少し前の話しになりますが、蕨市の郵便局で発砲・立てこもり事件があった事は皆さん記憶に新しい事と思います。
事情が少しずつ明るみになるにつれて、同日に病院と郵便局を襲ったのは、それぞれ対応に対する怒りがあったとか。
相手の対応にムッとしてその場で言い合いなり喧嘩になるならいざ知らず、過去に起きた事をこそ迄根に持つかなぁ、と正直思いました。
とこが、ある時フッとこんな思いが浮かんだんです。
私自身、ずっと前に起きた事なのに何かの拍子で思い出して「あの人のせいで…」とか、言葉が悪くて申し訳ありませんが「くっそぉ〜、アイツの一言が…」等と後生大事に今でも引きずっている事あるじゃん!って。
思わず、「あ”ぁ…」とか言葉にならない言葉を心の中で呟き、やっちまった…とうな垂れましたね。
と同時に、こんな話を思い出しました。
以前、俳優であり声優、映画監督の白鳥哲氏とはせくらみゆきさんの対談を拝聴した時の事です。
白鳥監督は突然脳腫瘍を発症し余命宣言を受けたのですが、西洋医学の治療を全く受けず、自然の力で完治させてしまったと言う驚愕の体験をお持ちです。
脳ですから身体のあちこちに症状が出るのだそうです。
そこで、身体の構造を調べ、波動調整する機械を使って、この部位に出た症状は怒りの感情が元になっている、とか認められたいと言う気持ちから発症している等と言う様に自分と向き合い、それを丸ごと受け入れ許すと言う潔斎を行う事で完治されたそうです。
この潔斎とは、起る事全ては、自分だけではなく自他を分けず全てに繋がっていると言う事がベースになっています。
そのエピソードとして、ご自分の身体に出た症状を辿った際、お母様の中に苦しみがあると知りお母様にその旨伺った所、お母様が嫁いだばかりの頃お姑さんとの関係で大分悩まれた事があったのだとか。
全て話を聞き終えた白鳥監督は自分の事として全てを受け入れお母様に「ごめんなさい。お祖母様に代わって僕が誤ります」と頭を下げ、お母様も既に過去の事と蓋をしていた思いを涙と一緒に昇華され、監督の症状が消えたと言うエピソードや、ご近所の方のお義母様が、お義母様の住む近所でも有名な気難し屋さんらしく、白鳥監督に「お義母様に困っています」と相談をしたところ、白鳥監督の中にある感情に気付き、それを丸ごと受け入れ許した結果、気難しいおばあさんから優しいおばあさんに変化し、近所でも大騒ぎになったと言うエピソード等、なるほど、と思う様なエピソードを幾つかお話された事を思い出しました。
その時は、そんな事もあるのか…位にしか思っていませんでしたが、「モナド量子」を覚えたての私。
前にもブログでお話しましたが、モナドは単一のモノです。
そのモナドが完全調和の状態から自発的対称性の破れを起こして、分離し、Aさんモナド、Bさんモナドを作り出して、それらが再び完全調和になるのを観察している。
このゲームの唯一のルールは、Aさんモナド、Bさんモナドはそれぞれ主観でしか世界を見る事が出来ないと言う事。
これがこの宇宙の理と思うと、自他の境がない事にも頷けます。
ほぉ~、ここでもモナドかぁ…と変な感激をしつつ、やはり繋がっているんだよ~。
今でも、この地球のどこかで争いは起こっていますよね。
確かに遠い他国の事として片付ける事も出来ます。
でも、自他の境がない事をベースに考えてみると、自分もあの人のここが気に入らない等、誰かを攻撃していないだろうか?と振り返ります。
勿論、聖人君子ではありませんので、全ての人を受け入れる事は出来ません。
でも、少なくとも「そういう人もいる」位に留めておけば、自然に棲み分けが出来ますよね。
腸内細菌で言えば、皆が皆善玉菌にならなくても、悪玉菌もいるし日和見菌もいる。それでOK~位に。
1人の力では「何バカな事を言っているの?」とか「新手の宗教?」と言う話になってしまいますが、多くの人が自他の違いを「悪玉菌め~」ではなく、「色々あって1つ~」位に思えたら、現象界に争いはぐっと減るのかも知れません。
全ては鏡と言いますが、この現象界に起きる事は内面の写鏡なのだなぁ、と感じます。
それを上手く使って、自分の中にある同じ周波数を外す事に向き合えば、目の前で起きている事は全てメッセージなのでしょうね。