並木良和さんの「安倍晴明ワークで陰陽道の神髄を習得する」と言うセミナーにzoom参加した時の事です。
清明さん曰く「今の世の中邪気が多すぎる」のだそうですよ。
因みに、邪気と言うとマイナスなエネルギーと直ぐに思いますが、ポジティブするのも邪気なのだとか。
さて、最近私が何故か良く耳にするのが「人を呪わば穴二つ」。
これは別に呪うと言うおどろおどろしい事ではなく、美しい意識(=目覚めの状態)で「こうなりたい」とポジティブな願いを意図すれば叶うけれど、どよぉ~んとした「苦しみの意識」で思いで放っても、どよぉ~んとした状況が倍になって帰って来るよ、と先日、タカ社長も言っていましたが、他にも周囲の事象に敏感に反応して、あれやこれやと悶々としている状態って十分邪気を放っていますよね。
ほら、「今日なんだか誰々さん機嫌悪そう…」と言う様に人って気を察知するでしょう?
邪気は溜まって来ると「邪鬼」になるそうですよ(by並木さん)
さて、私はこの動画を聞いて、もしかして神社で余りお願いをしない方が良いのかもしれないと思いました。
そして、こんな話をふと思い出したんです。
以前、私は神社はお願いをしに行くところじゃないよ、と聞いた事があります。
その時は、まだ他者からの承認欲求が強かったので、すがれるものなら!!と思っていたのね、恥ずかしながら。
なので私は口をとがらせて聞きました。
「それじゃ、神社には何をしに行くの?願い事はどう伝えればいいの?」と。
すると神社は「神様に挨拶に行くところ。つつがなく生活をさせ貰っている事に感謝を伝えに行く所だよ。願い事は一度「こうしたい」と意図を放てばそれで充分!」と言われたんです。
今はその意味がよぉ~く分かりますが、こんな風にも思います。
それは、清明さんの「邪気に溢れている」と言う言葉と照らし合わせると、このお願いも1つ間違えれば邪気を放っている事になりませんか?
時々いますよね?
えっ、10円でそこまで念を込めるんかいっ!と思わずツッコミたくなる程、長~くお願い事をしている人。
まぁ、丁寧っちゃ丁寧なのかも知れませんけどね。
確かに受験生が「〇〇学校に受かりますように」とパンパンとお願いする位なら良いですが、「どうか、どうか、〇〇さんとお付き合い出来ますようにぃぃぃ」となると、呪詛に近いモノを感じます。※恥ずかしながら、かつて私もこんな気持ちでお願いした事が…。
以前、ソムリエ認定試験の二次試験の朝、受験生皆で神社にお参りに行った事がありましたが、その時に「〇〇会社が倒産しますように」と社名までハッキリ書かれた絵馬を見つけてしまい、「ひえ〜」と思ったことがありますが、コレまさに呪詛ですよね。
ですので、神社では意思表明で十分ではないかと思うんです。
どうしてもお願いしたいのであれば、例えば「〇〇に合格できるように精進します。ですので、後押しをお願いしますね」位で良いのではないかと思うんです。
私達は1人1人、源から分かれて存在しています。
神様だって同じです。ただ、存在する次元が違うだけで、私達は神様の分け御霊です。
時空は折りたたまれていますので、私達の日々の思いはポジティブ・ネガティブ関係なく全て宇宙に届いている事をお忘れなく。
私達をサポートしてくれる存在は、いつでも私達の思いに耳を傾けていますよ。