仕事だからできる? | メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

オーストラリア メルボルンにて、2009年2月生まれの娘ローズと、2013年8月生まれの息子ディー君の子育てに励む日々。

メルボルンでベビーシッターサービスを提供しています。

娘の介護が毎日続いています。

食事の時間が近づくと、娘もストレスが高まり毎回泣き出すし、

わたしも、さあ大変な時間が来たぞと、胃が痛くなり、辛くて、

逃げ出したくなることもあります。

 

毎日3回。。。本当はスナックも含めて6回食事をするべきなんだけど、

そんなことしてたら本当に1日がそれだけで終わってしまうし、

わたしも娘も限界になってしまう。。。

今でも限界に近いですが、何とか毎日、3回の食事をとらせています。

本人は1食100キロカロリー以下にこだわっていますが、

私は本人にはわからないようにカロリーアップのパウダーなどを混ぜて、

何とか1日1日、生きることのできるギリギリの量は食べさせています。

 

毎日、同じことの繰り返し。

それも、泣き叫ばれながら、辛い時間を繰り返す日々。

 

・・・赤ちゃん育児も、同じようなものだと思っていたけれど、

最近大きな違いを実感するようになった。

育児は、成長という嬉しい変化がある。毎日、前進しているという喜びがある。

 

でも、良くなる見込みの見えない病気の看病や、

お年寄りの介護なんかもそうだと思うけれど、

全く前進はなく、何なら悪化していく毎日で、

ただただ辛い時間を繰り返さなくてはならないのは、育児とは違うえーん

 

お世話に対して、感謝ではなく憎悪を向けられるのも辛い。

娘にとって、食事を与えようとする人は悪魔より酷い存在なので、頑張っても頑張ってもますます嫌われ、嫌がられる。。。

これ、本当に精神がすり減っていきます。。。。

 

ソーシャルワーカーの担当者もお医者さんも、わたしの精神状態を心配して、

しばらくまた入院させることを勧めています。

たしかに娘の入院中は私は体を休めることはできます。

 

でも、入院するということは、またベッドに拘束され、無理やり鼻チューブからドバドバと栄養を流し込まれることを意味し、

娘は病院にいくなら死んだほうがましだと言い、実際に行動に移そうとしますえーん

心底嫌がり抵抗する娘をわたしが病院に連れていくことはもう絶対無理で、

前回は警察と救急車を呼び、鎮静剤の注射を打ってもらい、やっと何とか病院に連れていきました。

 

なので、その精神的ストレスが大きすぎるので、ギリギリまでは自分が頑張ると決めました。

何時間かかろうが、毎日、死なないだけの量は何としても食べさせます。

 

でも、やっぱりしんどいです。

そして時々、これがお仕事なら、きっともっと楽なんだろうなと思ったりします。

せめてお金という報酬があれば、その仕事自体に喜びがたとえなくても、

何んとかふんばれる気がする。

そして、相手の感情に引っ張られずに、心の距離を置いて、割り切って働けるはず。

 

でも、やって当たり前、の家族の介護は、

同じ辛い日々の繰り返しで、報酬もなく、希望もなく、朝がくるのが辛い、、、

そんな気持ちになる人も多いのだろうと気づきました。

 

これまで、親が介護が必要になったら、なるべく自分でやりたいなんて考えていたけれど、

今回の経験を経て、絶対、人の助けを借りないと無理だと思うようになりました。

 

お仕事でやってくださる人のほうが、絶対安定した精神状態で、優しくできるはず。。。

愛情だけでは、難しいです、ほんと。

 

愛情と憎悪は紙一重です。愛しているからこそ、いいかげんにできなくて、

必死になればなるほど感情がゆさぶられ、憎悪にもつながってしまう。。。

また、家族の介護は、お休みも、休憩時間さえなく、心が疲弊してしまいます。

 

今のわたしは、娘の介護で日々が過ぎ、お仕事がほとんどできない状態なので懐も厳しい。。。

そして、日々の負担はどんどん増えていて、精神的に辛い。。。

 

 

でも、ありがたいことに、オーストラリアには、介護をしていて仕事ができない家族のために、carer's paymentという政府のサポートがあります。

日々の生活につきっきりの介護が必要な身体障害や難病が対象なんだけど、なんと拒食症が、最近その対象になりました。

 

実際自分の娘がこの病気を患うまでは、拒食症は過度なダイエット、程度の認識で、

本人が食べようと思えば食べれるでしょう、みたいな考えでした。

正直なところ、過去の自分には、拒食症が、癌や心臓病などの難病と同等であるとは考えられませんでした。

娘が拒食症だから仕事に行けません、なんて、甘えてるなあと思ったかもしれません。

 

本当に、どんなことも、実際にその状況になってみないとわからないんですよね。

 

このありがたい政府の補助ですが、申請してからだいぶ待ちましたが、承認されました。

このおかげで、シングルマザーのわたしがあまり仕事ができなくても、何とか生活できています。

そして、2週に一回振り込んでいただけるこの補助金を、自分のお給料だと思い込むことで、

娘の世話を、仕事だと割り切れるようになりました。

 

ただの心の持ちようですが、仕事であると思い込み、一歩距離をおくことで、

だいぶ精神的に安定するようになりました。

お金の力、すごいですてへぺろ

本当に、この政府のサポートがもらえるようになったことは、財政的にだけでなく、精神的な支えになりました。

 

皆さんの税金をこんな風にいただいていて、申し訳ない気持ちもありますが、

はやく娘がよくなり、私も仕事に復帰して、また社会貢献ができることを夢見て、

今は、これが自分の仕事であると自覚し、日々頑張っていきます。

 

 

今回、介護疲れ、というこれまで経験する機会のなかった状況を経験することになり、

これからやってくる親の介護についても、

改めて考えなおす機会となっています。

 

やっぱり、一人ですべてを抱え込むのは大変すぎる。

政府や周りのサポート、プロのサービスなど、使えるものはなんでも使っていかないと。

 

そして、お金のもらえる仕事だからできる、ということもたくさんあると思います。

愛があれば何でも乗り越えられるわけではありません。

家族だけが介護を担うことは、本当に本当に難しいと思います。

 

そして、保育士や介護士などの仕事は、待遇をよくしないと、

いくら慈愛に満ちた人でも、ずっと続けることは難しいという点も実感。

 

やりがいや愛情だけではダメなこともあるんだなあ、と学びつつ、

そんな中、政府から補助をいただけるようになったことに、本当に感謝です。

そして、今はそれをお給料だと思って、

日々の苦難を仕事だととらえて、頑張っていこうと思います照れ