プリンセスの条件は打たれ強い事~バッシングに負けない為に~ | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

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元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

少し意外かも知れませんが、プリンセスの条件の1つとして「打たれ強い事」があります。

現代はキャリアを持っていた一般市民の女性も王室に嫁ぐ時代ですので、お妃教育を行う学校がヨーロッパにはある様ですが、私の師が研修に行った際、この「打たれ強い事」と聞いてとてもビックリしたそうです。

確かに、現代はロイヤルファミリーと言えども好き勝手に新聞や週刊誌、SNSに書かれてしまう時代です。
どんなに事実とかけ離れた内容でも、大衆はその切り取られて一部だけをみてバッシングをしますから逐一気に留めていたら持ちませんよね。

そうは言っても、やはりある事ない事を書かれて、会った事もない赤の他人から心ない言葉を浴びせられるストレスは想像を超えるものでしょう。

失礼ながら海外の様に、王室と言ってもセレブリティーさながらの国では、バッシングも仕事の内と言う事なのでしょうか?

いずれにしても軟な精神では務まらないと言う厳しい世界の様です。

さて、現代はSNSで誰もが発言権を持ているが故にちょっとした事で社会的制裁を加えらるに等しい世の中ですが、でもこれは現代に限った事ではなかった様です。

王位継承戦争によって巨大なハプスブルク帝国の灯が今にも消されようとしている時代、女帝マリア・テレジアは何とかして先祖代々受け継がれた国土を守ろうと必死で策を考えていました。

ハプルブルク領は国土が広い事が逆に災いして、戦争に耐えられるだけの軍隊が圧倒的に不足していました。

その国土は単なる寄せ集め。
中央集権が成立っていませんでした。

実際どのような事が起こっていたかと言うと、日本で言えば、1道1都2府47県それぞれに荘園領主がいて、実質、彼らが夫々の持ち場を治めていると言う状態です。

その為、折角、国民から集められた租税も領主達の良き様に誤魔化され、その殆どは国庫に納められる事はなかったそうです。

後にマリア・テレジアが「あの頃は軍隊もなければ国庫も空っぽ。私には何もなかった」と顧みた事があったそうですが、そりゃ国庫も空になるよね、と言わざるを得ません。

そこでマリア・テレジアはオーストリアを近代国家に作り直そうと、これまでの因習に大鉈を振ったんです。

先ずは子供からお年寄りまで1軒1軒残らず数を報告させました。それも馬や牛の数まで。
これは初の住民登録となり、それによって1軒辺りの租税が決められました。

当然、これまで余分に袖の下に入れていた領主は額面通り国に収めなければならなくなったと言う訳です。

次はカレンダーの作成。

それまでのオーストリアは聖人の日は祝日だったので休日ばかりだったんです。
そこで1週間を7日にして、週に6日労働し日曜日は休むと言う現在の暦の原形が出来たのもこの時でした。

他にも、流石にカトリックを守護する神聖ローマ皇帝のお膝元だけあって教会が多く、聖職者の数も多かったのですが、マリア・テレジアは新しく教会を立てる事を禁止しました。

そして使われなくなった教会を使って学校にし、失業した聖職者達を教師として勤めさせ義務教育制度を導入したんです。

読み書きと計算さえ出来れば仕事にあぶれる事はありませんでした。
その為、オーストリアの識字率は当時としては非常に高かったそうですよ。

今では当たり前の事ですが、当時、全ての人達が彼女の政策を歓迎した訳ではありません。

特に、3日に1度位の割合で休みがあったのに、週に1度に休みを減らされたのですから、ウィーンっ子は「全く女のやる事はこれだから困る!!」と文句タラタラ。

王宮の外壁に文句を書く輩もいたそうですよ。

でも彼女はバッシングに揺らぐ事はありませんでした。

何故なら、彼女には確固たる信念があったから。
「私がやった事は30年後には実を結ぶわ」と。

いかにハプスブルク家きっての才媛と言われても彼女だって人間です。

私人としては「なんでここ迄言われなくちゃいけないんだろう」とか「こんなに言われるなら…」と思った事もあった事でしょう。

国民のバッシングを浴び、どんなに恨まれようが公人としての彼女の目は今ではなく、将来を見据えていたんですね。

マリア・テレジアが強いた中央集権国家はフランツ・ヨーゼフの時代にようやっと花開いたのだそうですよ。

さて、昨今はSNSによって誰もが自由に発言が出来る時代です。

自分の意見を自由に表現できる反面、バッシングによって命を絶たれる事や心に傷を負う事も少なくありません。

また、この様な背景から、批判されるのが怖くて自分の意見を控える方も増えている様ですね。

いくら言論の自由とは言え、この様な状況を機に発言を制限される様になっては、それは退化だと思うんです。
そして、集団制裁の様なバッシング状態もこれまた宜しくない。

10人いれば受け取り方は10通り。
悪意がなくてもモヤとしてしまう事もあるでしょう。

でも、感じた事をそのままのエネルギーで投げ返しては言葉の応酬戦です。

何故、その記事を読んで、何故その映像を見てモヤっとしたのでしょう?

発する前に一度立ち止まるゆとりが大切です。

羨ましかったから、自分が寂しかったから、悔しかったから、その人が嫌いだからetc

例えそれが、有名人のネタでも心が揺れた裏には何か理由があります。

心の揺れは単なる反応です。

それを表現する前に一旦立ち止まる猶予が必要だと思いますし、SNS上だけではなく、会話の席でも必要です。

特に、有名人の発した言葉や映像には、その有名人に与えられたイメージがありますので、公人としてのその人か私人としてのその人なのかは受け手にはわかりませんので、そこを無闇にバッシングするのもナンセンスです。

また、一方で発する側も、自分が発した事に対して責任を持つと言うスタンスも大事かと思います。

いずれにしても、自分が発した言葉の底に愛があるか否かで伝わり方は大分か変わります。

どうしても、反対意見を言いたい時は、「だから嫌なんだ!」とか「貴方は〇〇だよね」と感情をそのままぶつけるのではなく、「私はこう思う」と言う様に、あくまでも自分の意見として表現する(I(アイ)コンタクト)方が伝わり方が大分違いますし、今後の関係性にも有効だと思います。

有名人程ではありませんが、誰もが思わぬバッシングを受ける可能性がある時代です。

時には、打たれ強く。
そして、ある時は相手の立場に立ち、また、自分の発言がどの様な影響力を持つのか、想像力を持つ。

その様な点では、私達もプリンセスも同じな様です。