で観ているというのも透けて見えてる
訳ですもの・・・。どーぞ忘れてくださいと、言うまで。
以前のブログの記事を何枚も読み直した・・・。
特に黒田さんや他数名・・・。
見返りを求めないファンの人の応援をありがたいというものだが・・・。
これらは見返りも何もあったものではない。断じて見返りうんぬんでは
ない!
充分見返りの無いものは既に送り続けた結果、その先に見えたもの
がもう、ここにある。
それは簡単だ・・・。
応援したその先には、本人達はいない!という事。
グッツ買いに行く、そこにはもうモノはない。
ライブへ行く、相手次第で見送りも歓談もない。
誕生日のお祝いをする、知ってても御礼の一つ言葉もない。
劇団を起こす、方向性が違うとしてケツを割る。
撮影会を申し込む、3年間音沙汰なし。
人が亡くなる、1年足らずでもう忘れてる。
ファンからものを貰う、それが当たり前だと思っている。
ギャラのいいところの仕事には出向く、でもそれっきりで売れない。
まだ続けようか?
店を開店する、直ぐ飽きて留守気味で他人任せ。
女性専用の店と謳う、売り上げ伸びず男性客もOKになる。
出産子育てに専念、かと思えば。もう遊びたくて仕方が無い。
自分の誕生日がきた、他人の誕生日には見向きもしない。
毎日曜日担当でブログ書きます、三ヵ月後には誰も書かなくなる。
何かを続ける事・・・それは簡単なものじゃない。
簡単じゃないからこそ、それが尊いものであり。それを続けた後にこそ
本当の力になるのだと・・・。
ならば問う!
5年前と今・・・。何かが劇的に変わっただろうか?
何かが進化しただろうか?何か一つでも大きな一歩になったであろうか?
北海道に1日1本しか電車が停まらない駅がある・・・。
1日平均利用率は1.5人だ・・・。
でもそんな駅でも毎日毎日、決まった時間にホームに停まる電車がある。
ドアが開く、人の出入りがある・・・。
その淡々とした出来事が1日2日だけならいざ知らず、それが毎日続くと
いう事はどういう事か?
地道な行動の繰り返しが日常であって、その日常が毎日あって、毎日ある
からこそそこに”信用”というものが”安心”とか”安らぎや心強さ”があるん
であって・・・。
毎日やりますと言いながら、毎週何曜日にはいますからと言いながら、
そこに君等はいた試しがあっただろうか?
答えはもう分るよな・・・。
少なくてもずっと観ている人には。
ぼく等はもう絶望する事をやめる!先の事で希望を持てないのは、こっち
だけ独り不幸な気分になるのは不公平だから!
その為にもうエスコーツ関連を上がると決めたからだ・・・。
フェイスブックの過去記事は時間が来れば徐々に削除しています。
ツイッターも繋がらないようにしてあります。
もうお互いのブログを見ることもありません。
どこでイベントしてようが、芝居で共演していようが関係ありません。
何度も言いますよ、エスコーツは上がりました。以上です。
ライブ行かないんですか!?行きません。
上がりましたから。
先々に何の希望も持てないのに、時間とお金を使うほど無駄なものはあり
ませんから。
黒田さんのご命日に言う話ではないのは承知ですが、それこそこれは
ぼく等から出す卒業証書です。
そして、多少ならずとも恩義を受けた黒田さんへの手向けの言葉です。
少なからず、自分が自分らしくある為に決めた事でもあり。
さようならよりもこんにちはが待っている方向へ進むのがぼく等の方向性
だから・・・。
記憶の彼方へ送りやり、封印する事にしました。
ただ、それだけの事です。
上記に記した多くの御霊へ、心から偲び。今日という日を締めくくろうと思い
ます・・・。