胎内記憶の話②-人は親を選んで生まれて来る- | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

胎内記憶研究の第一人者である産婦人科医の池川明氏のセミナーのお話第2弾です。

 

いつの頃からか分かりませんが「親ガチャ」と言う言葉を見聞きする様になりましたね。

 

私は最初「親ガチャ」と言う言葉を見た時、なんて品が無いんだろうと愕然としたことがあります。

勿論、今でも「親ガチャ」と言う言葉を見ると品性を疑う事は変わりありません。

 

「産んでくれと頼んだ覚えはないよ!」と言い放つドラマの1シーンの様に、多くの方は両親は選べないから不運な環境に生まれたのは運が悪かった、と言う考え方がスタンダードなのでしょうか。

 

確かに、最近は目を覆いたくなるようなニュースが多く、高度成長期に子供時代を過ごした世代からすると、まだ道徳観がしっかりしていたと言うか、日本の経済力が低下するにつれて精神的にスラム化していると言うか、ネガティブな意味で精神的にアメリカナイズされてきている様な気がしてしまいます。

 

欧米の様な一神教の国々では「死んだら終わり」と言う考え方です。

ですので、この世で成功したければ努力と根性とチャンスの3点セットが大事なのでしょう。

 

つまり、生まれて来た自分には責任はなく、運が悪かったと言う意味付けになってしまいます。

 

でも、胎内記憶が残っている子供達が言うには、どうやら自分が両親を選んで生まれて来るらしいですよ。

 

今回は2人のお子さんのお話をご披露させて頂きますね。

 

あるお子さんは「英語であそぼう」と言うTV番組を見ていたところ、急に「アレに出たい」と言いだしたのだそうです。

 

劇団に知り合いがいる訳ではなく、どうしたら番組に出られるのか分からなかったのですが、運よくと言うのでしょうか、程なくそのお子さんは番組のオーディションを受ける事になったのだそうです。

 

休憩時間にお子さんの様子を見ると、普段は物静かでどちらかと言うと人陰に隠れてしまう様なタイプのお子さんらしいのですが、周りの子供達と楽しそうに遊んでいるのを見て少し驚いたのだそうです。

 

するとそのお子さんはお母様に「私、女優さんになりたくて生まれて来たの。だから空の上から綺麗な女の人のところに生まれれば女優さんになれると思って、この家に来たんだよ」と言ったのだそうです。

 

赤ちゃんって中々シュール…。

 

もう1つのお話。

 

これはあるご家族で、お兄ちゃんと女の子のお子さん2人とお母様、それぞれに話を伺ったそうなのですが、お母様が中学生の時、夜中に目が覚めてふと窓の方を見たら、暗い顔をした男の子と女の子が立っていたのだそうです。

 

すると男の子の方がスーッと寝ている自分の方に来てお腹をペタペタ触るので気持ちが悪かったとお母様は当時の記憶をお話になられたのだそうです。

 

続いてお子さんにどうやって生まれて来たのか来たところ、「お兄ちゃんと2人で生まれて来る家の下見に行った。お兄ちゃんは勇気があるからお母さんの側迄行ったけど、自分は勇気が無くて窓の外で待っていた」と話し出したのだそうです。

 

池川先生は最初は親子で俺の事を担いでいるのかな?と思ったのですが、パジャマの柄や当時の部屋の様子などを聞いていると、辻褄が合いどうも作り話ではなさそうだと思ったそうです。

 

そこで池川先生は好奇心から「お父さんも選んでくるの?」と聞いたところ、どうやらお父さんはセットで付いてくるらしいのです。


池川先生の例えで言うと、飴がお母さんでお父さんは飴にくっついてくるオマケみたいな(ちょっと、お父さんの立場は…)

 

お父さんについては耳元で「あっちの方にイイ人がいるよ」と囁いておくと、後年、何となくそっちの方に向くらしいですよ。

 

キューピッドが赤ちゃんの姿をしているのも、まんざらでもなさそうです。


そうそう、もう1つ思い出しました!

 

あるお子さんが自分が決めたお母さんのところに降りようとした途中で「あっ、こっちのお母さんがいい」と別のお母さんのところに降りたのだそうです。

 

先頭が別のお母さんのところに行ってしまったので、その後に続く2人の子供達も別のお母さんのところにくっ付いて来てしまったのだそうですが、ある時、TVを見ていたら「あっ、本当のお父さんだ」とTVに出ていた人を指さして言ったのだとか。

 

その後、TVに出ていた著名人は離婚する事になり、子供たちのお母さんと結婚する事になったそうですよ。

 

胎内記憶も前世記憶もない私達には嘘か本当か分かりませんが、私達はこの世に誕生する時に綿密にこの世で学ぶカリキュラムを決めてくると言います。

 

私達は自分のガイド達と一緒に、例えば愛について学ぶと言う課題を選んだとしたら、親を通して学ぶのか、動物たちを通して学ぶのか等、マークシートにチェックを入れる様に決めて、これをクリアするには寿命は90年とか40年等と設定して生まれて来ると聞いた事があります。

 

つまり、効率的に課題をクリアするには、どの親の所に生まれれば課題は達成出来るかをガイドと共に選んで、親になる人の同意を得て生まれてくるんですね。

 

例えば、自分は沢山の子供達を世話する事で未来をより良くしていく事がテーマだとしたら、最初に育児放棄をする親とか、親が病気で世話をする事を余儀なくされる、と言う環境を通して、どうしたら自分の様な辛い思いをしなくて済むのかを学ぶと言った具合です。


こう言うと過酷に感じる方もいらっしゃる事でしょう。

 

でも、池川先生曰く、「親ガチャ」と言う様に「君たちは悪くないんだよ。運が悪かっただけだよ」と言うのは、その時は「自分が悪いんじゃなかったんだ」とホッとするかもしれないけれど、それだと全て運で決まっていて自分にはどうする事も出来ないと言う事になってしまう。

それよりも、全て自分で決めた事なら、自分でどうにでも変えられるんだと思った方が、その時は辛いかもしれないけど希望が持てると思うとおっしゃっていました。

 

私もその通りだと思うんです。

 

人は傍から見たら物凄く恵まれている様に見える人でも、ネガティブな要素が無い人は1人もいません。

 

むしろ光が強い人こそ、内情は影も濃かったりします。

 

困難とも思われる問題と向き合うのは相当な覚悟とエネルギーの要るので、蓋をして見ない様にしたくなる気持ちもありますが、自分が決めて来たのなら、やれない筈はないんですよね。



18世紀に生きた女帝マリア・テレジアが解体寸前の瀕死の状態だったハプスブルク帝国を建て直す為にこれ迄の悪習に大鉈をふるい、近代国家の礎を築いた時の事です。

 

相次ぐ改革にウィーンっ子達の反感はとてつもないものでした。

 

ある時王宮の壁に「そうやってアンタは偉そうにしているけど、死んだら俺たちと同じさ」と言う落書きがあった事を臣下から聞き、それならその落書きの隣にこう書いて来てと言ったと言われます。

 

「そうよ、私だって皆と同じよ。ただ、両親選びを上手くやっただけ」

 

一見「親ガチャ」と似ていますが、マリア・テレジアの言葉は能動的です。

 

私が「親ガチャ」に嫌悪感を感じるのは、この駒が出たら当たりで、これが出たらハズレと言う様に受動的に捉えている事。


そして、外側のせいにしておきながら、ゲーム感で軽々しく捉えているところです。

 

確かに、この世は全知全能と言う本来の自分を忘れ、それを思い出すゲームです。

 

しかし、同じゲームでも「親ガチャ」と言うのは余りにも受動的です。


汚い言葉で申し訳ないですが「クソの様な親が出て来きました。残念でしたね。ハイ終わり」ではその人の人生は余りにも虚しくないですか?

 

「親ガチャ」と称して一生を諦めるのも自由です。

 

でも、環境のせい、親のせい、社会のせい、と全て外側のせいにして生きるのもアリですが、全て自分で決めて来た事、と言う視点に立つ事で、これ迄外に向けて来た力を全て自分に取り戻す事が出来ます。

 

最高の親、普通の親、最悪の親、どんな親でもこの世で家族として出会った縁があります。


その縁を生かすも殺すも自分次第です。

 

ある意味、親と言うのは自分をこの世に生み出してくれた存在。


命をかけて自分の人生をスタートさせてくれたと思うと、それだけで有難く、充分お役目を果たされたと思いませんか?


人は愛がないと死んでしまうと聞きます。


疲れているのに睡眠時間を削ってミルクを与えるたり、オムツを変えたり…愛がなければ出来ません。


例え施設で育ったと言う方でも、施設の方がオムツの世話をしてくれなければ、皮膚はただれ感染症になり生きていないでしょう。


自分が思う100%の愛とは違うかも知れませんが、人は愛あって生かされています。


問題と正面から向き合うのは面倒かも知れませんが、今一度、自分が全てを決めて生まれて来た事に着目して、自分が望む本当の人生を生きるとシフトして下さい。


決めれば道は開けますよ。