子供の頃、親や周囲の大人達から「お金の話しをするのは、はしたない」と聞かされて来たので、今回の投稿はやや気が引けますが…今回はお金の話です。
皆さんはお金が好きですか?
私はお金が好きです。
正確には、お金を使うのが好きなのです。
勿論、将来の備えも大事ですが、不安に怯えてガッチリ抱え込み過ぎる事には興味はありません。
欲しかった物を買った時。
大切な方々への贈り物をする時。
美味しいものを食べたり、セミナーに参加したりetc
こんな風に自分が喜ぶ事や周囲の方が喜んでくれるであろう事に、お金さんに協力して貰うのが好きなのです。
逆に、急に家電が壊れて買い替えが必要になったり、衣替え時期のクリーニング代等、日々の生活で必要に迫られて出す出費には、仕方がないと思いつつテンションが下がっちゃうなぁ‥。
ほら、そこに喜びは薄いでしょう?
先日、職場の方とメールで話したのですが、彼女は不要な品物をメルカリに出したところ、ちょっと纏まった収入になったそうです。
そこで前から欲しかったゴルフ用品をメルカリで購入したところ、後から確認したら正規品ではなくガッカリされたとか。
何度も見て、表示もされていたのに…これなら、ちゃんとお店で買えば良かったと落ち込んでいました。
そのメールを見て、残念だったねと寄り添いつつ「でも、お金はエネルギーですから、循環させてあげる事で入って来ますよ。だから手放す時は快くね!」と記したところ「お金はエネルギー」と言う捉え方が衝撃的で「目からウロコです!! でも、所々腑に落ちてます」と嬉しい返信を頂きました。
エネルギーの事を学ばれている方々には「お金=エネルギー」と言う事は、耳にタコが出来る位聞き慣れているかと思いますが、そうでは無い方には目新しい視点の様です。
でも…他人にそんな事を言いながら、実は私も最近迄、お金はエネルギーと言う本質の意味まで腑に落としていなかった様に思います。
と言うのも…
皆さんは自分にとって大きな買い物をした時「あぁ、幾ら使っちゃったなぁ」と思う事はありますか?
私は時々、宝石を購入する際に思う事があります。
※私が購入する位ですのでたかが知れているのですが。
昨年、私は自宅を数カ所リフォームしたり、急にTVが壊れたりと大きな出費が続きました。
また、来年には現職を去る(仕事は続けますが)予定でいる為、昨年末、宝石さんを購入した際、こんな事をしていて良いのかな?と言う思いが浮かんだのです。
でも…最近、私はこうも思います。
仮にわかり易く品物の値段を100万円だったとします。
でも、その品物は100万円という価値が付けられて、同等の紙幣と品物を交換した、ただそれだけの事ですよね?
と言う事は、一見、手元のお金は減った様な感覚になりますが、品物という形で入って来るため、質量としては、実際には減っていないんです。
そこに、喜びとか自分にとっての必要性などの付加価値を含めたら如何でしょうか。
気に入った物が見つからず「これでいいや」等と妥協で購入すれば価値は減り、結果的には損失になりますが、それを手にする事でワクワクすればプラスになります。
お金がエネルギーと言うのは、単に経済として循環するからではなく、質量の交換がちゃんと行われているからなのですね。
それならお支払いをする時は、気持ちよくお金さんを旅立たせてあげたいものです。
私はお金さんの使命は、人を幸せにする為に人々の間を巡っているのだと考えます。
お金で身を滅ぼすのも、人が離れるのも、逆に人や自分を喜ばすのも、心物共に豊かになるのも、全て心の置き所1つです。
お金を沢山持つと言う事は、それだけ回すエネルギーが大きく、少量ならば回転が小さい、ただそれだけの事で、高い視点で見れば1人の人が抱えられる豊かさには大差がないと思います。
1つ例をあげると
事業で成功しても大病を患ったり、いつ財産を失うか仲間に裏切られるか不安や苦しみを抱えている状態は豊かだとは言えません。
私の知人で若い頃、世界中を旅した方がいます。
その方はヨガを教える代わりに一般の方のお家に泊めて頂くなど、最小限の旅費に対して、得た経験値や見聞はとても豊なものでした。
他にも世界には広告写真を撮る代わりに航空会社から無料で渡航費を提供して頂いている写真家の方もいらっしゃいます。
この様にお金はエネルギーなのでアイデア次第で豊かさは色々な形で入ってくるのですね。
私も昨年、宝石さんを購入した事によって、お金=エネルギーと言う事を改めて体感しました。
不透明な世の中ですので、先々の心配が全く無いと言う方は少ないかも知れません。
私も硬くなった頭を少しでも柔らかくして、豊かさの定義を広げていきたいと思います。
いずれにしても、この肉体を脱ぐ時に「やり切ったなぁ」と思える事。
そう思えるようにエネルギーを回していきたいものです。